移動祝祭日

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自転車

 

ひさしぶりに自転車に乗った。4年ぶりぐらいかな。数えてみて、こんなに自転車に乗らずに生きていけるものなのかとすこし驚いた。

わたしは家庭教師として働いており、新しい派遣先までのみちのりが地獄みたいに暗くてとおくてさむくて、ここで殺されても3日ぐらい見つけてもらえないだろうな…というかんじなので、派遣会社にさまざまを申し立てたところ  自転車を買い与えられ、今日が晴れて初の自転車派遣だった。

 

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こわいでしょ。

 

地獄みたいに暗くてとおくてさむい道には当然人通りはないし、ましてや車は通れない道幅で、いつもはポケットに手をつっこんで音楽を聴いて  我慢できないぐらい怖くなったらiPhoneでなんらかを眺めて気を紛らわせている。

最初は  じぶんが暗闇をこわがっている  という状況がなんだか滑稽で すこしは余裕もあったのだけど、暗闇を奥に奥に進んで行くにつれて  じぶんが凄惨な殺人事件の再現ビデオに被害者役で出演しているような気持ちになってきて、しとしとと募る恐怖に完全に負けてしまった。

だけどそこを自転車で走ってみるとけっこう話は別で、 なかなかめちゃくちゃかなりだいぶ楽しかったし、いろいろ考えることがあった。

 

まず、どういう擬音をあてたらいいのかはわからないけれど、自転車が走るときの ゴムと地面がこすれる音。 いつもイヤホンを耳にはめているので気づかなかったけれど、人通りがなく車も通らないので、地獄みたいに暗くてとおくてさむい道は  同時に地獄みたいに静かな道でもあった。そこを平らかにタイヤが滑る音を耳とからだで感じながら自転車を走らせるのは  とても心地がいい。

 

地獄みたいに暗くてとおくてさむい道。

 

タイヤがしずかにこすれる音が気持ちいいとはいえ、地獄みたいに暗いので もちろんライトをつける。すると、あたりまえのことだけど、地面がよく見える。亀裂が走っていたりごつごつしていたり、つやつや黒光りするコンクリートだったり、コンクリートというよりはセメントというかんじの無骨なものだったり。ふだんは地面ばっかり眺めて歩いてるくせに  (地面をスクロールする感覚  わかりますか)  そのみちのりではいつもは 気を紛らわせるのに必死で ほとんどiPhoneの画面しか見ていなかったし、怖いもの見たさで道沿いの廃墟を覗きこんだりはするものの、地面なんて気にしたことがなかった。

 

そして、ああ、自転車って  まわりをよく見ないと運転できないんだな  というあたりまえのことを思い出す。運転中は運転のこと以外考えられない。それはわたしが道をうろ覚えだったからかもしれないし、ひさしぶりの自転車に緊張していたからかもしれないけれど、さいきん四六時中なにかを考え込んでへたをしたら塞ぎ込んですらいるような感じで、そういうときに為せる術が  情報を遮断してひとりでじっと耐える  ということしかなかったので、頭をからっぽにして五感だけをはたらかせるのはとても健全な行為のように思えた。穂村弘の話でいくと、自転車を漕ぐのは生きるというよりは生き延びる側の行為で  わたしは生きるほうを追い求めているけれど、生き延びるほうに身を任せてみるのも すごくいい  ということである。

 

それから、中学生のころを思い出した。中学生のころは毎日自転車通学で、自転車にポールという名前をつけていた。スピッツの曲を3曲ながして、ぴったり3曲めが終わるころに学校に着くように スピードをうまく調節しながら自転車を漕ぐのがお決まりだった。今思い返せば、そのころ家がもみくちゃにもめていて  中学校では我ながら優等生の人気者だったので  登下校の時間が唯一の 正真正銘ひとりになれる時間だった。道沿いの古いケーキ屋さんに想いを馳せたり、ときどき道をきかれたり、春の歌の歌詞の意味が突然わかって鳥肌をたてたりしながら うまく自分で自分のことをあやしていたんだな と思う。

のちのちわたしは心身の具合をどちゃくそに崩して高校に行かなくなるのですが、目下いちばんきつかったはずの中学時代を最後まで健全に送らせてくれて  完全無欠の青春時代を与えてくれてありがとう  あのときのわたしえらいぞ  というきもちになった。それってやっぱり、自転車を運転するときは運転のこと以外考えられないからで、それってつまり道や目的地がはっきりわかっていないと運転できないからで、あんまり主語を大きくすると陳腐になってしまうというのは承知しているけれども、わたしがいま 四六時中なにかを考えこみながら鬱々として 五感をうまく開放/解放できずに生活しているのは 目的地が定まっていないし そのみちすじもわかっていないからだよなあ と感じた。良い悪いはおいておくとして  あのころはどこに向かえばいいのかわかっていたし、疑ってもいなかった。

 

まあじぶんがいま人生におけるそういう時期にいることも十分わかっているので特にだからどうというわけではないんですけど、自分をごきげんにする術をひとつ思い出したようなきもちです。

 

あとは 派遣会社が 新品の自転車を買い与えてくれて、その自転車に目印としてピンクのリボンをくくりつけてくれていて、駐輪場も借りてくれて、駐輪場のおじさんに話を通していてくれて、おじさんはきょろきょろするわたしを見つけて自転車まで案内してくれて、タイヤに空気を入れてくれて、帰りにはおつかれさま  と言ってくれて、世界に愛されている  大人ってすごいな  と思いました。

 

 

 

 

鳥と鳥

鳥と鳥


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