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5日目と家族のこと

  今日は月曜日、ただいまの時刻は20:47です、こんばんは。今日から本格的に学校が始まりました。今日から少人数のクラスで、先生はカーチャからサーシャに変わりました。サーシャの本名はアレクサンドラで、落ち着いていて素朴な感じのカーチャとは違って髪の毛先は水色だしメイクも彫りの深さを活かしたしっかりした感じ、カーチャがお姉さんならサーシャは気のいいお姉ちゃんという雰囲気、めちゃくちゃ質問をしてくれるし反応もいい、感情表現豊かでノンバーバルなひきだしがすごく多い。授業の雰囲気がすごく良くてとても楽しかった。

  今日の授業はたくさんの語彙とちょっとしたテキスト、家族について話して、友達同士で使う慣用句についてのスキットをしたのですが、「今 完璧にこの人の話しているロシア語がわかる!」という瞬間がけっこう何度もあって、まあ日本での授業よりも初歩的なことをやっているので当たり前といえばそうなんだけど、進歩を感じて嬉しくなったし、同時にめちゃくちゃ変な気持ちになりました。耳と頭が一致しないというか、「この響き  わけのわからない音の連なりの意味を 考えるよりも先にわかってしまうのすごくないか!!?」という感じ。

 

  それで、家族についてなんですけど、言語学習の初期において家族の話題というのはめちゃくちゃよく出てくるもので、その度に何を申告していいものか迷ってしまうんですよね。家族は誰にでも存在するものだという前提があるので話題にしやすいんだろう とは理解しているんですけど、みんながいわゆる  普通の家族  の話をしている時に、わたしは何を言えばいいんだろう?どこまで虚偽の申請をすればいいんだろう?となってしまう。戸籍通り現実の通りに話せば、わたしの家族の話は父の話だけで終わってしまうし、それについて授業で話せば クラスのみんなが わたしの家庭が複雑であることをわかってしまう。わたし自身に自分の家族のことをカミングアウトする意思があるかないかに関係なく全員に知られてしまうのは けっこう暴力的だと思うし アウティングというやつでは......という気持ちになる。だからって同じ家に母も父の妹も住んでいることにして話してしまうのは 今までの自分としんどさとか葛藤みたいな何やかやをないがしろにしているみたいであんまりやりたくないし、そもそも「お母さんは暇な時間に何をしていますか?」と尋ねられても「知りません」としか答えられない。

  日本では家族のこみいったことなんかはあんまり聞かないし聞かれるまで話さないし、自分から話すのは信頼の置ける人に限定されている。多分外国では日本よりもずいぶん離婚率も高いし婚外子やひとり親も多いのだろう。その分 子供達も折り合いをつけやすくて、わたしみたいに ハタチ直前になってようやくちゃんと親に感謝できるようになる みたいな事態も少ないのかな、と想像する。だから家族について尋ねられれば迷いなく答えられるのは当たり前で、むしろいちばん当たり障りのない話題とされているのだろうな。

 

  どうしてこんな話をしているかというと、今日の授業で「自分の家族について原稿を作って話す」という課題があったからです。こういう課題は大学で1年目の初めに散々やったのだけど、2年目も半分を過ぎた今回は、自分の言いたいことや事実を過不足なくサクッとロシア語にまとめることができて、うーん、なんというか、本当に、自分で自分に救われてしまいました。「ここまで言えれば全然しんどくないな」と思えたし、ここまで自力で辿り着いた自分が誇らしかった。多分わたしはもうこの話題で悩まないだろうな、と感じていて、それってたぶん思いの外最高なことではないでしょうか。やったぜ。

 

  あとはサーシャが言っていたことで、「日本人はペットのことは家族に入れて語るのに祖父母のことは語らない、ロシア人は必ず祖父母の話をする」というのが「核家族だ!!!」となって面白かったです。文化の違いだな〜〜

 

  そして授業が終わってからなんとなく女子のグループについて行ったら駅を間違えまくった挙句もういっかい赤の広場に行くことになってしまってめちゃくちゃくたびれてしまった。ノーと言わなければならない、その能力が減退しているのをひしひしと感じます。でも昨日のしんどいしんどいは少しマシになった、たぶん。

追伸・お金のことと友達のこと、生活と旅についてを書きたい、これは備忘です、だらだら書いていたら22:40とかになってしまった、おやすみなさい。

 

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