移動祝祭日

勘弁してくれ.com

地震のこと、

 

        日本に住んでいる限り地震というのは常について回るもので、そんなことはわかりきっていると思っていたけど実際は全然わかっていなかった。

 

        地震が起きたときわたしは人をダメにするソファでダメになっている最中で、揺れてるときのことはあんまり思い出したくない。とにかく震源が近くてめちゃくちゃに揺れて、食器も何枚か割れてその音ですくみあがってしまって、そのときの強張りがいまだに解けないでいる。揺れが収まってからすぐ震える手で父親に電話した。あんまり揺れなかった地域にいた彼はいつも通りの調子で、安心するような拍子抜けするようなそんな感じだった。

 

        わたしの家にはテレビがないのでラジオアプリをインストールして、あとはTwitterを眺めていた。母からもすぐ連絡があり、食器を下ろしておくことやお風呂に水を溜めること、靴下を履くことを指示してくれた。

 

        Twitterでは大学が休みになるかどうかとか、電車に閉じ込められた話とか、混乱に乗じたネタツイとかで阿鼻叫喚だった。わたしは20歳にもなって文字通り泣きべそをかいて、しゃくりあげて部屋中をうろうろしていた。しばらくしてすこし落ち着いて、家に何にもないことに気づいて、コンビニに行った。

 

        混乱している自分も、本気でつぎの大きい揺れを怖がっている自分も恥ずかしかった。恥ずかしがる必要なんてない、電車も何もかも全部止まって、ひとりぼっちで、自分を守るのは自分しかいないんだから、情報を集めて色々用意するのは全然恥ずかしいことじゃない。だけど、普通の顔で働く店員さんとか、普通の顔でサンドウィッチとコーヒーだけを買うサラリーマンとかを見て、カゴいっぱいにお茶とかウエットティッシュとか缶詰とかカップラーメンとかを入れている自分が恥ずかしかった。

 

        そしたら子供連れが2組ぐらい店に入ってきて、お母さんと子供達で協力して水や食べ物をテキパキ選んでカゴに入れていて、お母さんがめちゃくちゃ凛々しくて、それですごく安心した。これでいいんだ、そうだよな、全然間違っていないよな、ああ、お母さんだ、と思った。

 

        今日は本当はわたしの家で友人とクレープを焼く約束をしていて、でもその友人から「今日は無理そうだね、わたしたちもいま非常食とか確保してるところ、ドアはしばらく開けといたほうがいいかも、1人で不安なら電話かけてきてね」というLINEがきて、すこし落ち着いた。彼女はわたしより震源に近いところに住んでいる人で、わたしと同じものを体験して同じように怖がっている人がいるんだということにすごく救われた感じがした。

 

        なんというか、わたしはあの揺れですごく根源的な恐怖を感じて、だから今日の授業がぜんぶ休講になって「ラッキー🤞🏻」みたいな余裕はほんとうになくて、でもTwitterとかを見てると、みんな着々と今朝の出来事をネタとして消費し始めていて、地震の影響がなかった地域は当然いつも通りの生活で、やっぱり恥ずかしい気持ちと、うそでしょ、という怒りのような気持ちでいっぱいだった。

 

 

        はじめてほんとうに当事者になったんだ、と思った。わたしは全然わかっていなかった。どれだけ怖いかも、どれだけわかってもらえないのかも。

 

 

        通っていた中学校の自分の教室の自分の席で、国語の時間の終わりにノートに消しゴムをかけようと力を入れ、前のめりになった瞬間に視界がくらくらっと揺れた。まばたきをして、視界がもう揺れていないことを確認して「いま目眩した」と何とはなしにつぶやくと「わたしも」「エッわたしも」という声が返ってきた。なんなんだろうね〜という空気のままに授業が終わって、掃除をして、お手洗いに行って、教室に戻ってくると、備え付けのテレビがついていた。みんなリュックを背負ったままテレビにかじりついていて、テレビでは、ぐしゃぐしゃのかたまりがびしゃびしゃになっていく映像と、その右上に『東北地方で地震 M○』みたいな文字がでていて、地震かあ、どおりで、と思った。

 

        それがわたしのあの日の全てだ。一瞬の目眩のようなもの、すぐに完結するもの、他人の領域のもの。

 

        そういうものなのだ、電気もつくしガスも使えるし水道もでる、食料も水も生活用品も備えた、それでもこんなに怖い、これだけ備えているつもりでも怖い、そもそも備えていることを恥ずかしいと思ってしまう、まだひとごとだと思っているから。

 

 

        非常用の鞄を作ろうと思ってコンビニで買ったものや歯ブラシやサランラップや石鹸や毛布を詰めている間、ずっと「備えたくない、備えたくない」と思っていた。備えなくても安心したい。大丈夫なことを誰か証明してほしい。

 

        チューターをしているフランス人の女の子のことを思い出して、LINEをして「何か不安なことがあったらいつでもなんでも言ってね」と言った。最近通っている英会話グループのメンバーに英語で読めるNHKのニュースサイトのURLを送った。ひとりはイギリスから来た家族と一緒に九州にいるみたいで、逆に心配してくれた。楽しい時間に水を差して悪かったな。強調の大文字の優しさを実感した(The question is are YOU alright?)。もうひとりには「1週間は気をつけてね、怖がりすぎないで、ちゃんと準備をしていれば大丈夫だよ」と言った、言って、自分が言われた気持ちになって、それでいて、ほんとかなあ、と思った。

 

        今はファミリーレストランでこれを書いている。人がたくさんいて、大きい揺れが来てもなんとなく大丈夫そうで、なにより美味しいご飯が食べられる。落ち着こうと思って持って来た本はすでに読み終わった上巻でウーワーという感じ、だけど、知っている物語を読むというのは思いの外おちつくことだった。

 

        こういうときにひとりぼっちはほんとうに心細い。歩いていく家族とかカップルや友人づれがほんとうに羨ましかった。誰かに自分のことを丸ごと委託してしまいたい。

 

        だけどまあとにかくわたしは生きていて生きようとしている、そしてそれは全然恥ずかしくなんかない、ひとまずそう言い聞かせて、ちゃんと眠れたらいいなあ、と思う。