移動祝祭日

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携帯電話を忘れたはなし

 

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ということで、携帯電話を忘れたので紙ブログを試みたものの 字数!!!これはぜったいにむりなやつ!!となってここまでしか書いてなかったのですが、いわゆる平日(旅行中・海外とかでなく 学校やアルバイトなどの社会的な場に参加する予定がある日)を携帯電話不携帯で過ごしてみたというアレです。これがけっこうおもしろくて、まず 携帯電話がなくて困ったことを挙げてみると

 

  1. 連絡がとれない
  2. 時間がわからない
  3. 暇つぶしの道具がない
  4. 調べ物ができない
  5. 記録をとれない・記録してあるものを取り出せない

 

という感じでした。

 

1.  連絡がとれない

まあこれは今回に限ったことでいうと 困ったけれどもそこまで困らなかったというか、連絡を取る必要のある人がそもそもそんなにいなかったというのがあります。  わたしに有事の際の最低限の重要参考人の電話番号は暗記しているので いざというときには友人に電話を借りたり公衆電話を借りることができるという安心感がおおきかったのかな  学校に向かっているというのも心強かった  学校はいわばパブリックなホームなので

でもまあ 冒頭の文の通り 公衆電話がみつからず 電話も借りられずひとりで投げ出されたような状況のときはほんとうにどうしていいかわからなかった  なかば泣きそうでした  携帯電話を忘れたぐらいで泣きそうな自分にびっくりした

 

2.時間がわからない

これもね、まあ時計を持ち歩きなよ という話ですよね   駅や大学の正門のの時計のありがたさに気づきました  時間に余裕があることはわかっていたので不便ではありましたが致命傷ではなかったです

 

3.  暇つぶしの道具がない

これはつまり 音楽を聴く手段がない  ということなんですが、けっこうきつかったな  もちろん音楽が好きだから音楽を聴いているのですが、雑音を聞きたくないから音楽を聴いているいう側面が 自分にとってはわりあい大きかったのだな、と気づきました。 電車での笑い声とか赤ちゃんの泣き声とか  休み時間の喧騒とか  そういうのを聞きたくないから音楽で耳に栓をする。 音楽のない1日はけっこうストレスフルでした。

「暇つぶし」という意味では  通学時間が往復で4時間と長いのでもっと困るかな〜〜 と思っていたのですが、携帯電話があったらあったでtwitterや各種SNSをみたりパズルゲームをやってしまうけど なかったらなかったで読書や単語の試験勉強なんかが捗っておもしろかったです。本を持っていたわたしはほんとうにエライ! あとめちゃくちゃ寝た。

 

4.  調べ物ができない

これは困りました  バスの時間にせよロシア語の単語の意味にせよ  知りたい!と思った時に調べられないというのがこんなに不便なのか!  という感じ  そして  知りたい! と思ったこともちゃんと覚えておこうと思って覚えておかないと忘れてしまう  いつのまにか堪え性のない身体・脳みそにされてしまっていた…

 

5.  記録をとれない・記録してあるものを取り出せない

まず、記録してあるものを取り出せない というところからいくと、これはたとえば時間割だったり その講義がどの教室で開講されているかだったりするのですが、自分が毎日触れる・必要とする情報のかなりの部分を携帯電話に頼ってしまっていたのだなあと気づきました。「携帯電話は毎日持ち歩くものであり、そこに記録したことは忘れてしまって構わない なぜならいつでも取り出せるので」という感覚がいつのまにか染み付いてしまっていた  

これが特別悪いことだとも思わないのですが、これが進行すると  携帯電話がじぶんの脳みその外付けハードディスクみたいな感じになってしまって  本体にはあんまりなにも残らなくなってしまうのではないか みたいな危機感はたしかにわたしの背筋を凍らせました。

ちょっと違う話でいくと  わたしには日記をつける習慣があるのですが、「日記に書いてしまえばもう安心、これでこの日のできごとや感覚を忘れることはない」という感覚はとても身に覚えのあるもので、でも記録したことに満足して忘却を許してしまえば  日記帳が失われたときにわたしにはなにも残らないのでは   ということで、それはつまり 自分の頭と心でしっかり覚えておくというのはすごく大事なことなのかもしれない、ということです。さまざまを思い出す手がかりとして言葉を尽くして日記やブログを書くというのはめちゃくちゃ有意義だと思うので続けていきたいけれど  じぶんの頭や心にまず焼きつける  という作業を怠ってはいけないな と思いました。ちょっと大仰になってしまったけれど、そんな感じです。

あと 記録がとれない  というのは たとえば きれいに咲いていた木瓜の花を写真に収められなかったというのがかなり悔しい とか そういうことで、これは一言でいうと忘れてしまう不安というか、先述した通り 写真に残しておけば安心、みたいな手段がないのが思いのほか心細かったです。

 

 

ということで、半日携帯電話不携帯で過ごしてみた結果  わたしにとって携帯電話とは  みたいなものがけっこうみえたような気がします。

わたしにとって携帯電話は、なにかを忘れてしまわないためのお守りであり、ストレスフルな雑音から守ってくれる音楽機器であり いつでも調べ物ができてなんと連絡も取ることができるクリームチークによく似た四角さ・重さのちいさな箱    みたいな感じ

 

電話  というよりは記録の媒体で、そしていざというときにはこれさえあれば割となんでもできる という心強さを持ち運べる。なんてべんり!

「携帯電話、もうにどと、わすれないぞ……!」と めちゃくちゃ反省しました  

まあでもけっこうかなりおもしろかったので 取り返しのつく日に携帯電話を忘れるやつ  ぜひやってみてください。

 

おわりです!