移動祝祭日

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終わってしまった青春のこと

 

        彼を駅の改札まで見送って、行きはふたりで歩いた道を、今度はひとりで帰った。部屋に入って、さっきまでそこに人がいたことが嘘みたいながらんとした空間を前にして雷に打たれたように「ああ、この青春は終わったのだ」とわかった。溜まった吸い殻と洗い物とNUMBER GIRLの透明少女を最後に沈黙したパソコンが、なんだか出来すぎたお葬式の参列者みたいで可笑しかった。

 

        その日はわたしの家でふたりでナンを焼いてカレーパーティをする予定だった。ナンは「ナンのもと」が売っているので水と油を混ぜてこねればいい。カレーも調理するつもりだったけど、無印良品レトルトカレーを試してみようということになって、陳列棚を物色しているとき、彼は思い出したように「彼女できてさあ」と言った。わたしは、おめでとう、と思ったから、そう言った。

  彼は鮮烈な人間だ。鮮やかで忘れがたい、だけどつかみどころのない、芯を持っていてだらしなくて、つまり、とびきりチャーミングな人。そんな彼に恋人ができたのはとってもいいことだなあ、と思った。

 

  だけど一人になった途端、アー、わたしは友達を一人亡くしたんだなあ、と思ってしまった。失くしたんじゃなくて、亡くした。不慮のことだった。なんだかすごくショックで混乱していて、「社会」みたいなものに馴染めないくせにとりあえず迎合して、そんな風に思った自分にもショックを受けた。

 

  別に彼はわたしのことを「そういう」感じで見たことはないだろうし、わたしだってそうだった。ただふたりでいたら気安くて楽しかったから、そうしていただけだ。

  それなのに、わたしたちは、男と女だから、多分もう今まで通りではいられないだろう。恋人がいる男の人と、密室でふたりきりになるのは良くない。もっと言えば、ふたりでご飯を食べたりお酒を飲んだりするのも良くないし、ふたりで遊びに出かけるのも良くない。彼の恋人がいやがるのなら、わたしにできることなんて何一つない。そんなのあんまりじゃないか。だけど、そういうものなんでしょう?それが良識なんでしょう?

 

  そもそも異性とふたりで遊びに行ったりすることのハードルが高い界隈があることも、わたしはちゃんと知っている。「ふたりで3回もご飯行ったのに」とか「ふたりで何回も出かけたから」とか、そういうことが大きな意味を持つことがあるってことも、ちゃんとわかっている。でもわたしはそこにはいないから、安心しきって、人間の彼らと、楽しく遊びまわっていた。

 

  でもいざとなると「わたしはそこにはいないから」なんていうのは、ただの驕りだった。わたし一人が外にいたってしょうがなかった。彼が選んだその人がその界隈にいるなら彼はそれを尊重するだろうし、わたしだって恋人を尊重する彼を尊重したい。もっと遡るなら、そもそも「人間の彼ら」がわたしにとって異性であることは、彼らが人間であることと決して切り離せない。「人間」の方がえらくて「異性」であることが狭量だなんて、よく思えたもんだな。

 

  とにかくわたしはズタズタに傷ついていた。何にも答えが出ていないのに勝手に傷ついている自分にも傷ついて、なんだか虚しくってたまらなかった。

 

  ふたりだけで無敵な気分で楽しかった青春はおわってしまった。これは可哀想とか可哀想じゃないとかそういう話ではなく遅いか早いかだけの問題で、どうせ避けては通れなかったし、これから先何度も似たような思いをするだろう(そしてそういう思いをさせるかもしれない、嫌だけど)。

 

  それでもきっと、どうしてもやめられないだろう。わたしは人間を愛することを、どうしてもやめられない。やめないし、やめなくていい。

 

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  という下書きが残っていて、多分これは去年の夏のことだと思うんだけど、当時のわたしがどうしてこれを公開しなかったのかはなんだかわかる気がする。

 

  今これを公開しようと思ったのは、彼との青春が終わらなかったからだ。彼は全然変わらなかったし、わたしも変わらなくてよかった。彼の努力の賜物なのか何なのかわからないけれど(多分そう)、今でもわれわれはハッピーに遊んでいる。

 

  凝り固まっていた自分を反省するとともに、得難いものを得たのかもしれないと、感激もしている。

        とはいえ、全部が解決したわけでもない。わたしは確かにそういう、性別でさまざまが隔絶されてしまう世の中を、理を、生きている。

 

  だからこそ「人間を愛することをやめない」って書いたわたしは偉かったし、これからもやめないぞ、と、ここにもう一度、ちゃんと書いておこうと思う。