2月22日(木)
昔から偶数が苦手で、だから「2018年2月22日」みたいな字面に居心地のわるさを感じる。字面に影響を受けるのも昔からで、未だに18:00と20:00や14:00と16:00を混同したりする。「おなじ色だから」としか言いようがないのだけど、なんとなく共感覚とはちがうと思っている。わたしの脳の未分化な部分。
有名な俳優が死んだらしい。老若男女あらゆる人間が彼のことを知っており、彼の存在を日常の一部にし、だから突然の彼の不在に戸惑っている。
わたしは彼のようになりたかった。彼のような人間になれば、安心だと思っていた。
死について四六時中考えていた少女のあの頃、暗いところで眠れなかったあの頃。大人なら誰でも「どうして死ぬのに生まれるのか」を知っていると疑わなかったあの頃、人生でいちばん無垢で暴力的だったあの頃。
わたしがようやく辿り着いた死からの逃避方法は「有名になること」だった。有名になったら、みんなが覚えていてくれて、なかったことにならない。悲しみは分担できるのだと思っていた。
わたしにとって死がいたましいのは、振り返ることができないからだ。やったことがやりっぱなしで終わってしまう。死んだ後で「あそこはこうだったよね」「あのときのはファインプレーだったね」みたいな話ができるなら、死ぬことはそんなに怖くないと思う。人は何かを成して、振り返って、折り合いをつけて、また次に進んで、そうやって生きていく、そうやって営んでいく。
有名になったってならなくったって同じことだ。人は忘れるし不在に慣れる。振り返って折り合いをつけて進んでいく。振り返らないということはそれ以上進まないということだ。
最近人とよく会って話し、お酒を飲んでいる。話し過ぎはわたしの悪癖で、あとからじわじわ落ち込んでしまう。疲れもあるのか、自分の中に何かが沈殿しているのを感じる。澱とでもいえばいいのだろうか、だけどもこの澱は、やはり人と話さなければ霧散しないので、つくづく1人で立っていられないのだなと思う。
今日こそ唐揚げを作ろう、と思いたって鶏肉を解凍している途中で電話が鳴る。母親から一緒に晩ごはんを食べないかと誘われる。彼女とは正月から会っていなかった。鶏肉を冷凍しなおして、40分電車を乗り継いでいきつけのバーに行き、今度こそ唐揚げを食べる。
ずいぶん真面目な話をしたしずいぶんまともなことを言われたので驚いた。何も覚えていない、何も考えていない顔でへらへらするのはわたしが彼女にできるほとんど唯一といっていい思いやりなので困った。
手編みのマフラーをもらったので巻いて帰ったけれど母の家には犬が2匹いて、わたしは重度の犬アレルギーなので発作が出て悲しかった。かわいい犬は母がわたしを手放す代わりに手に入れた自由のうちのひとつだ。彼女は14年我慢した。
大学から進級が認められた旨の連絡が入ってうれしい。3年目にしてようやく平日に休みが作れそうなのでわくわくする。大学生活がモラトリアムだというのは嘘だ。
将来のことをうじうじ悩んでいるけれども「将来」というほど遠い話ではなく、実際のところもうほとんど答えは出ていて、あとは状況が許すのか伺っているだけだ。状況が許さなくてもわたしはわたしのことを許そうとおもう。
居心地の悪い一日があったとして、そういう日にも地球がまわって勝手に奇数の日にすすんでいくのは救いだ。ひとりの家で自分の生活を営むうちにそういう日をやり過ごす。そうやって大人になる。