移動祝祭日

勘弁してくれ.com

真人間チャレンジ

 

4月が終わりかけです。みなさんいかがおすごしですか。わたしはくたびれはてています。

くたびれるといえばわたしは今年から初級フランス語の講義をとりはじめたのですが、その先生がひょろっと背が高くて 鼻がシュッとしていて 伏し目がちで  お手本の発音を生徒に披露するのをめちゃくちゃ照れているはにかみ屋さんで  日本語のサ行とタ行の発音がすてきで  留学先の訛りに愛着を持っていて  一生懸命言葉を選びつつ最終的にはぶっきらぼう  という男性で、くたびれた顔をしていて、まあ、とにかく、大好きなんですよね。ほんとうに好き、早くこんな人になりたい。

まあそれはいいとして。

わたしはとにかくめちゃくちゃくたびれはてている。たぶん。

たぶんというのは、1日のうちの6時間ぐらいをずっと原因不明の悲しみに支配されてぜんぜん体に力が入らない、ずっと酸欠、動くのがどうしても億劫、という最近のわたしの状態に対して「どうやら疲れているらしい、それもかなり」  という見当をつけたということなんですけど、この感覚はぜんぜん初めてなことじゃない。高校生の時から、そして大学に入っても何度もあることで、まあ病院に行ったほうがいいんだろうなあということはうすうす感じつつ「ほんとにみんなはそんなことないの?!??!ほんとに?!?」という感じ。

そもそも病院を調べるにしても実際に行くにしてもぜんぜん時間を作れなくて、この波が過ぎ去るのをとにかく耐えるというのを繰り返して今までやってきたのですが、その中でわたしが編み出したというか、勝手に開催することを決めたなんというかそういうアレが 真人間チャレンジです。

 

悲しくてもしんどくてもだるくても学校には行かないといけない、それは単位のためでもあるし、自分のためでもある。

今日しんどいので今日休む、だけど罪悪感がある、のちの自分が休めなくなって余計に追い詰められてしまう。

そういうのがめちゃくちゃ嫌で、ほんとうにしんどくて、どうしようもなくて、その辺がうまく行かなくて留年しかけたのが高校生の頃なんですけど、だから、ルールを決めました。

 

1. やけっぱちにならない

2. 休むなら楽しく休む

3. 引き分けを狙って最後には勝つ

 

まず 「やけっぱちにならない」というのは、楽しく休めるのかどうか、お昼からなら動けるのかどうか、のちのちの自分のためにどうか、ということをよく考えるということです。 ヨッシャ全休やもうしらん!大学なんか辞めてやる!!!をやらないということですね。

経験上 動き出したら元気になる日もあるし 動き出しても完全にダメという日もあるのでそのへんをちゃんと考えます。駅まで歩いてみて無理だったらアイスクリーム買って食べながら帰ろう、とか。

 

「楽しく休む」というのは、罪悪感で余計にしんどくなるぐらいなら這ってでも学校に行ったほうが「これだけしんどいけど学校には行ったので1勝1敗…」という慰めがあるからです。

楽しく休んだら、休んだけど楽しかった→楽しかったら回復するので1勝1敗、楽しく休めなかったら休んだし楽しくもない→回復しないので0勝2敗です。負け。

 

「引き分けを狙って最後には勝つ」というのは、楽しく休むぞ、という気持ちとやけっぱちにならない慎重さをもってどうにか重ねた引き分けを、最後にはプラスにしてちゃんと勝っていきましょう ということで、楽しく休めたならきっと次の日は頑張れるし、次の日は無理でも次の週は頑張れるかもしれない、そういうのを積み重ねて、1番頑張らないとダメな時にちゃんと頑張れるようにするということです。

 

つまり、なんというか、真人間チャレンジっていうのは負けを許すということで、全勝しなくていい、でも全敗はまずい、なんとか引き分けにもっていきましょう、ちょっと先の自分がいちばんご機嫌になれる選択をしようというやつです。

それは、自分が人並みのことを当たり前にできないことを認めることでもあるのでけっこう落ち込んだりもするのですが、「アッ 自分 いま がんばりすぎてるぞ!頑張っている場合ではない!」ということに気づいてどうにかするというのはわたしにとってはけっこう大切なことだと思っています。とはいえそろそろちゃんと病院に行ったほうがいい気もする。5月になったら考えます。ウウウウウ

 

おわりです!

 

 

 

携帯電話を忘れたはなし

 

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ということで、携帯電話を忘れたので紙ブログを試みたものの 字数!!!これはぜったいにむりなやつ!!となってここまでしか書いてなかったのですが、いわゆる平日(旅行中・海外とかでなく 学校やアルバイトなどの社会的な場に参加する予定がある日)を携帯電話不携帯で過ごしてみたというアレです。これがけっこうおもしろくて、まず 携帯電話がなくて困ったことを挙げてみると

 

  1. 連絡がとれない
  2. 時間がわからない
  3. 暇つぶしの道具がない
  4. 調べ物ができない
  5. 記録をとれない・記録してあるものを取り出せない

 

という感じでした。

 

1.  連絡がとれない

まあこれは今回に限ったことでいうと 困ったけれどもそこまで困らなかったというか、連絡を取る必要のある人がそもそもそんなにいなかったというのがあります。  わたしに有事の際の最低限の重要参考人の電話番号は暗記しているので いざというときには友人に電話を借りたり公衆電話を借りることができるという安心感がおおきかったのかな  学校に向かっているというのも心強かった  学校はいわばパブリックなホームなので

でもまあ 冒頭の文の通り 公衆電話がみつからず 電話も借りられずひとりで投げ出されたような状況のときはほんとうにどうしていいかわからなかった  なかば泣きそうでした  携帯電話を忘れたぐらいで泣きそうな自分にびっくりした

 

2.時間がわからない

これもね、まあ時計を持ち歩きなよ という話ですよね   駅や大学の正門のの時計のありがたさに気づきました  時間に余裕があることはわかっていたので不便ではありましたが致命傷ではなかったです

 

3.  暇つぶしの道具がない

これはつまり 音楽を聴く手段がない  ということなんですが、けっこうきつかったな  もちろん音楽が好きだから音楽を聴いているのですが、雑音を聞きたくないから音楽を聴いているいう側面が 自分にとってはわりあい大きかったのだな、と気づきました。 電車での笑い声とか赤ちゃんの泣き声とか  休み時間の喧騒とか  そういうのを聞きたくないから音楽で耳に栓をする。 音楽のない1日はけっこうストレスフルでした。

「暇つぶし」という意味では  通学時間が往復で4時間と長いのでもっと困るかな〜〜 と思っていたのですが、携帯電話があったらあったでtwitterや各種SNSをみたりパズルゲームをやってしまうけど なかったらなかったで読書や単語の試験勉強なんかが捗っておもしろかったです。本を持っていたわたしはほんとうにエライ! あとめちゃくちゃ寝た。

 

4.  調べ物ができない

これは困りました  バスの時間にせよロシア語の単語の意味にせよ  知りたい!と思った時に調べられないというのがこんなに不便なのか!  という感じ  そして  知りたい! と思ったこともちゃんと覚えておこうと思って覚えておかないと忘れてしまう  いつのまにか堪え性のない身体・脳みそにされてしまっていた…

 

5.  記録をとれない・記録してあるものを取り出せない

まず、記録してあるものを取り出せない というところからいくと、これはたとえば時間割だったり その講義がどの教室で開講されているかだったりするのですが、自分が毎日触れる・必要とする情報のかなりの部分を携帯電話に頼ってしまっていたのだなあと気づきました。「携帯電話は毎日持ち歩くものであり、そこに記録したことは忘れてしまって構わない なぜならいつでも取り出せるので」という感覚がいつのまにか染み付いてしまっていた  

これが特別悪いことだとも思わないのですが、これが進行すると  携帯電話がじぶんの脳みその外付けハードディスクみたいな感じになってしまって  本体にはあんまりなにも残らなくなってしまうのではないか みたいな危機感はたしかにわたしの背筋を凍らせました。

ちょっと違う話でいくと  わたしには日記をつける習慣があるのですが、「日記に書いてしまえばもう安心、これでこの日のできごとや感覚を忘れることはない」という感覚はとても身に覚えのあるもので、でも記録したことに満足して忘却を許してしまえば  日記帳が失われたときにわたしにはなにも残らないのでは   ということで、それはつまり 自分の頭と心でしっかり覚えておくというのはすごく大事なことなのかもしれない、ということです。さまざまを思い出す手がかりとして言葉を尽くして日記やブログを書くというのはめちゃくちゃ有意義だと思うので続けていきたいけれど  じぶんの頭や心にまず焼きつける  という作業を怠ってはいけないな と思いました。ちょっと大仰になってしまったけれど、そんな感じです。

あと 記録がとれない  というのは たとえば きれいに咲いていた木瓜の花を写真に収められなかったというのがかなり悔しい とか そういうことで、これは一言でいうと忘れてしまう不安というか、先述した通り 写真に残しておけば安心、みたいな手段がないのが思いのほか心細かったです。

 

 

ということで、半日携帯電話不携帯で過ごしてみた結果  わたしにとって携帯電話とは  みたいなものがけっこうみえたような気がします。

わたしにとって携帯電話は、なにかを忘れてしまわないためのお守りであり、ストレスフルな雑音から守ってくれる音楽機器であり いつでも調べ物ができてなんと連絡も取ることができるクリームチークによく似た四角さ・重さのちいさな箱    みたいな感じ

 

電話  というよりは記録の媒体で、そしていざというときにはこれさえあれば割となんでもできる という心強さを持ち運べる。なんてべんり!

「携帯電話、もうにどと、わすれないぞ……!」と めちゃくちゃ反省しました  

まあでもけっこうかなりおもしろかったので 取り返しのつく日に携帯電話を忘れるやつ  ぜひやってみてください。

 

おわりです!

 

暗示的知識のはなし

 

エー 絶賛徹夜中です  やることがおわらなくて なかば手が震えています  わたししか悪くないけど  こんなひどいことがあるかよと言う気持ち  ウワーンだれかたすけて

 

大学2回生がはじまって1週間が経ちました  書いておきたいこと たくさんあるんですけど  とりあえず おもしろかった講義とそれについて考えたことの覚書をしておきます  こんな時間に(早朝4じ)!

 

わたしは対照言語学という講義をとっていて、対照言語学というのは まあそのまま たとえば英語と日本語の違いってなんだろうね  みたいなことをやる分野なのですが、言語学のさわりみたいな  なんというか  概論講義というんですか 広く浅くやさしくやりましょうという講義です。

 

その講義の中でおもしろい概念を知ったのですが、それが 明示的知識 と 暗示的知識 というやつで、ざっくり言えば  明示的知識は文法・暗示的知識はその他ニュアンス  という感じになっています。

たとえば 複数の犬を見たときに 「dogs」としますが、これは  dog + 複数形を表すs  にわけられますよね、これが明示的知識です。明快に説明ができる・分析的 みたいな特徴があります。

じゃあ  「わたしはなまえが山田花子です」という文章   なんだかおかしいですよね 、意味がわからないでもないけどめちゃくちゃ気持ち悪い  これが暗示的知識です。 日本語のネイティブスピーカーとして 暗示的に この文章よりもっと気持ちいい表現があるということを知っているから 気持ち悪くなるのです。感覚的・抽象的・総合的  みたいな特徴があります。

 

わたしたちは日本語の文法を学校で習っていないし、育ってきた環境も全然違うのに  かなりの明示的知識をいつのまにか共有し 暗示的知識と組み合わせて日本語を運用しています。それってめちゃくちゃすごくないですか、すごいです

 

それで わたしが何をおもしろいとおもったのかということなんですけど、言語を学ぶうえで、じぶんがめちゃくちゃ暗示的知識有利な人間だ  ということに気づいたんですよね。感受性が強い みたいなことをよく言われるのもそういうことなのかな…

「気持ちいい形」をのみこむのがすごく早いというか、文法を知らなくてもある程度コミュニュケーションを取ることができる場面がけっこうあるというか、たとえば 全編ロシア語の授業のときに、先生が話すロシア語をしっかり聞き取って 文法的に納得して 何を言っているのかを理解するというよりは  かたまりでフレーズを聞いたらなんとなく何を言っているのか / 何が言いたいのか  がわかる。脳内補完が上手というか 思い込みが激しいとも言うと思うんですけど  英語でもそうで、昔からの不思議な感覚になまえがついたような気持ちです。

そのかわりけっこう明示的知識には疎くて  大枠をつかむのは早いけど詰めが甘い!!!みたいな事態に陥りやすいです  訓練あるのみ…

 

もうひとつは  最近 twitterや 各種SNSをみていて  「暗示的知識にあえて逆らうような日本語」が流行っているのかなあ  という仮説で、たとえば「眠みが深い」とか「嬉しみ〜〜」とか「BLみがある」とかそういうアレ。わたしの暗示的知識はこれに対して はっきりと  「No!!!ムリ!!絶対にいや!!!」 と叫びましたけど、まあその  暗示的知識をわざと裏切る快感みたいなのはわかる気がする。   わたしは激烈にお腹が空いているときに「激はらへりした」というヤバい日本語を使ってしまいます  あかんやつや  でも口にだすとけっこう気持ちいいんですよね。だからまあ今日は「若者がヤバイ日本語を使うのは じぶんの暗示的知識を裏切るのがきもちいいから」というのが結論です  イェス!

 

 

たぶんわたしと作家の山田悠介はめちゃくちゃ相性が悪くて  ストーリーが云々とかではなく それこそ漢字の使い方のひとつひとつが圧倒的にムリなんですけど、それも暗示的知識  いわば 日本語感覚が全然合わないんだろうなと思いました。逆にそういう感覚がハマる作家さんの本はストーリーは二の次で  「読んでいて気持ちいいから読む」みたいな境地にある気がします。本で酔っ払うことができる。酩酊するというか

 

最終的にその講義は「言語学は個人 / 個々の言語の暗示的知識を明らかにする学問だよ〜〜」みたいな感じでおわったのですが、めちゃくちゃおもしろそう  1回生を終えてわけのわからない一般教養を受講しなくてよくなり、勉学のよろこびに満ち溢れています  なんでこんなに興味のある授業ばっかり?!??!??!!!とおもったら興味のある学部に入ったからでした  わはは  がんばるぞ〜〜

 

あと先生が穂村弘に顔がそっくりでにやにやしてしまった

 

おわりです!はやくねたい!ウエーン!おやすみなさい!

 

 

文化的娯楽のはなし

 

このまえともだちのブログを読んでウォーと思ったので紹介します

 

映画と小説と音楽はわたしたちのごく身近にある娯楽で、それらの違いを考察したエントリです。

映画や音楽は受動的に受けとるもので、小説は主体的に読み進めなければならない(自分でページをめくる必要がある)   音楽は何度も聴くことによってどんどん主体的な受けとり方になる   なるほどな〜〜 !

 

 

そういう文化的な娯楽にアクセスするための実際的なハードルというか距離は だんだん低く 短くなっていると思うし、わたしは映画も音楽も小説もとっても大好きなのですが、本を読んだり文章を書くのが心理的にすごく億劫になったりするときがあって  それってもしかして その ページを自分でめくる主体性 みたいなものを絞り出すだけの元気がないのかもな  と思ったりしました。情緒回復の魔法!いっぱい本を読みたい!余裕をもった新生活を送りましょう

 

 

あとは 音楽の 受動・能動(主体性)の話で思い出したことがありました。

 

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このポスターのキャッチフレーズ  ほんとうに映画を最後まで観たのかよという感じでぜんぜん好きじゃないのですが  まあそういうことです 

 

グザヴィエ・ドランが2014年に発表した 『Mommy』という映画にめちゃくちゃ最高のシーンがあって、それがこれなんですけど(話の筋がわからなくてもなかば震えてしまうと思います  ぜひみてください)

 

全編 画面のアスペクト比が正方形で 閉塞感のあるつくりになっているこの映画で たった2回だけそのアスペクト比が崩れるシーンがあり、そのうちのひとつがこのシーンです。この場面ではOasisの"wonderwall"がほとんどフルで流れるのですが、それについてグザヴィエ・ドラン本人がトロント映画祭で観客からの質問に答えています。

 

(なぜ曲をフルで使うのかという質問に対して)

Oasisの"wonderwall"はそもそもめちゃくちゃ良い曲なわけだから、思い出がない人っていないと思ったんだ。それが、初恋の人とキスした瞬間でも、自分の部屋でベッドでひとりでヘッドフォンして爆音で聴いていた、でもいんだけど、この曲は、人の心に深く何かしらの思い出を残す曲だ。少なくとも僕にとってはそういう曲だった。それで、僕にとって、音楽が流れる瞬間というのは、映画の中で唯一、観客が映画に自ら参加できる瞬間なんだ。

映画というのは基本的には、僕が描きたいことが発信されているわけで、観客は受動的だ。だけど、音楽が流れた時だけは、観客がその曲を聴いた時に蘇る思い出とそのシーンを重ねて、能動的な体験をすることができるんだ。だから、僕にとって音楽は大事だし、特別なんだ」

 

ドランは、観客が受動的にうけとるコンテンツであるところの映画のなかで 観客であるわたしたちをむりやり 主体 にひきずりこもうとしている。そしてまんまと  輪郭のあやふやな  でも胸を引き裂かれそうな 現実・気まずさ・はがゆさ・祝福・その他すべてのわたしたちを芯からゆさぶるものたち をまざまざと見せつけられてしまう。

わたしがドランの映画を観ていつもどうしても持ってしまう感想が「完全にわたしのための映画だった…」というもので、これはまた詳しく書きたいんですけど  ドランの映画に限らず 文化的娯楽がときどきみせる そういう一種の暴力性みたいなもののことを、わたしはすごく好きだなぁ… と思いました

 

 

グザヴィエ・ドランのインタビューについてはこの記事を参考にしました

https://www.google.co.jp/amp/ro69.jp/blog/nakamura/122687.amp

 

追記: 伊坂幸太郎だか誰かが「小説や映画はネタバレを嫌がるのに音楽のライブは知ってる曲が演奏されると嬉しい」みたいなことを言っていた気がする  出典が全然わからないけども  それもたしかに…!!というかんじですよね、 曲を自分のなかに取り込んで主体的にうけとるものに変換できたからこそ  というか  そこまでしっかり音楽を聴く層しか実際ライブやコンサートに行かないだろうな という感じもします。

 

 

新学期いかがお過ごしですか!!わたしはねむい!!!!!!

 

花束を買ったはなし

 

あのー、15日に日本に帰ってきました。海外研修のこと  毎日書く感を出しておいてアレなんですが、全然無理でした。ヒョワ  

 

 

花束を買いました。母のバレエの公演のお花です。自分のお金で誰かに花束を買うのは初めてだったのですが、ワイン色のカーネーションと 大ぶりの白いラナンキュラスを入れて 母は花のワルツの役をやるので ピンク色で  予算はこれくらいで  と注文して、可愛く仕上げてもらってうれしかった。

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これとこれを入れて、イメージはこんな感じで、予算はこれぐらいで、と伝えてあとは任せてしまう。決めたいところだけ決めて、あとの細かいところはぜんぶぜんぶ委ねてしまう。それを基にして、大きさと色とイメージに合わせて、つめたくてすべすべの花がぎゅうぎゅうに束ねられてきれいにラッピングされる、いちばん美しい形でわがままを聞いてもらう。

花を買うのって儀式っぽいなあ  とぼんやり考えていました。わたしは儀式がだいすき  もっと安易&軽率に人に花を贈りたいな! あと部屋に生のお花を飾るのを習慣にしたい。

 

わたしが買った白い大ぶりのラナンキュラスは 一年で世界に3000本ぐらいしか出回らなくて、花の部分のひとつひとつがきれいにまるく包装されて出荷されてくる  というようなことを店員さんに教えてもらってうっとりしてしまいました。人に贈るプレゼントでわたしまでこんなにご機嫌になってしまって すごくよい体験だった。

 

母が舞台でトゥ・シューズを履いて花の妖精になっているのをみるのも なかなかないことですよね、母がうれしそうでうれしかったです。すごくよかったかわいかった。

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完全に余談なんですけど、妹と一緒に公演を観に行って、1時間何の連絡もなしに待たされて ひさびさに激詰めしてしまったのですが  その姉妹げんかのあとの仲直りに買った17アイスクリームが儚くもえげつない折れ方をして  ウッ……となりました  でもまあ  おもしろかった

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おわりです! おやすみなさい。

 

海外研修4日目 ミャンマー→タイ

 


3月6日です。
今日はほぼ移動だけの日💭

 

ミャンマーマンダレーから タチレクまで飛行機に乗って、そこから歩いて国境越え タイに入ったら4時間バスに乗ってあとは寝るだけという感じでした。

朝がゆっくりだったので、朝ごはんをカロリーメイトで妥協して クーラーの効いた部屋で携帯電話をさわりながらごろごろしていました。1人の時間がないと死んでしまう! クーラーとWi-Fi すばらしかった

空港に行くまでにベーカリーみたいなところに寄って ケーキを思うさま試食しました。カステラよりももうちょっとチープな感じの油のおおいココナッツケーキがめちゃくちゃ美味しかった! ミャンマーの貨幣のチャットは日本では換金できないので 使い切るためにけっこう買い物をしました。 物価がめちゃくちゃ安いのですが、1円イコール10チャットなのでかなりリッチな気分になれます😋


空港まであの トラックの荷台に乗るやつ (ソンタム?)に乗って行き、悪名高い ヤンゴン・エアーに乗ってタチレクへ。 ヤンゴン・エアーはプロペラ機なのですが、機内が狭くて ふらふらの低空飛行で でも添乗員のむちむちのムキムキで姿勢が良くて 制服がすごく似合っているお兄さんが めちゃくちゃ甲斐甲斐しくお世話してくれて楽しかったです。 機内食がおもしろかった。

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タチレクに着いたら、歩いて国境を超えます。8キロ超のバックパックを背負って蒸し暑いなかがんばりました  まあ普通に出入国審査をするだけなのですけど、部屋の入り口を間違えてミャンマー人のおじさんにめちゃくちゃ笑われた。のんびりしていて愉快な人々です。

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国境はこのゲートを越えてからのけっこう中途半端なところにあって 道路沿いのめちゃくちゃ汚い川を眺めていたらいつの間にか通り過ぎていました ヒィー

 

タイに入ると、現地で日本語教師をやっている先輩が待っていてくださり、バスに乗ってチェンライへ 4時間 

バックパックを膝に乗せて その上に手持ちのカバンを乗せて 首に巻くまくらをしていたのでめちゃくちゃぐっすり眠れました。おしりが痺れた。

休憩地点で カオ パッタイ ムー を食べました。カオはご飯、パッタイは炒める、ムーは豚です   タイ版の焼き飯!めちゃくちゃ美味しくて感激しました 80パーツ 240円で満腹!

 

ホテルに着いたらあとは寝るだけです

明日は高校を訪問して  象に乗ります 🐘

 

 

 

 

 

海外研修3日目 ミャンマー🇲🇲

 

ミャンマー2日目です!研修3日目に書いたエントリです!

 

 今日はめちゃくちゃ濃い1日でした。ミャンマーを大好きになってしまった!

朝5:30出発で托鉢→朝ごはんにモヒンガー→ミャンマー人の日本語学習者とエクスカーション  民族衣装モヒンガー→寺院へ →おひるごはん→本屋さんとスーパーマーケットへ→ 喫茶店→大きなブッダ→橋→市場でごはん デザートはいちごヨーグルト

 

 

托鉢はお坊さんに食事や日用品を施すもので、そこへはサイカーという自転車に荷台が付いている2人乗りの乗り物に乗って行きました。

 

わたしは後ろ側に乗っていたのですが、コンビニがなく、街灯もほとんどなくてむき出しの蛍光灯だけの真っ暗の  まだ日が昇る前の涼しい街を 後ろ向きで進む  空を見上げて  お化けみたいな木とか 野良犬とか 野営の焚き火とか そういうのを見てると なんというか  全能感がありました。ウォールフラワーという映画の1番有名なシーンを思い出しました。

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だんだん明るくなって 人と車が増えて 活発になっていく街を見るのが新鮮でした。 運転手さんが上り坂を漕ぐのがめちゃくちゃしんどそうだった。ミャンマーは車線なんてあってないようなもので、突然クラクションが鳴って車がこっちに向かってくるのでめちゃくちゃ怖かった。でも楽しかったです。

 

 

そして托鉢を体験したのですが、少しルールがあって、施す人は裸足にならないとダメ とか お坊さんには絶対に触ってはいけない  とかでした。 お坊さんは裸足で、小さい子からお年寄りまでいて、体の大きさに合った鉄の入れ物を持っていて、そこにご飯をよそったりから揚げや卵をのせたりという感じでした。なんというか めちゃくちゃアホたいなんですけど、徳を積んだ気持ちになってしまいました。がはは

日用品はくじ引きで当たったものが施されるのですが、けっこうお坊のみなさんがきゃぴきゃぴしていて、ときどきガッツポーズする人なんかもいておもしろかったです。一方で 小さな子でも 粛々と迷いなく引いて迷いなくひらく くじ引きに嗜好性を求めないかんじの人たちもいました。から揚げが欲しくて何回も並んでた男の子が可愛かった。

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朝ごはんは教授とお知り合いのミャンマー人の方のおうちでいただきました。 モヒンガー プラム いちご 魚のすり身 など

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モヒンガーはおいしかったけど なんか食べたことがある感じがして よく考えたら風味がカップヌードルカレー味でした。それよりちょっとえぐめ。みんなおかわりしててすごかった。ミャンマーではわんこそばよりすごくて、お皿からものがなくなりかけたらすかさずお代わりを尋ねられます。親切!食べた部屋の窓から朝焼けが見えました

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ミャンマー人学習者とのエクスカーションでは8人ぐらいのグループに分かれて行動しました。まず最初はロンジーという民族衣装のお店を見に行きました。ざっくり言うと腰に巻く布というかんじ。ミャンマーでは8割ぐらいの人がこの民族衣装を着ています。上と下が分かれているのですが、上もきちっと着るひともいれば、上はTシャツやポロシャツの人もいました。涼しい。相場が15000チャット(1500円)のところを6500チャットぐらいで買えてうれしかった。物価が安い!

 

その衣装を着て、パゴダに行きました。

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パゴダは寺院のことなのですが、きまりとして、①裸足であること ②くるぶしがかくれる丈のボトムスを履いていること  がありました。

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裸足で歩くのはすごくたのしかった!地面がアチアチでした。蓮の花を買って、仏の前の祭壇にある花瓶に飾ります。

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仏像の頭の後ろに電飾があってさながら  CR・ブッダという感じ。

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座り方はなんでもいいのですが、手を顔の前で合わせて、地面まで合掌3回で祈ります。花売りの女の子がたくさんいてかわいかった。  仏の奥にはミャンマーの伝統的な日焼け止めの タナカー をしてくれるところがありました。タナカーは何かの木を擦ったものなのですが(ちゃんと調べます😂)、塗ったそばから清涼感があってすてきでした。 タナカーは10歳ぐらいの女の子が塗ってくれます。手際がよくてうっとりしてしまった。!

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移動は荷台に屋根が付いていて茣蓙がひいてあるトラックでしていたのですが、寺院からでてそのトラックに戻るまでの間に 学習者の男の人がサッと足の裏を拭くものを買ってきてくれてめちゃくちゃときめきました。わはは

 

その次はおひるごはん。正直ミャンマー料理 食べられるかめちゃくちゃ不安でたくさんカロリーメイトやカップラーメンを持って方いたのですが、ちゃんと説明のあるものも多いし、美味しいものがたくさんありました。どこかのエントリでも書きましたが わたしめちゃくちゃ食に保守的なので、「よくわからないけどとりあえず食べてみたらウマイ」  という体験をできてよかったです。 お口直しみたいな感じで壺に黒糖を固めた飴が置いてあって、めちゃくちゃ甘いけどめちゃくちゃすてきでした。

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ご飯を食べ終わったら腹ごなしに本屋さんとスーパーマーケットへ。ミャンマー人が普段どんなところで買い物をしているのかを見たくて、連れて行ってもらいました。スーパーマーケットではお米が山になって売っていたり

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たくさんの香辛料が売っていたり

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あと、ミャンマー料理はめちゃくちゃ油が多くて  それは  油=豊か ということだかららしいのですが、スーパーにもアホほど油が売っていてびっくりしました。 あと 民族衣装ロンジーが量販されていたのにびっくりしました。布がちゃっちい感じ。でもリボン柄とかハート柄とか かわいかった。

わたしが行ったのはイオンモールみたいなところだったのですが、 「JAPAN STORE」という名前で 日本の百均の商品がなんの翻訳もないまま 1800チャット均一(180円)で売られているお店があってめちゃくちゃおもしろかったです。ぼったくりやんけ。バナナカッターの使い方とかわかるのかな。

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あと、店員さんたちのリラックス具合が本当にすごかった。思い返してみれば空港のチェックインカウンターでも係りの人が堂々とiPhoneを充電しながらいじっていたりしたのですが、店員さんたちは座り込んでiPhoneをさわりながら同僚と談笑  お客が来たら随時応対 という感じで 穏やか和やか朗らかな雰囲気でした。

 

わたしたちが  連れて行って!  とお願いしていたプログラムはここまでだったのですが、時間がめちゃくちゃ余っていたので 喫茶店に連れて行ってもらいました。ミャンマーでは  女の子たちだけでカフェで長いことお喋り  みたいなのは少しはしたなく映るみたいで あんまりやらないみたいでした。どうして? と聞いたらびっくりしていてびっくりした。 ミャンマーでは夏(4月)でも熱〜〜い甘〜〜いミルクティーを飲むそうです。甘いミルクティーと交互ににちょっと甘いふつうのお茶も飲むのが習慣らしい。ちょっと甘い方は無料です。おなかちゃぷちゃぷ! でもすっっごくおいしかったです。暑い時に熱いものを摂るとすっきりしますね。一緒に食べた ベンモン というお菓子も最高だった。◎

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そのあとはなんかめちゃくちゃ大きいブッダのある寺院へ。

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女性は1番近いところまでは入れない決まりなのですが、ここでのお願い事は本当によく叶うらしい!ワオ  壁の装飾の仏さまの顔が穏やかですてきでした。

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撫でたところが良くなる系の像を思うさま撫で回して、「撫でた人は良くなるけど撫でられた側はどんどん物理的にすり減って消耗していくのだよな〜」と思ってゾッとしたりしました。

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ちかくにビカビカ光る仏具店がたくさんあっておもしろかった。ブッダモチーフのステッカーがかなりぶっとんでいて良かったです。使い所がないから買わなかったけど…

 

そのあとはまた移動して 長い高い有名な橋へ。名前が本当に思い出せないのですがかなりたくさんの観光バスと観光客(フランス人が多かった)が来ていました。おめあては夕日 🌞  橋は地面からすごく離れているのに柵がなくてぜんぶ木でできていて 途中から下が川になるのでけっこうスリリングでした。たくさん歩きました。たのしかった!最後に学習者の人たちが買ってくれたコーラが世界で1番最高でした。

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移動中はトラックの荷台で 学習者のリクエストに応えて日本の歌を歌ったり みんなでしりとりをしたりしました。特にしりとりは日本人は学習者の語彙範囲の名詞を出すのに苦労したし、学習者たちも苦しみながらワイワイたのしめてよかった! あとはロンジーでの乗り方降り方を教えてもらったりしておもしろかったです。

 

学習者のみなさんと別れてからは晩ご飯を食べに市場に行きました。豚串をよくわからないスープにつけて食べる奴が一本100チャット(10円)   肉っぽいところを選んだのにぷるっぷるで1本でやめてしまいました  あれは耳だったのか…?

 

デザートはいちごヨーグルト🍓🐮

有名なお店だったようで、手作りのヨーグルトがめちゃくちゃ濃厚でほんとうにおいしかった!!練乳がかかっているのに砂糖をかけたりして激甘にして食べます。もういっかいたべたいな〜〜

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なんというか、こういう研修で連れて来てもらわないとミャンマーなんか来ないだろうな  と思っていたのですが、これは また来てしまいそうです。自分の目と肌で確かめられて良かった。

あとは 情報は色々インターネットで手に入るけど、その情報は現地人の口から聞くのとどう違うのだろう  ということを考えたりしました。たしかに学習者の日本語は分かりにくいことも多いけど、ウーム  など

 

あとは乞食のひとが本当に多くて、子供を抱きながら寄ってくるのですよね。ロシア語の先生からも、いろんな先輩からも  「無視するのが良い  1人にあげるなら全員にあげないといけなくなるし、本当に生活に困っているのかもわからない」と言われるのですが、そういうことではなくて、感情としてけっこう揺さぶられるものがあったというか、理屈はどうでもいいから目の前の人を助ければいいのでは? と思ったりして 伊坂幸太郎の小説「砂漠」に出てくる西嶋という青年のことを思い出したりしました。わたしも砂漠に雪を降らせないといけないんじゃないか…など   まあでも 現地の人たちはわりとフランクに施していて  なるほどな   と思ったりしました。旅行者とアレはまた全然違いますよね、こういうのいつまでたっても折り合いがつかなくて困っちゃうな…というきもちです。

 

さて、今日はこのへんでおわりです。明日はタイに戻ります 🇹🇭