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さといも

さといもが嫌いです。大学に入ってから気づきました。ほくほくに見えてどろっとしてるのが気持ち悪くて、いまのところ彼らに対しては  食べない/丸呑み  以外の対処がないのですけど、しかし19年間好き嫌いを判定する機会すらなかったなんてびっくりしてしまうなあというかんじです。

 

大学に入って、「苦手な食べ物を思いきって口の中にいれる」というイベントが格段に増えました。そもそもわたしにはOASという持病があってアレルギーがめちゃくちゃ多いのと保守的な性格もあって、わたしにとって「食べたことのないもの」はぜんぶ「苦手な食べ物」で、それでもそういうイベントをこなすたび、むかしよく大人の人にかけられた「おっきくなったら食べ物の好みも変わるよ」という言葉を思い出します。

わたしにとっての食べ物の嗜好の変化は、好みが変わって  嫌いな食べ物が好きになるというよりは、成長してさまざまが鈍って  同時にがまんづよくなってきて、嫌いな食べ物の嫌いたる部分をうまくやりすごせるようになっただけという感じで、どうせ死ぬし何食べてもよくない?という気持ちがけっこうあります。でもやっぱり食に開放的なのは才能だと思うな。わたしもおいしいものにいっぱいであいたい。

あとは食にまつわる価値観は 物心がついていない時期にかなりの部分が形成される気がするので、いろんな人のそういう話を聞いてみたい。わたしが読んだ中でよかったのは  穂村弘の『君がいない夜のごはん』です。わたしはこの本で穂村弘にであい、そして彼が歌人であることを知り、短歌と邂逅したので、まさに運命の一冊という感じです。また本についてもエントリしたいとおもいます。

 

 

君がいない夜のごはん

君がいない夜のごはん

 

 

余談ですが、ご機嫌な父とさといもの話をしました。

 

「さといもが嫌い」「ああ、おれも若い頃は苦手でしたね」「どれくらい若い頃」「あなたぐらいのとき」「今は好きなの」「可もなく不可もない」「どろっとしてるのがいや」「おお〜 同じような理由でしたね」「さといもはいもじゃない」「いもじゃないものを煮っころがしたりするもんかね」「さといもの煮っころがしって見たことある?」「ないこともない」「煮ただけじゃなくてちゃんところがしたやつ?」「ぼかぁそんなことどうでもいいね」「やまいもとさといもはどう違うの」「きのことたけのこぐらいじゃない」「きのことたけのこはどう違うの」「きのこの山たけのこの里」「がはは」