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勘弁してくれ.com

【お知らせ】生き延びるだけでは足りなく感じるわたしたち

 

        CINRAが主催する、自分らしく生きる女性たちを祝福するウェブマガジン・She is の公募作品としてわたしの文章が掲載されています。テーマは「お金と幸せの話」。苦しく長い話ですが、これを書くことができてよかったと思います。ぜひ読んでもらいたいです。よろしくお願いいたします。

 

 

 

        さて、実はこの記事のもとになる文章はまさに19歳の冬に書いてこのブログにしばらく掲載しており、あまりに折り合いがつかないことだったので2日ほどで公開を取りやめていた。いま思えば、文章ではなくて排泄したものを公開しているような後ろめたさがあったのかもしれない。

 

        She is の9月特集「お金と幸せの話」というテーマを見て、真っ先にこの出来事を思い出した。2年弱経ってもう一度その文章をひっぱりだしてみて、根幹となる出来事の捉え方や考えは少しも変わっていないこと、だけどわたし自身のスタンスが随分柔軟になったことがわかった。これならもう一度、排泄としてではなくひとつの文章として書くことができる、と思った。それで、さまざまを削ったり足したり手直ししたりして、原稿を送った。

 

        この記事が掲載されることになって、題材となった友人と電話で話した。彼女を題材にした文章を「書く」ところまでの自由はわたしにあるが、それが公開され、多くの人の目に触れるにあたって、わたしは彼女に対して誠実でありたかったし、彼女を「ネタ」として消費したいわけでは絶対にないことを、世界でたったひとり、彼女にだけはわかっていてほしかったから。

 

        彼女に電話をかけると、彼女は「何か重大なことがわたしの身に起こったのか」とすごく心配していて、可笑しくてあたたかくて涙が出そうだった。

        彼女は「なんだそんなことか」と言った。「おめでとう、よかったねえ、読むの緊張するな」とも。そういう率直さや思いやりにずいぶん救われて7年も8年も一緒にいるのだと思った。

 

        救いといえばもうひとつ、記事が公開されてから、ご自分の秘密をそっと打ち明けてくださるようなメッセージを思いがけずたくさんいただいた。

        「つらかったでしょう」というものもあれば「つらかったです」というものもあり、それらは時間をかけてわたしをじわじわと温める僥倖だった。

 

 

 

         お金と道徳と頭と心、ばらばらなようでぐちゃぐちゃで、だけどそれらなしには生きていかれなくて、どうにも折り合いがつかないでいる。
臆病なくせに欲張りなじぶんのことを、自分なりに気に入っていたはずなのに、急になんにもわからなくなってしまって、ちょっと途方に暮れています。

        2年前の冬に途方に暮れていた少女はもういない。21歳のわたしは未来の自分を信用しているから、つまり、21年間の自分の歴史を信用しているから、だからいま、張り切ってくよくよしている。

        くよくよの旗を立てたから、いつでも戻ってきて、また歩きだそうね、ねえ、わたしたち、そうしようね。