移動祝祭日

勘弁してくれ.com

1日目

        事務手続きの日。朝ごはんをカフェで摂って(バイキング、無料、コーヒーが美味しい、チーズが布みたい 映画で見たことあるやつ!と興奮した)  f:id:skr8823:20170902060550j:image

ロビーに集合し、大学の先生の説明を受け、ダーチャという女性に引率してもらって SIMカードと交通券(тройка)の購入をして 大学へ。わたしはSIMカードは不要だったのでふらふら歩いていた、ロシアのショッピングモール 物が多い! тройка はこれさえあれば路面電車や地下鉄に乗り放題というもので1ヶ月で4000円ぐらい。大学へはホテルから2キロくらい歩いて路面電車に乗って向かった。 天気がすごく良くて、秋のワンピースの上にセーターを着て出たのだけどセーターは全然要らなかった  汗をかいた。道が広いし建物が大きくて ミニチュアの人形になった気分だった。ロシア人はめちゃくちゃスタイルが良くて造形もしゅっとしていて、 絵になるというかサマになるというか そしてそのことに無自覚なのでどこか無垢で純朴で、めちゃくちゃ美しくて尊い一瞬を目撃した気持ちになる。

 

       事務手続きがあらかた終わったら解散になって、友人たちと提携先の大学であるМГУ(えむげーうー と読む 間抜けですき)の1番古い校舎をふもとまで見にいった。もはやお城f:id:skr8823:20170902060725j:image

学生証が届いたら中に入れるっぽいので楽しみ。 それから友人の銀行に着いて行って、スーパーマーケットでアイスクリームを買って帰宅。アイスクリームは大きくて濃くておいしい!

 

        夕方は時差ボケで頭が痛くてめちゃくちゃ眠くてしんどかった。6時間は大きいな〜〜   しばらく部屋でごろごろしたら 女子6人でモスクワの中心部で晩ご飯を食べることになった。このころになるとセーターを着てちょうどという感じ。地下鉄を乗り換えて 新アルバート通りというところに出る。晩ご飯はリンゴを包んだピロシキがおいしかった。濃いシナモンにトロトロのリンゴ!  ピッチャーでビールを飲む人や水タバコをやっている人が多くて驚いた。晩ご飯の後は通りを歩いた。アホみたいなネオン でも喧しくはなくてなんか一枚膜を張ったディストピアおよび近未来という感じ。路上での演奏がめちゃくちゃ多くて芸術への土壌を感じた、あとブランコが道端にけっこうな数あって面白かった。

 

日本との時差がおもしろくて、怖くてたまらない感じがする、とりあえずくたくたなので元気になったらいろいろ考えたい。

 

避暑留学 移動

        8月31日12:38です。路面電車のなか。f:id:skr8823:20170831183803j:image

昨日の話をします、昨日は移動の日。朝6:30に家を出て(結局6:00はムリだった)コンビニに寄って化粧落としを買ったりして、お父さんと一緒に空港へ。ターミナルビルで1時間かけて外貨の両替とWi-Fiのレンタル。500MBがよく分からなくてつらかった。全ての手続においてお父さんはわたしの一歩後ろにおり、お金を払うだけという感じで、それをめちゃくちゃ心細く感じたけれど そういえばわたしはもう20歳で、こういうこともちゃんとできるようにならないとだめなんだな、と思った。そういうのって大人になったら自動的にできるようになるんじゃないのかよ、話が違うんじゃねえかよ、お? というのは冗談で、わたしは様々な事柄において1度目はビビるけど2度目以降に強いというアレがあるので次からは大丈夫だろう、ウム。それで、締め切りぎりぎりにチェックイン。一緒に行く子たちの中で最後だった、ワオ キャリーケースの預け入れや発券のあいだは見送る人も並んでよくてほのぼのしているのにそれを済ませて手荷物検査に移る時に急に別れなければならないのでいつもびっくりしてしまう。わたしが列に並び、お父さんは列の外から、気をつけてね、いろいろ失くさないようにね、達者でな、みたいな話をした。最後に振り向いて手を振ったあと めちゃくちゃ泣きそうになってしまった。すでにホームシック なんというありさま!
検査を終えてゲートのところに行くと同じ専攻の皆さんが揃って座っていた。荷物わかんないよね〜〜とか、寮の情報なさすぎないか?!??!とか、そういえば久しぶり!とか、そういう話をしていて、まあ こんなに安心な留学もないよな、と考えたりした。友人たちと一緒に大学間提携の1ヶ月の留学。ひとりで旅行に行ったり留学に行ったりするよりはるかに安心、初心者向けだ。

        ロシアへは韓国経由で行く。韓国まで2時間、客室乗務員の人たちは日本語を話せる人も多いのだけど、なぜか絶対に韓国人に間違えられて韓国語で話しかけられる。困っているとパッと日本語に切り替えてくれるので、だからどうということは全然ないのだけど、自分がアジア人に見えるのだということを痛感する。 睡眠不足もあって、搭乗即就寝してしまい、座席の前に「お目覚めですか?機内食やその他のサービスが必要でしたらお気兼ねなくお声がけください」みたいなシールが貼られていて恥ずかしかった。お目覚めです!!

        韓国で乗り継いでロシアまで10時間、後ろの座席に小さい子供が乗っており、めちゃくちゃ座席を蹴られる。まあでも、10時間じっとしているのもじっとさせるのもしんどいよな…としばらく我慢する。座席の前の画面にフライトの残り時間が表示さるているのが助かった。なんとなく10時間待つのと後どれくらいかわかって待つのとでは全然ちがう。 

        スティーブン・ミルハウザーエドウィン・マルハウス を読む気でいたんだけど強烈に眠いのとなぜか機内がおやすみモードで暗くなってしまったのとで60ページぐらいしかすすまない。おやすみモードが終わった後の熱いおしぼりのサービスがうれしかった。機内食 なぜかわたしだけ飛ばされて心細い思いをした。チキンを頼むと韓国風の辛いシチューが出てきて、からい!あかん!おいしい!むり!からい!うまい!をひとりで繰り返すなどした。 全体的にサービスが行き届いていて、去年の夏にやったはちゃめちゃなオーストラリア旅を思い出して 格安航空アカンな……と思ったり、モスクワに着く頃には日本時間23:00ごろなんだけど、雲の上を飛んでいるのでずっとめちゃくちゃ明るくてどうにかなってしまいそうだと恐れおののいたり、移動に費やした1日って空白という感じがするんですけど、お父さんや友人はいつも通りしっかり1日を過ごしたんだなあとか いろいろ考えました。
空港に着いたらモスクワ大学の人たちが待っていてくれて、バスで2時間くらいかけて宿泊するところへ。寮で、3人にひとつ共有スペースがあると聞いていたのですが、なんというか、ホテルだった。朝ごはんは無料ならしい。2人部屋で、9月に入ったらまた部屋が変わるのであんまり荷物を広げ過ぎないようにいろいろ準備して 洗面だけ済ませてすぐに眠った。ずっと縦の状態だったので横になれてうれしかった、体がバキバキ鳴っておもしろかった。横は最高。時差で6時間よけいにねれるのでハッピー!

避暑留学準備

        友人たちに、夏に1ヶ月間ロシアに留学に行く という話をし、その流れでうっかり「遊びにおいでよ」などと言おうものなら(実際に遊びに来られてもわたしにはどうすることもできないのだが、形式上のジョークとして)、「行くわけない」だの「怖い」だの 「誰が好き好んで」だの「おそロシア」だのと、えらい目にあう。 わたしも自分で選んでロシア語を専攻しているわけではないのだけど、そこまで言われるとちょっとぎょっとしてしまう。ちなみに  おそロシア  そこまでうまいこと言えてないからな。!

        わたしの ロシアに対する印象は 良くもなければ悪くもなく、まあ1年半にわたるロシア語の授業で実際にロシアを専門にしている教授たちの話を聞いて、写真を見せられアイスクリームの美味しさを熱弁され、魅力を刷り込まれた結果、1ヶ月くらいなら行ってもいいかな、というくらいには好意的になっているのだろうけど、だから彼らの拒否反応が一体どこからくるのかよくわからない。エッ、行ったこともないのに?と思ってしまう。彼らがなんの余地もなく選択肢を消してしまえるのがおもしろいし、もしそれが 「ロシアのことがよくわからない」みたいなところからくるんだったらちょっと勿体無い気もする。それは地球のどこに対してもそうで、つまりきっとわたしは旅に向いているのだ。

 

        さて、とはいえ実際にロシアに行くにあたって、よくわからないことだらけだったのも事実で、その辺を軽く備忘録としておさえておきたい。日本に帰ってきてから答え合わせするのが楽しみ。

 

        時差やビザ

時差は6時間、日本の方が早い。日本が正午のときロシアは朝の6時。ビザは旅行会社に任せたので正直よくわかっていないんだけれど、必要なのは確かなのと、手数料が無料になったというようなニュースを最近聞いた。

 

        1ヶ月間分の服

荷物はいちばん悩んだ部分で、1ヶ月分てなに?!?気温は!??となって大変だった。とりあえずリストアップしてみる。

・ジャンパースカート 4着

・ボーダーの長袖シャツ 3着

・秋物の羽織り(薄手)

・秋物のシャツ

・スカート 2着 (うち1着はパジャマにすると思う)

・セーター 4着 (厚さと色の違うもの。寒かったらジャンパースカートやワンピースの上にすっぽり着る)

・マフラー

・下着と靴下 2週間分 (いろいろ覚悟している。)

・夏物のワンピース 1着

・秋冬のワンピース 3着

・フォーマルめなワンピース 1着 (劇場に行く時用、スカーフも持ってきた)

・靴  (普段履いているマーチンの革靴と室内及びお風呂用のサンダル)

 

9月のロシアは平均気温が15度  朝晩は息が白い  半袖でいける日もある  寮の洗濯機はオンボロ という情報を元に、できるだけ着回せて体温調節のできそうなものを詰めた。ジャンパースカートは最強、気に入ったものを色違いで買いがちな悪癖を今回ばかりは許した。全体的には量が多かったかな〜〜と反省している、スーツケースが悲鳴をあげていた……  帰りの圧縮袋も忘れずに。

 

        非常食

・お湯や水で戻るタイプの米  3食分

・コンビニで売っているちっこい醤油

・塩 1瓶

・インスタントの味噌汁 だいたい10食分

・ふりかけ  15袋くらい

・鍋 (鍋!!)

・使い捨ての皿とカトラリー

 

向こうでは大学の寮で生活するので、ほとんど自炊になるような気がしていて、日本食シック対策というよりは 「体力的精神的に今日は本当にマジ無理……」という日のわたしが助かるようなものを選んだ。米を水で戻してふりかけをかけ インスタントの味噌汁を飲む。量が多めなのはまあみんな食べるかなと思って。鍋や皿があるのは 先輩からの前情報として調理器具がなにもないよ!!というのがあり、恐れおののいてみんなで手分けした。使い倒したあとは置いて帰ってくるつもりでいる。

 

        お金

キャッシュカードは情報管理の面でちょっと不安があることと そもそも使える場面が少ないこと、大学の授業料や宿泊費を現金で請求されること、夜遊びをした時に財布をなくして銀行口座をストップさせていることから、全額現金で持って行くことにした。ウワー大丈夫かな、めちゃくちゃ緊張しています。

22万円をルーブルになおして3万円をドルに。そのうち15万円分くらいが大学に支払われるので、まあ1ヶ月の生活費として5万円と お土産代や消耗品を買うことを見越してすこし多めに用意した。

日本では直接ルーブルに換金できるけれど、ロシアではドルからしか換金できないのと、最小金額?っていうのかな、がユーロよりも小さいのでドルを一応用意した、あと1ドル札はチップに便利とも聞いたことがある、チップを使うようなところに行くのかは不明ですが……

換金所はいたるところにあり、最小金額以外の点ではユーロとドルに利便性の差はないらしい。

レートをメモしておくと

1ルーブル 2.36円   1ドル 111.14円

結局 ロシアで一人暮らし みたいな生活になると思うので 家計簿をしっかりつけること!ハイ

 

        インターネット

ロシアは日本と同様あんまりFree Wi-Fiをあてにできないらしい。SIMカードの購入も考えたけれどしくみがぜんっっぜんわからなかったのでイモトのポケットWi-Fiを借りた。空港で当日で大丈夫。1日500MBで30日パック23,000円、これに保証をつけて32,000円。1日500MBということは30日で15Gなのでかなり大容量、ヒュウ!

それからロシアの大部分ではLINEが使用できないとのことで、両親にはSkypeをインストールしてもらってメールアドレスも伝えた。ほかの人々は、俗世から離れて異国で生活するという意味でも、まあいいか という感じ。のっぴきならないことがあればどうにかして連絡をしてくれることでしょう、TwitterInstagramも使えるし。

 

        コンセント

ロシアのコンセントはヨーロッパC型。変換プラグはエディオンで200円で売っていたけど空港のコンビニエンスストアでも売っていて驚いた。iPhoneMacBookの充電にしか使わないので変圧器は不要、ドライヤーは対応の小型のものを購入しました。

 

        勉強道具および娯楽

月火木金と朝から3限授業を受けて、水曜日は自分の研究を進める(課題研究があり、わたしのテーマは身体語彙を含む慣用句の日露比較)、土日は休み というスケジュールなので ほんとに一人暮らしのロシアバージョンという感じ。モスクワから出てはいけないという決まりはあるけれど平日の午後や土日は完全に自由行動っぽい。途中で小旅行もあるとか……

勉強道具の指定がなにもなかったので

・薄いノート数冊

・研究社 露和辞典

・初級ロシア語の問題集

・普段の授業のノート

・ロシア語の単語帳

を持ってきました。娯楽のお供としては

・チェキ (フィルム62枚分)

写ルンです 39枚撮り 2台

・本  たくさん  

お笑い番組iPhoneにダウンロード

Spotify

という感じ。今になってチェキや写ルンです もうちょっと枚数要ったかな〜という気持ちになってきた。本は移動時間が長いので (日本から韓国まで2時間、韓国からロシアまで10時間) もってきました。寝かしつけや暇つぶしに役立ってくれることでしょう、しかし重い!

 

というくらいかな、まあモスクワはロシアの首都なので 足りなければ足りないでどうにかなるだろうとも思っています。 日本でも一人暮らしをしたことがないので、緊張しているけれどとっても楽しみ。平日の午後を使ってモスクワ中を歩き回るぞ!という気持ちです。

 

避暑留学  準備編はここまで。どこかの誰かの役に立ったらいいけど、9月に1ヶ月モスクワで生活するには、というけっこう限られたアレなのでどうなのかしら。 とにかくこんな感じです。これを書いてるうちに向こうでの生活がより想像できてワクワクしてきました。そして着きました、いま18:52です。ひゅう!

 

避暑留学

  こんばんは、窓際です。8月30日ですね。ついに今日、ロシアへと旅立ちます。現在の時刻は午前2時11分、先ほど荷造りを終えたところです。ダメウーマン。朝になったら手荷物の最終チェックをし、身支度を整えて空港へ行き、外貨の両替とWi-Fiの契約を済ませ、搭乗手続きをして、日本のみなさまさようなら ということになります。

  この留学はわたしの大学とモスクワ国立大学(мгу)との提携で、期間は一ヶ月間、授業料や宿泊費、交通費込みでかかる費用は40万円弱、わたしにとって初めての留学であり、初めてのロシア、初めての長期滞在です。遠くへ行く時はいつもそうなのですが、自分が無事に帰ってきている様子をあんまり想像できないというか、端的に言えば生命の危機を感じてしまうんですよね。まあでも、いろんな人に「生きて帰ってくるよ!」と宣言しておいたので、生きて帰れると思います。君は生き延びることができるか。わたしはできる!

 

  時間も時間だし朝は6時に家を出たいのであんまりだらだら書くのもなあという感じなのですけど、なんというか とにかく楽しんできたいと思います。勉強するためだけに1ヶ月間異国にいられるのってすごい体験だと思うし、ロシアって平均気温が15度くらいだとかで、友人に避暑留学だねなんてことを言われ、なんだかんだそれを気に入ってしまったので、そういう気持ちで、柔軟に軽やかにいろいろ見てきたい。もちろん勉強しに行くんですけど、多くの先生方が言うように  たった1ヶ月でどうこうなろうなんて無理、それよりいろんなものに触れて、たくさんのことを感じてこれからにつなげていきたいな。この留学についてこまごまメモしておきたいことは移動が始まってからにします。

そして3月の海外研修の記事の更新を4日ぐらいでやめておいてアレかなとも思うのですが、今回の留学のこともちゃんと更新してゆきたい。します、ウム。

それでは、行ってまいります。ヒュウ!

 

東京にいく

        突然ですが、東京に行ってきます。いまは新幹線の中です。日帰りなんですけどね。ワハ   お手伝いしているバンドの東京でのライブに出演することをめちゃくちゃお願いされて、めちゃくちゃ断ったんですけど、新幹線代を出すと言われて、あなたが出てくれればすべて丸く収まると言われて、渡航1週間前をきっているのに、行ってきます。おひとよし!

 

        東京に行くのは去年の10月にGalileo Galileiの活動休止ライブを観に行って以来なんですが、あれはめちゃくちゃ楽しかったな、平日で普通に大学があったんですけれど、知ったことか!ガリレオの活動休止より大ごとがあるか!と思ってチケットを取って、友達とは現地集合だったのでひとりで飛行機に乗って行ったのでした。そのまま安いホテルに泊まって翌日はベタな観光をして  大学生の自由を噛み締めたな〜〜  いい催しでした。

        東京ってやっぱり言葉自体に強い力があって、ステイチューンのパーリナイも東京だから絵になるけどそれが大阪や名古屋だったら全然お話にならないし、東京にしかないものってたくさんあるように感じるし、だからいっかい東京に住んでみたいな、1年くらい。それで挫折するならするで、とりあえずいっかいやってみたい。モラトリアム延長の券はどこで買えるんでしょうか。

 

        今回は新幹線で移動しているわけですが、これがなぜだかめちゃくちゃ緊張してしまって、だけど乗ってみたら呆気なくて、チケットを取るのも飛行機よりもよっぽど簡単で  なんだか不思議な感じがしています。たぶん新幹線に乗ること自体が小学1年生以来とかで、家族と一緒の大旅行のイメージがあるからだと思う。そういうのをちょっとずつ更新していって新幹線もいずれほんとに大したことないってなるのかな、寂しい気がしてしまうけど大人ってそういうことなのかもしれない。飛行機はそもそも去年の夏に友人と2人ではちゃめちゃなトランジットをやりながらオーストラリアに行くやつをやってたのでお手の物だった。あのときは遺書を書くほどコチコチになって出発していたのですけどね。

        あとまた別の話ではあるのですが、わたしは新幹線の駅の外や空港の待合室のよそよそしい感じが大好き、特に早朝は最高です。みんなこの場から始まっていく  誰もここが終着点ではない感じ。普通の電車の駅とかだと出発前の余白みたいなものはほとんどないから やっぱりこの雰囲気は独特だよなあ、空港で働こうかな。空港で働こうかな というのは、いつも空港的雰囲気のところに来ると思い出すけどそれ以外のときはまるっきり忘れていることで、だからまあ空港的雰囲気はわたしにとってけっこう特別なものらしい。

 

       

        さてそうこうしているうちにいまは京都を通り過ぎて田んぼだらけのところを走っています。もうすぐ名古屋に着くって放送のお姉さんが言っている。東京に着いたら楽器を駅に預けて国立西洋美術館アルチンボルド展をみるつもり、だからめちゃくちゃ早起きしてめちゃくちゃ低血圧です。ヒィ   そのあとは上野でお昼ご飯を食べて下北沢の本屋さんに遊びに行こうと思っています。下北沢のライブハウスでライブするなんてバンドマンみたいでおもしろい。ライブが終わったら最終の新幹線で家に帰って 明日は明日でまた別のライブです。大統領かな???というスケジュールのハードさ!がんばります。 では!

 

 

退職

        退職しました。1年半勤めた個人指導塾だったんですけれど、だんだん授業以外のお給料の審査が厳しくなってきて結局ブラックと変わらないのでは、となってしまったり、あとはこの月末からロシアに1ヶ月留学に行って  帰ってきたあとは大学の近くに住もうと思っていることから、退職になりました。夏期講習が終わり次第という感じなんですが、受験生からしたら いまから受験本番というときに大迷惑な話ですね。まあ言うまでもなくわたしはわたしの生活が一番大事なのでどうしようもないことではあるんですけれど。

 

        それで、待遇面や社員の感じをみていると、わたしはけっこう長い間自分のアルバイト先のことを好きじゃなかったんですけど(なにしろLINEグループの名前が「スマイル王国」だったりする)、ではもっと早く辞めておけばよかったのか  時間の無駄だったのかというとあんまりそうでもなくて、それはアルバイト先で出会えた人たちとわたしを慕ってくれる生徒がいるからです。

        率直に言うと、待遇はけっこう悪かったと思う、仕事量は多いし そもそもの授業給は安いし  社員は甘ったればっかりだし。だけど今振り返って考えてみると、まあいいか、と思うのですよね。なぜなら職場の人たちと出会えたから。あの人に可愛がられて、あの人にいじられて、あの人とは一緒にライブに行ったりお酒を飲むような仲になった。この1年半を振り返って、職場の人たちなしの日常はあんまり考えられない。

 

        講習期間を除いて わたしが1年半で担当した生徒はたぶん12人いて、スッと志望校に合格していく子もいれば、最後の最後まで苦しんだ子もいる。基本的には 「落ちてもわたしのせいじゃないけど受かってもわたしのおかげじゃない、最終的に勉強するのは本人」 というスタンスで  言うことを言い、やることをやったあとはわりと軽い気持ちで彼らを見守っていたから、合格した子や卒業した子が持ってきてくれるお菓子の包みや手紙なんかにしっくりきていなかったのだけど、この2月から担当している高3の男の子は 途中で担当を外れることになってしまい、なんというか自分でもびっくりしてしまうほど心残りになっていた。

 

        それで、手紙を書いた。夏期講習は君が思っているよりかなりハードだったので、ひとまず自分を褒めて自信に思ってほしいということ、こんな時期に退職になって申し訳なく思っているということ、しっかり引き継ぎをしたので安心して欲しいこと、わたしは君のことをめちゃくちゃ応援していること、いつでも頼ってほしいということ。ほんとうはだめなんだけど、メールアドレスを添えた。別れの手紙を書いたのは初めてで、「では、お元気で」と終わる手紙を書いたのも初めてだった。

 

        そしたら、驚くことに、その日のうちにお返事がきた。

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わたしが大学でロシア語を勉強しているのを知って、わざわざ調べて ロシア語で「ありがとう」て書いてくれたのかな、3つの言語でこんなにカラフルに大々的に感謝を述べられたことも似顔絵をプレゼントされたことも初めてで、字の汚さも色塗りの雑さも めちゃくちゃ心に刺さってしまった。

全部大好きです。(愛の告白ではありません笑)本当ですよ!! 

と彼は書いてくれたけど、そんな そんなそんなそんな  そんなことがあっていいのだろうか、そんな人間だったのかな そんな講師だったのかな、すごいな、ここで働いて彼の助けに少しでもなれたなら本当によかったな。

 

        「では、お元気で」と書いたわたしに彼が返してくれたのは「また会う日まで  バイバーイ!!」というもので、わたしの1年半やお節介でお人好しな部分を 最後に全部まるっと肯定された気分になったのでした。 至極当たり前のことのようですが、人と出会うってすごいし 誰かの人生に痕跡を残せることってすごい。いい経験をさせてもらったし、あんまりドライに物事を見るのをやめて いろんなことに一生懸命になれそうな気がする。 職場では嫌な思いももちろんたくさんしたんだけど、やっぱりわたしは結果オーライの星の下に生まれてきているんだなあ などと思ったのでした。 ワハハ

 

        追伸: これだけ大仰な別れをしておいて お人好しなので辞めるって言い出せなくて 今日また違う生徒の小論文の添削に出勤します、嘲笑ってほしい。

 

 

煙草

 

        煙草が嫌いだ。公共の空間での喫煙者はテロリストめいているとすら思う。

 

        一番身近な喫煙者は母だ。わたしは彼女が家を出た後、自分の部屋を物置にして 彼女の部屋を寝床にしているのだが、その部屋の壁には不自然に黄ばんでいるところがちらほらあり、それはなぜかというと、彼女が四六時中 煙草を吸っていたせいだ。

        喘息をもっているわたしの目の前で煙草を無遠慮に何本も続けてふかす彼女のことを、いつも冷たい目で見つめていた。ちょっとしたトラウマなのかもしれない。このひとはわたしの体なんかよりも自分の方がよっぽど大事なんだなあ、などと思っていた記憶がある。そんな感傷的なことばかりじゃなくて、ただ単に匂いが不愉快で、煙を鼻に入れて その匂いを嗅いだそばから肺が汚れていくさまがありありと想像できてしまうのが嫌だった。

 

        この前 初めて煙草を吸った。お酒の席のことで、わたしはがばがば煙草を吸う先輩の横に座っており、楽しく酔っ払っていて気分が良かった。何かの拍子に煙草の話になって、「吸ってみる?」と言われて、だから吸った。吸ったんだけど、煙が喉に刺さって噎せてしまう。「やっぱりやめとこうか、ごめんね」と言われて、なんとなく意固地になって、もう一度試してみる。煙草には吸い方があるらしい。喉を閉じて口の中に煙を吸い込み、一拍おいて、鼻からの空気と一緒に肺までいれる。息を吐き出すと、何かが頭を回る感じがして、くらっとする。眼球が一瞬横にぶれる感じ。それが小刻みに何度かある。煙草をやめられない人はこれが癖になるのかな、とぼんやり思う。

        わたしが煙草をもっている姿をなんらかの画像でみた友達はかなり驚いていたし、父に告白したときはちょっと怒られた。これは余談なのだけど父は煙草は吸わなくてお酒にめっぽう強い。お酒には何も言わないのに煙草は怒るなんて少し変だ。でも気持ちはよくわかるというか、煙草までいくと「いよいよ一線を越えた」感がある。お酒よりも遥かに人生に必要のない、だけどなぜか認められている悪いこと。

 

        煙草を吸ってみてよかったと思っている。あれからじぶんで煙草を買ったり吸ったりはしていないし、受動喫煙は相変わらず嫌いだけれど、やっておいてよかったなあ、と思う。先輩に吸い方を教えてもらうというのも、なんとなくうっすら甘美な気がして、わたしが煙草を吸うならあのやり方しかなかっただろうと思う。なにより、煙草を吸う人々のことをエイリアンのように感じなくなった。なるほどな、と思うだけだ。

 

        煙草というのは、物語の小道具としてもとても優秀だ。感情や時間の流れ、性格を表すことにおいてあまりに優れている。深く息を吸い込んでうまそうに 1本が短くなるまで大切に吸う、火をつけてすぐにいらいらして灰皿にぐしゃぐしゃに押し付けてしまう、灰をこまめに落とすのかほったらかしておくのか。

        わたしが映画をがぶ飲みするみたいに観るようになったのは高校2年生ぐらいからで、とうぜん煙草も数え切れないほど登場していているけれど、自分が実際にやってみてからはやっぱりそれらに対する距離が縮まったと思う。呼吸を合わせることができる。口に煙をためて、鼻から吸い込んで一気に吐く。煙草を吸うのが上手い人は観ていて楽しい。

 

        20歳を迎えて、ひととおりの社会的な制限は解除されてしまった。お酒や煙草や選挙や競馬やパチンコ。それら全てに対して、距離を取るのも迎合するのも完全にわたしの自由であるという事実になかば震えてしまう。

        幼い頃は 「絶対に煙草なんか吸わない、お母さんみたいにならない」と思っていたはずなんだけど、ではこれから先 実際に癖として煙草を吸うことはないのかな、と考えると、全然言い切れない。わたしがあれから煙草を吸っていないのはただ単にライターの使い方がよくわからなくて触るのが怖いからだ。

        だけど今は、許されているけどやらない、いつでもできることがわかっているけどやらない、というひねくれた自由を謳歌することをけっこう楽しんでいる。