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高校のこと

今週のお題「卒業」

 

おはようございます、窓際です。

高校を卒業してから1年が経とうとしています。ワオワオという感じ。じつはわたしは高校を卒業できるかめちゃくちゃ危うかったのです。それは出席日数が完全に足りなかったからなのですけど、わたしが高校で学んだのは 大人のひとにマジの感謝をすることと、しんどい時にはしんどい顔をしてしんどいって言っていい  ということでした。その話をします。今週のお題的に間に合っていない気もする。でもその話をします。

 

高校2年生のときに、両親が離婚しました。離婚が成立したのはそのときだったけど、彼らがいがみあい始めてからは7年 別居しだしてからは3年が経っていました。離婚は いわゆる泥沼で わたしが高校1年生のときからずっと裁判と調停を繰り返していました。 まあ ありきたりな話だとも思うし、家の荒れ具合でいうと 裁判や調停が始まる前 つまり中学生の頃がいちばん荒れていたので なんであのタイミングだったんだろう  という感じもするのですが、高校2年の途中から あんまり学校に行けなくなってしまいました。最初にガタガタッと崩れたのはたぶん夏休みが明けたぐらいで  そこからは1週間ちゃんとフルで学校に行ったことってあんまりない気がします。あんまりおぼえてないけど、そのころってたぶん  離婚が成立するかしないかぐらいで  父親には彼女ができて家に帰ってこなくなって  それを知った母親から「新しいお母さんとお幸せにね、もうわたしの家庭に関わらないでください」みたいなLINEが届いて  みたいなタイミングだった記憶がある。そのあとはいろいろなタイミングで体調を崩していた。いまでもなんであんなに学校に行けてなかったんだろう というのはよくわかってないんですけど、とにかく「学校に行ってる場合じゃない」っておもっていたのはおぼえています。世界中の誰もこっちを向いてくれてないと思っていた。家にいてもずーっと情緒不安定で  よくわからない泣き方や思いつめ方をしていた。しまいには耳鳴りがとまらなくなって眠れなくなって 生活リズムがはちゃめちゃになったりしていました。

 

それで  何がいちばんしんどかったって、自分がサボっているだけなんじゃないかって思ってしまうことで、学校に行ったら行ったでそこそこ元気なので  新しくクラスメイトになった男の子に 学校に行ってないことをアウトロー芸人としてからかわれたり、やっとの思いで教室に入ったら わたしの机の上に 違う子の教科書が山積みだったり   親の離婚や家庭の不和みたいなありきたりな理由で  もっとつらい人や頑張ってる人もたくさんいるのに 自分だけが被害者みたいな顔して学校に行かなくなったりしてるの めちゃくちゃアホでは? と思ってしまったり  まあつまり 自ら深みにはまっていっていました。 担任の女の先生が 「お母さんのいない子」として 必要以上に食事や家事のことを気にしてくれるのもいやだった。

 

 

それで  高校2年生は前半ちゃんと学校に行っていたので進級できたのですが、高校3年生は序盤からめげていたので 常に出席が危なくて  しかも進学校だったので進路も決めないとだめで  というか周りのみんなはもう目標を決めてとっくの昔に勉強を始めていて  それなのにわたしは  大学行かないとだめなんですか?こんなにしんどいのに?みたいな感じで うだうだぐずぐずしていました。

 

それでも ある女の子に誘ってもらって  カウンセリングに通いだして  部活にもちょっとしばらく休みますということを言って  興味のある職業の専門学校をぼんやり調べてたら 「アーでも これは大学に行っといたほうがいいやつだな」と思って  勉強をはじめて  ちょっと気持ち的には落ち着いて  まあそれでも体調の波には抗えずにぽつぽつ学校を休んでいたら ついにあと1回この授業を休んだら卒業できませんというところまでいってしまいました。 そもそもわたしのいる県の公立高校では ひとつでも単位を落としたら会議にかけられて  事情が認められなかったり 成績が悪いとその時点で留年になったりもするという感じで 、 幸いわたしは成績はパスしていたし事情も認めてもらえていたのですが、  それでもその落とした単位の合計が13になると どこの誰がどうがんばっても卒業できなくて それを12まで落としていたということなんですけど  まあ結果的には  ちゃんと卒業できたんですよね。

 

先生たちはみんなお金をもらっているから、仕事だからしかたなくわたしに優しくしてくれているだけで  父親も母親もわたしより大事なひとがいるんでしょ、それでもあなたたちにはわたしに対する扶養義務があるんだからよろしくお願いしますね  という感じでやってきて、だからそれまで大人のひとにマジの感謝をしたことがなかったんですけど、高2高3と 2年間担任をしてくれた先生に  うまれてはじめて マジの感謝をしました。わたしの知らないところで、わたしが卒業するために、それはもちろん仕事だからなのですけど、いろいろ動いてくれていたんだろうなあ、休みが続くと頻繁に電話をかけてきてくれて、叱られたし励まされたし  やけになって「破滅したい」としか言わなくなったわたしの背中を 辛抱強くおしつづけてくれたし  進路のシビアな話をしてくれて(今のあなたの実力ならこの大学はもう無理、ここなら手が届く、ここは大丈夫  みたいなやつ)  年賀状には「あなたの人生の本番はここからです」と書いてくれて、本当に救われました。

 

そう考えると、学校に行ったらちゃんと友達がいて 授業のノートを見せてくれたり 行事の班分けの仲間にそっと入れてくれていたり  保健室のカウンセリングに申し込んだらどうかと誘ってくれたり、とことん話を聞いてくれたり  その逆に 何にも聞かないでいつも通り遊んでくれたり  いろんなやりかたでたくさんの人に助けてもらっていたなあと思います。電車で過呼吸になって ホームで休んでいたわたしに 同じ電車に乗っていたサラリーマンのひとがわざわざペットボトルのお茶を買って戻ってきてくれたこともずっと覚えています。いまこの瞬間は世界に大事にされてると思いました。自己肯定感というか。

 

なんでみんなわたしにこんなによくしてくれるのかな、優しくされていいのかな、気持ち悪くないのかな、こんなものを受け取っていいのかな  という戸惑いはすごく大きかったけれど、それ以上にほんとうに嬉しくて、ああ、これが感謝ってやつなのか  自分のなかから自然とわきあがってくる感情が人に向かうのってすごいな  と思いました。

 

そういう意味では、現役で第一志望の大学に入ることができて  そして大学ではちゃんとフルで単位を取っているので 少しは恩返しできたのかなあと思う。えらい!

 

あとは  カウンセリングに行ってみて 、しんどい時はしんどい顔でしんどいって言っていいんだ、むしろどちらかというとそのほうが良いんだ ということを学びました。わたしが周りの人から勝手にサボってる認定 されたり、自分のことをそう思っていたのは、へらへらしていたからなんだな〜〜ということなんですけど、なんというか、扱われたいようにふるまわないと へらへらしているだけではただの自虐・自嘲になってしまうし、それはちゃんと話を聞いてくれようとするひとに失礼で  しかもわたしも大きなチャンスを逃すんだな  ということに気づいたのでした。扱われたいようにふるまう  というのは たとえば気遣われたいなら気遣ってほしいと表明する  ということで  わりと諸刃の剣なんですけど、すくなくともあの環境、あのしんどさのなかでは必要なことでした。

 

カウンセリングや保健室の先生と話すなかで  「わたしはわたし個人のしんどさを持っていていいんだ」  と思ったし、頭の固い女子高生を  とにかく全肯定してそのフェーズまで辛抱強くもっていってくれた先生たちのことを、たぶんずっと忘れないと思います。いま思うと、この経験のおかげで ほかの人の話の聞き方がずいぶんかわったなとおもいます。その人の話としてちゃんと受け取れるようになったというか、自他の区別がついたんですね。

 

 

「仕事だからこれだけやってもらってあたりまえ」とか、「仕事なのにこれだけやってくれてすごい」とか  そういう話ではなくて、大人たちが仕事という枠の中で  せいいっぱいわたしのためにできることをどうにかこうにかやってくれた んだ ということに気づいて、道徳の授業じゃないところで  自分のなかから 感謝のきもちが湧いてくるのを経験できたのは めちゃくちゃ大きいことだったと思います。 いい高校だったなあ

 

とはいえ、なんだかんだタイミングを逃してしまって 1年間1回も先生たちに会いに行けていないので 2017年にやりたいこととして ことしは 高校の先生に会いに行きたいと思います。

 

 

 

おわり!