移動祝祭日

勘弁してくれ.com

海外研修 1日目 ②

 

さて、香港から飛行機を乗り継いでタイに向かいました。乗り継ぎの手続きの間  研修の参加者誰とも会えなくて  ちょっと泣きそうになりながらなんとか飛行機に乗ったら 引率の教授が飛行機の搭乗時刻のぎりぎりを攻めたらしくて、機内で何度も名前が呼ばれていたので  飛行機間違ってなかった〜〜〜〜!とホッとしました。タイとは時差が2時間あって、タイの方が早いのですが、その関係もあってか機内食がまた出てきておもしろかったです。おなかいっぱい

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そのあとは数独に夢中になっているうちにタイに着きました。めちゃくちゃ蒸し暑い !日本から着ていたヒートテックを脱ぎ損ねて痛い目にあいました。

タイといえばタイ文字なのですが 仕組みが

全然わからなくてかっこいい。

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タクシーに分乗してホテルに向かおうとしたのですが、たぶん人数が多すぎるとかで乗せてもらえず、その交渉にはやっぱり英語を使うわけですけども、双方が英語母語話者ではないという状況で、たとえ片方だけが話せても全く意思の疎通ができないということに直面しました。結局うまいこと乗せてもらえたのですけど。

 

タクシーの車窓から見るタイの街の印象は、生活感がすごい!!!というものでした。郊外から都心に向かったのですが、都市計画なんてあったもんじゃないんだろうなあという感じ。乱立するパラボラアンテナに多すぎる窓。だんだん都会に近づくにつれて近代的なビルも多くなるのですが、近代的というか前衛的というか、東南アジアってけっこうそういう建物が多いイメージなんですけど、直方体のビルの上に寺院の頭のあの玉ねぎの部分だけがのっかっていたり、テトリスのピースみたいな形だったりでおもひろかったです。

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テトリスのピース

 

あとは、日本のマンションって ベランダが直方体から突き出していると思うんですけど、タイのマンションは ベランダがへっこんでいて 直方体としてのすべすべを保っているという感じで、かっこいいな〜〜と思ってみていました。 

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こんなかんじ

 

太陽が大きくて空にぽっかり穴が空いてるようだった。なかなか沈まなくて、沈んだ後もしばらく空は明るくて、それで、急に暗くなる  という感じでした。月も異様に黄色いし、地球って丸いんだなあ!

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それから国王の死を悼んで服喪を表明する看板を本当にたくさん見かけました。わたしが泊まっているホテルの最寄り駅には菊の花と等身大写真といっしょに祭壇がつくられているほど。わたしたちも、高校や大学を訪問する際にはそれに配慮したフォーマルな服装をするように指導されています。これこそが文化の違いというか、そういうものを感じました。

 

 

ホテルに荷物を置いたらつぎは列車とバスで市場へ向かいます。列車の切符はオセロのコマみたいなやつ

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タッチで改札に入るのですが落とさずカッコよく通過するのがめちゃくちゃ難しい  モタモタしているとゲートが閉まって体が挟まれます。骨盤が割れるかとおもった。あとエスカレーターがめちゃくちゃ速い  

列車の中はクリーム色の電灯にくすんだ群青色のつり革でめちゃくちゃ情緒があるのですが、なんせ 乗客がしゃべるしゃべる! 列車で電話をすることなんかおかまいなしでした。つり革が座席名前じゃなくて通路の真ん中にあるのでどこに立っていいかちょっとどぎまぎした。座っていて圧迫感がないのはいいことですね。

 


市場ではいろんな夜店が出ていて よくわからないものにいろいろ挑戦したりした 竹筒にココナッツミルクで炊いたお赤飯をつめて焼いたやつが美味しかったです。ココナッツパンケーキをそうだとは知らずに食べて、なんか食べたことあるこの味!となって、全員でいっぺんにミスタードーナツのこれ

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をおもいだしてゲラゲラ笑いました。蒸し暑くて、昼間に道路が焦がされた匂いが町中に残っていて、なんというかお祭りの日みたいでした。これが日常という生活もあるんだな〜と  スーツ姿で生ぬるいミニマルで得体の知れないお寿司を買って帰る女の人を見て、ちょっと気の遠くなる思いがした。

 


市内のバスは轟音で すごい速さではしる 全てが大仰です 停留所に停留している時間は10秒ぐらい  運賃のシステムはわりにいい加減で、係の人が集めに来る 見逃しが多いし確認もしない  車壁はブリキで床は古びた木のフローリング  蛍光灯と無骨な扇風機が何台もぶらさげられていた

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ホテルのシャワーは水しか出なかったけど、蒸し暑いのでそれでもとっても気持ちよかったです


黄色い二段ベッドの下の段で眠ります

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明日もハードだ!

 

海外研修1日目 ①

 

こんにちは、窓際です。

いまわたしは大学の海外研修でタイに向かっています。ヒューヒュー!🇹🇭 

東南アジアに行くのは初めてでドキドキしているのですが、せっかくなのでできるだけ文字にして残しておこうと思います。はてなのアプリはオフラインでも記事が書けるのでうれしい

 

 

きのう結局荷造りが2:30まで終わらなくて  悪路が多いのでバックパックを背負わないとだめなんですけど、先輩のおすすめ通り40Lを買ったら全然荷物が入らなくて  毎日同じ服を着る覚悟を決めました  ウワーン  

 

それで寝不足だったのですが 朝お父さんが空港まで車で送ってくれて  ナーバスになっているのか 高速道路がほんとうにこわかった。あと、昨日のばんごはんを食べ過ぎたのか 起きた瞬間から吐き気がすごくて  まあ血圧が低かったんでしょうけど、家を出る前から 帰りたいよ〜〜〜という感じでした。コンビニで朝ごはんを買って、日本最後の食事としてセブンイレブンの塩おにぎりを食べました。全然関係ないんですけど、塩握りの予測変換が 死おにぎり  詩おにぎり  師おにぎり でちょっと笑いました。ポエジーなおにぎり。わはは

 

空港について、バックパックに鍵をつけるのにお父さんと2人がかりで悪戦苦闘して(説明が英語と中国語でしかついていなかった)、海沿い吹きっさらしにある空港が寒くて寒くて、「こりゃ防寒具がいるぞ、そういえばウルトラライトダウンを推奨されていたような…」となり、でももちろん用意していないので、紆余と曲折を経て  車に積んであったお父さんの作業着?みたいなやつをもっていくことになりました。上からすっぽりかぶるしゃかしゃかの生地のやつなんですけど、ペンキ汚れや破れがあって  キャップをかぶると 空港の技術職員みたいな感じになっておもしろかったです。まるめがねで童顔で髪の毛が金髪混じりのぐるぐるなので  アメリカの映画にでてきそう…となりました。   お父さんは「あまりに小汚い!!!日本で着るな!!!小汚いがすぎる!!」と嘆いていたのですが、わたしはすっかり気に入っています。ホームシックになったら抱いて寝よう。うふふ

 

抱いて寝るといえば、去年の夏に  LCCの粗悪な座席に度重なる乗り換え、えげつない長時間のトランジット…というわりと過酷なオーストラリア旅行をやって、まあ直行便が高くて買えなかったのと 旅行に向けて動くのが遅すぎたというだけで めちゃくちゃ楽しかったんですけど、首がぼきぼきのばきばきのかちこちになってしまうので  「次海外に行くときは絶対にあのなんかベーグルみたいな枕を買ってもって行くぞ…」と決意していたのですが、ちゃんともってきました!  それで、なんというかあの、太さとか肌触りの気持ちよさとか重量感とかが、なんというか、完全にうちの猫なんですよね。 抱いて寝ます。

 

まあそれで飛行機にのるんですけど、座席にパーソナルTVが付いているタイプの飛行機で、コンテンツを探っていたら  ファンタスティックビースト や LA LA LAND  や シンゴジラ君の名は。 があってたまげました。修学旅行生たちが興奮の雄叫びをあげていた。わたしは LA LA LANDは映画館で観たいぞ!!  修学旅行生  あまりにもうるさいので小学生かな?と半ば本気で思っていたら高校生でびっくりしました。修学旅行だもんね。  

それでわたしは そのTVの中に入っていた andropのベストアルバムを聴きながら本を読んだり寝たりしてたのですが、マジのベストアルバムやんけ、と思いました。過不足がなくて本当にいいアルバム。発売してたの知らなかったな〜〜

 

あとはポッドキャストに 「chinese history」や「chinese saying」の朗読が入ってておもしろかったです。中国の航空会社だからなのかな。

 

 

ところでわたしは機内食がめちゃくちゃ大好きで、味とかはわりとなんでもいいんですけど、このミニマルで美しいかんじ!毎回うっとりしてしまいます。バタをつけて食べるパン大好き。どうがんばってもバタ余るやつです。

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今日の機内食は鶏肉とフライドポテトと甘い人参とそうめんとパンと デザートにはレーズン・バター・サンドというかんじでした。おいしかった!😋  めんつゆと海苔が純日本製でなんかうれしかったです。

あといつも思ってるのですが、機内食ってどう考えても2食ぶんありますよね。

 

 

ということでもうすぐ香港について、そしたら乗り換えです。

 

飛行機の窓の外って なんかうそみたい

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高校のこと・追記

 

担任の先生は 家や親のことに振り回されていたわたしに 「あなたの人生はこれからで、あなたの人生を操縦できるのは というか たとえ嫌でも破滅したくても、 自分の人生は自分で操縦しなければならないんだよ、高校2年生、3年生はその準備期間なんだよ」、ということをずっと言いつづけてくれた人で、こんなに優しい言い方じゃなかったですけど、それってやっぱり 年を重ねた人にしか  長年自分の人生をやってきた人にしか言えないことですよね。

目の前のことであっぷあっぷしていたわたしに「これから」という視点を提示してくれて、そのおかげで 「アッ、勉強しよう」って思えたし  絶対におまえたちに振り回されてやらないからな!とも思ったし  なんか  自分のために考えて自分のために行動しようっていうのがしっかり確立したのは ビッグバンだったなあと思います。

 

お父さんはお父さんという名前ではないし、お母さんはお母さんという名前ではないっていうことをちゃんとわかって、それでも彼らの子供として、うまいこと距離をとれるようになるなんて 思いもよらなかったので とってもうれしいです。まあまだまだ問題は山積みなんですけどね。 わはは

 

こんどこそおわりです。

高校のこと

今週のお題「卒業」

 

おはようございます、窓際です。

高校を卒業してから1年が経とうとしています。ワオワオという感じ。じつはわたしは高校を卒業できるかめちゃくちゃ危うかったのです。それは出席日数が完全に足りなかったからなのですけど、わたしが高校で学んだのは 大人のひとにマジの感謝をすることと、しんどい時にはしんどい顔をしてしんどいって言っていい  ということでした。その話をします。今週のお題的に間に合っていない気もする。でもその話をします。

 

高校2年生のときに、両親が離婚しました。離婚が成立したのはそのときだったけど、彼らがいがみあい始めてからは7年 別居しだしてからは3年が経っていました。離婚は いわゆる泥沼で わたしが高校1年生のときからずっと裁判と調停を繰り返していました。 まあ ありきたりな話だとも思うし、家の荒れ具合でいうと 裁判や調停が始まる前 つまり中学生の頃がいちばん荒れていたので なんであのタイミングだったんだろう  という感じもするのですが、高校2年の途中から あんまり学校に行けなくなってしまいました。最初にガタガタッと崩れたのはたぶん夏休みが明けたぐらいで  そこからは1週間ちゃんとフルで学校に行ったことってあんまりない気がします。あんまりおぼえてないけど、そのころってたぶん  離婚が成立するかしないかぐらいで  父親には彼女ができて家に帰ってこなくなって  それを知った母親から「新しいお母さんとお幸せにね、もうわたしの家庭に関わらないでください」みたいなLINEが届いて  みたいなタイミングだった記憶がある。そのあとはいろいろなタイミングで体調を崩していた。いまでもなんであんなに学校に行けてなかったんだろう というのはよくわかってないんですけど、とにかく「学校に行ってる場合じゃない」っておもっていたのはおぼえています。世界中の誰もこっちを向いてくれてないと思っていた。家にいてもずーっと情緒不安定で  よくわからない泣き方や思いつめ方をしていた。しまいには耳鳴りがとまらなくなって眠れなくなって 生活リズムがはちゃめちゃになったりしていました。

 

それで  何がいちばんしんどかったって、自分がサボっているだけなんじゃないかって思ってしまうことで、学校に行ったら行ったでそこそこ元気なので  新しくクラスメイトになった男の子に 学校に行ってないことをアウトロー芸人としてからかわれたり、やっとの思いで教室に入ったら わたしの机の上に 違う子の教科書が山積みだったり   親の離婚や家庭の不和みたいなありきたりな理由で  もっとつらい人や頑張ってる人もたくさんいるのに 自分だけが被害者みたいな顔して学校に行かなくなったりしてるの めちゃくちゃアホでは? と思ってしまったり  まあつまり 自ら深みにはまっていっていました。 担任の女の先生が 「お母さんのいない子」として 必要以上に食事や家事のことを気にしてくれるのもいやだった。

 

 

それで  高校2年生は前半ちゃんと学校に行っていたので進級できたのですが、高校3年生は序盤からめげていたので 常に出席が危なくて  しかも進学校だったので進路も決めないとだめで  というか周りのみんなはもう目標を決めてとっくの昔に勉強を始めていて  それなのにわたしは  大学行かないとだめなんですか?こんなにしんどいのに?みたいな感じで うだうだぐずぐずしていました。

 

それでも ある女の子に誘ってもらって  カウンセリングに通いだして  部活にもちょっとしばらく休みますということを言って  興味のある職業の専門学校をぼんやり調べてたら 「アーでも これは大学に行っといたほうがいいやつだな」と思って  勉強をはじめて  ちょっと気持ち的には落ち着いて  まあそれでも体調の波には抗えずにぽつぽつ学校を休んでいたら ついにあと1回この授業を休んだら卒業できませんというところまでいってしまいました。 そもそもわたしのいる県の公立高校では ひとつでも単位を落としたら会議にかけられて  事情が認められなかったり 成績が悪いとその時点で留年になったりもするという感じで 、 幸いわたしは成績はパスしていたし事情も認めてもらえていたのですが、  それでもその落とした単位の合計が13になると どこの誰がどうがんばっても卒業できなくて それを12まで落としていたということなんですけど  まあ結果的には  ちゃんと卒業できたんですよね。

 

先生たちはみんなお金をもらっているから、仕事だからしかたなくわたしに優しくしてくれているだけで  父親も母親もわたしより大事なひとがいるんでしょ、それでもあなたたちにはわたしに対する扶養義務があるんだからよろしくお願いしますね  という感じでやってきて、だからそれまで大人のひとにマジの感謝をしたことがなかったんですけど、高2高3と 2年間担任をしてくれた先生に  うまれてはじめて マジの感謝をしました。わたしの知らないところで、わたしが卒業するために、それはもちろん仕事だからなのですけど、いろいろ動いてくれていたんだろうなあ、休みが続くと頻繁に電話をかけてきてくれて、叱られたし励まされたし  やけになって「破滅したい」としか言わなくなったわたしの背中を 辛抱強くおしつづけてくれたし  進路のシビアな話をしてくれて(今のあなたの実力ならこの大学はもう無理、ここなら手が届く、ここは大丈夫  みたいなやつ)  年賀状には「あなたの人生の本番はここからです」と書いてくれて、本当に救われました。

 

そう考えると、学校に行ったらちゃんと友達がいて 授業のノートを見せてくれたり 行事の班分けの仲間にそっと入れてくれていたり  保健室のカウンセリングに申し込んだらどうかと誘ってくれたり、とことん話を聞いてくれたり  その逆に 何にも聞かないでいつも通り遊んでくれたり  いろんなやりかたでたくさんの人に助けてもらっていたなあと思います。電車で過呼吸になって ホームで休んでいたわたしに 同じ電車に乗っていたサラリーマンのひとがわざわざペットボトルのお茶を買って戻ってきてくれたこともずっと覚えています。いまこの瞬間は世界に大事にされてると思いました。自己肯定感というか。

 

なんでみんなわたしにこんなによくしてくれるのかな、優しくされていいのかな、気持ち悪くないのかな、こんなものを受け取っていいのかな  という戸惑いはすごく大きかったけれど、それ以上にほんとうに嬉しくて、ああ、これが感謝ってやつなのか  自分のなかから自然とわきあがってくる感情が人に向かうのってすごいな  と思いました。

 

そういう意味では、現役で第一志望の大学に入ることができて  そして大学ではちゃんとフルで単位を取っているので 少しは恩返しできたのかなあと思う。えらい!

 

あとは  カウンセリングに行ってみて 、しんどい時はしんどい顔でしんどいって言っていいんだ、むしろどちらかというとそのほうが良いんだ ということを学びました。わたしが周りの人から勝手にサボってる認定 されたり、自分のことをそう思っていたのは、へらへらしていたからなんだな〜〜ということなんですけど、なんというか、扱われたいようにふるまわないと へらへらしているだけではただの自虐・自嘲になってしまうし、それはちゃんと話を聞いてくれようとするひとに失礼で  しかもわたしも大きなチャンスを逃すんだな  ということに気づいたのでした。扱われたいようにふるまう  というのは たとえば気遣われたいなら気遣ってほしいと表明する  ということで  わりと諸刃の剣なんですけど、すくなくともあの環境、あのしんどさのなかでは必要なことでした。

 

カウンセリングや保健室の先生と話すなかで  「わたしはわたし個人のしんどさを持っていていいんだ」  と思ったし、頭の固い女子高生を  とにかく全肯定してそのフェーズまで辛抱強くもっていってくれた先生たちのことを、たぶんずっと忘れないと思います。いま思うと、この経験のおかげで ほかの人の話の聞き方がずいぶんかわったなとおもいます。その人の話としてちゃんと受け取れるようになったというか、自他の区別がついたんですね。

 

 

「仕事だからこれだけやってもらってあたりまえ」とか、「仕事なのにこれだけやってくれてすごい」とか  そういう話ではなくて、大人たちが仕事という枠の中で  せいいっぱいわたしのためにできることをどうにかこうにかやってくれた んだ ということに気づいて、道徳の授業じゃないところで  自分のなかから 感謝のきもちが湧いてくるのを経験できたのは めちゃくちゃ大きいことだったと思います。 いい高校だったなあ

 

とはいえ、なんだかんだタイミングを逃してしまって 1年間1回も先生たちに会いに行けていないので 2017年にやりたいこととして ことしは 高校の先生に会いに行きたいと思います。

 

 

 

おわり!

 

優等生は身を滅ぼす

 

「優等生は身を滅ぼす」というのは わたしの大学の日本語の教授が常々生徒に対して言っていることなのですが  マア  わたしの大学には幼い頃から勉強ばっかりやってきて、ずーっと優等生で、そのマインドを大学生になっても引きずっている学生が多いというアレらしい

 

1年生の前期にその先生の日本語の一般教養の授業を受けていたのですが、毎回40分遅れてきて 残りの50分はずっと誰かにぶちぎれている という授業で、だから日本語の勉強はぜんぜんしていなかったんですけど、それなのに試験は本当に難しくて(「部屋に花を飾る」と「部屋を花で飾る」は  助詞がぜんぜん違うのに意味するところは同じですよね、じゃあ例をあと3つ挙げて、どうして同じ意味になるのか説明せよ、みたいな感じの問題でした。実例 激ムズじゃないですか? 「絵に色を塗る」「絵を色で塗る」みたいなことを苦し紛れに書いた気がする) 試験が難しいのに答えが間違っていてもきちんと考察していれば成績評価はめちゃくちゃいい点をくれて…という本当に変な先生で、日本語専攻の中でもその先生のことを毛嫌いするひとも多いのですが、わたしはどうしてもその先生のことを  ただの変なオッサン  とは思えない    それは50分はずっと誰かにぶちぎれている そのブチギレが はちゃめちゃな割に けっこう筋が通っていて そしていい歳をした大学の教授がほんとうに心の底から激怒しているのが面白いということなのですが、 まあそんなこんなで  この春  彼が主催する研修ツアーに参加することになり、口を酸っぱくして言われているのが 「優等生は身を滅ぼす」ということです

 

彼が言うところの優等生というのは、情報が揃っていればそれを処理する力はあるが  なにも情報がない時にどう動いていいかがわからない・「正解」を求めている(何に対しての?)・架空の 先生的な人物に怯えている(一体それはだれなんだ?) みたいなことで、曰く「18歳だって死ぬ可能性はあるんですよ。優等生気質をこじらせると死に至ります。僕はあなたたちを修学旅行に連れて行くんではありません。このツアーでは自分の身は自分で守ってください。自分の身を自分で守るとはどういうことがわかりますか。人に迷惑をかけるということですよ。人に迷惑をかけることを恐れてはいけません。わからないことがあったらどうしますか。道に迷ったらどうしますか。何も情報がないときに、看板の文字が何も読めないときにどうしたらいいと思いますか。人に聞くんですよ。なんでも尋ねなさい。そして自分の頭で考えなさい。それができるひとがほんとうに賢い人ですよ。自分が自分に課しているそのプライドがいかにくだらないかわかるでしょう。」ということだそうです。

 

あともうひとつ先生が言っていて印象に残ったのは「日本語の劣化と日本語の変化の違いがわかりますか。言語とは日々形を変えるものです。誤用だった用法がちょっと経てば市民権を得るなんてことはざらにある話ですよ。それは変化なんです。絶対に正しい形なんてないんです。だけど日本語は確かに劣化している。ちがいがわかりますか。たとえば「おつかれさまです」と言いますよね。意味がわかっていますか。ほんとうにおつかれさまです と思って言っていますか。みんな言っているからなんとなく言っているのではないですか。自分の頭で考えずにスタンプの日本語を安直に使うのはばかものですよ、それが日本語の劣化です。その語の意味もよくわからない、頭も心も使わない言語運用なんて最悪です。愚の骨頂ですよ。」みたいなことで、まあふだんから語弊しかない先生なのですべてに賛同しているわけではないし、けっこう乱暴だなあとも思うのですが、こういうことをわざわざ言葉を尽くして突きつけてくれる人ってありがたいなあ と思います。 たぶん今よく聞く「エモい」や「コスパがいい」とかもそういうスタンプ的日本語なんでしょうね。わたしは短歌が大好きで、短歌や詩や俳句や  もちろん散文もそうなんですけど 文芸ってそういう スタンプ的日本語でしかカバーできない大きさの感覚・あやふやな輪郭の感覚を すこしずつ丁寧にほどいて言語化する作業のように感じているので、けっこうこの話は面白かったです。

 

 

さて、その海外研修では  タイとミャンマーベトナムの高校や大学を訪問して、そこで日本語を学んでいる人たちと交流します。ということは、わたしたちは  彼らからすると 母語話者の先生なわけです。いつも外国語を学んで、その母語話者たちと交流をしてきたわたしたちが、自分の母語を学んでいる人たちと交流するというのは、つまり消費者から供給する側にまわったということで、いまタイの高校生と日本語でメッセージのやり取りをしているのですが、漢字をなるべく使わない・複雑な構造の文章はつかわない  など、けっこう気を使うことが多く、わたしもいつもそういう風に助けられていたんだなあ ということを実感しています。たとえば私が普段受けている全編ロシア語の授業はただロシア語で開講されているだけではなくて、初級学習者にどうすれば伝わるかということがすごくよく考えられているんだなあ  など。

とはいえ 荷物を入れるバックパックをきのうアマゾンで注文したぐらい  まったく用意が進んでいないのですが、優等生マインド撲滅しつつ 楽しんできたいと思います。ヒューヒュー!

 

 

『たかが世界の終わり』

 

グザヴィエ・ドラン 監督最新作の『たかが世界の終わり』を観ました。

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 あらすじを引用します。

「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷するルイ(ギャスパー・ウリエル)。母のマルティーヌ(ナタリー・パイ)は息子の好きな料理を用意し、幼い頃に別れた兄を覚えていない妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)は慣れないオシャレをして待っていた。浮き足立つ2人と違ってそっけなく迎える兄のアントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)、彼の妻のカトリーヌ(マリオン・コティヤール)はルイとは初対面だ。オードブルにメインとぎこちない会話が続き、デザートには打ち明けようと決意するルイ。だか、兄の激しい言葉を合図に、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる。

 

ここからは感想というか、だらだらいろいろ考えたことを書いてみようというアレなのですが、ネタバレもネタバレじゃないところもぐちゃぐちゃで、まあこの映画はネタバレもくそもないタイプのやつなのですが、アッムリ!!!と思ったら、あの、すみませんが  よろしくお願いします。

 

ドランの映画  いいに決まっているのでわざわざ褒めるのめちゃくちゃアホっぽいんですけど、すごい映画でした。

 

ひとことで言うと、わたしのための映画でした。息をする暇がなかった。 舞台が用意されているだけで説明が本当に一切ないんですけど、でも  痛いぐらい、痛いのに笑ってしまうぐらい わかってしまう、受けとってしまう  というかんじでした。それは わたしが母親と3年ぐらい会えていなくて、会わなくなる前から長いこと仲も悪くて、望んで別れたわけではないけど  時間が経ってもどうしても会えなくて、それでもどうにか今年 再会して 母と娘をやり直しはじめた、少なくともわたしはやり直し始めることができたと思っている  というところにいるというのが大きいと思うのですけど、たとえば、久しぶりの再会における固有名詞の共有できなさだったり、黙っていることも自然に話すこともできなくて 嘘っぽい会話をにこにこかさねるしかない、ということや、再会を待ち受けている側が自分の好物をこしらえて待っていてくれる面映さも、わたしはよく知っていました。前半は、そういうものの追体験のようでとても息苦しくなったりもした。 お母さんに再会するまでのわたしが観ていたら どんな風に感じたんだろう、とも思います。

 

 

母親からルイへの台詞で「あなたのことは理解できない。だけど愛してるわ。」というものがあるんですけど、ああ、つまりそういうことだ、そういうことなんだ、と思いました。これはレトリックとしての二項対立や まして 二物衝突でもなんでもなくて、事実なんだということが、実感としてすとんと腑に落ちたとき、心底震えてしまった。

 

つまりどういうことかというと、うーん

 

ひとは基本的に  他者から愛されたがりますけど   では自分が愛されてるということを正気で受け止めるだけのアレがあるかないか  というのはけっこう別の話というか   見落としがちなところで 、

家族であっても他人は他人だと認めること、あなたはわたしではないし  わたしはあなたではないと認めること、わたしは誰の思い通りにもならないし、あなただってわたしの思い通りになんかならない、理屈でうまく折り合いがつくことばかりではないし  だからって想いが伝わるとも限らない  と認めること、そのうえで、わたしはあなたを愛しているし、あなたはわたしを愛していると 理解し、受け容れること、そして、それを受け容れた自分ごと抱きしめてあげることがどれだけ大変か という映画だったのかな、という感じです。

 

そういう類の受け容れというのは ある種の諦めなのでしょうけど、でも諦めでしか救われないものや、諦めてからしか動けない場合って確かにあるでしょうという

 

たとえば、ルイの言葉やルイと家族の会話を、表層的で最悪だ、わけがわからない なんの意味があるんだ って兄は言ってたけど、 記号が人を救うことだってある。ここでの記号っていうのは  「アホのふりをする」ということなのですけど、アホのふりをするのってすごく難しくて、なぜかというと アホのふりができるのは賢い人だけ というか ある程度の覚悟を決めた人だけだからなんですよね。 もういちど「家族」に戻るためには、時間を巻き戻すためには、辛抱強く 手順を踏まないといけない、いくらもどかしくても、噓っぽくとも、みんなで協力して  ぎこちない  気恥ずかしい時間を乗り越えなければならない。それは、たとえ嘘でも年の離れた妹に「いつでも遊びにおいで」と言うことだったり、長兄に「もっと自由にやっていいんだ、いままでありがとう」と言うことだったり、会ったことのない子供の名前の由来の話を気持ちよく聞くことだったりすると思うのですが、言い換えれば 思いやりの儀式というか まあ一応の好意の表明 ということで、それができていた、やろうとしていたのはルイと母親と兄の妻で、それをどうしても耐えがたく思ってしまうのが兄だったのだなあ、と思う。すごく正直で不器用な人で、いちばん生々しく人間的な人でした。

 

 

理解されないのはつらい。ルイはちょっと違う世界の人で、心からの言葉を「お前が何を言ってるのかわからない」と言われてしまう(これはめちゃくちゃ身に覚えがあってつらかった) 。 そして、理解しがたいものを理解するのもつらい。でも愛していること、愛されていること だけはわかる。だからお母さんは「次はきっと大丈夫だから」と言って自分からルイに背を向けるのでしょう。 次なんてないんです。ルイはもう死んでしまうから。でもこの一言でみんなが救われた。愛が届いた。すごい台詞です。

 

これを里帰りの話だと捉えると、才能があって家族を置いて出て行って  やっとその不在に慣れたところに 勝手に帰ってきて辛そうな顔をするルイのことをめちゃくちゃ嫌いになると思うのですが(そしてドランはわざとそういう舞台を用意したんだと思う) わたしは  事実として  どうしてもルイ側の人間で  ただの里帰りの話とは思えませんでした。確執もあっただろうし(そのヒントはけっこうちりばめられている)  それで家を出て、それでも毎年お誕生日カードを家族全員に贈って(それは家族の誰よりもルイの慰めになっていただろうな、儀式として)、それで もうすぐ死んでしまうという段になって  やっと帰って来た。もうすぐ死ぬというのが、病気で死んでしまうのか、もうすぐ死ぬことにルイが決めたのか、そういう説明は全然ないんですけど、結局どっちにしても 登場する5人の考えてることや気持ちをしっかりまるっと 伏線回収するように理解することはできない  なぜなら  観ているわたしと彼らもまた他人だからです。ああ、めちゃくちゃひとりなんだな  でもそれってものすごい救いでもあるな  と思いました。

 

 

共感する、とか 泣ける、とか おもしろい、とか  ラストが云々、とか  そういう映画ではありません。受けとれる人間が受けとって、ずっと大切にしていく類のものだと思います。それをもしかしたら芸術と呼ぶのかもしれないんですけど  そういうものに その気があればいくらでもアクセスできる時代 もっと言えば ドランが生きている時代に生まれてこれて本当によかったな〜と思います。

 

ひとりで観るのがいいとおもいます。

 

 

 

 

父親のこと

 

わたしは父親がだいすきです。彼の考えは筋が一本通っていて納得しやすいし、ユーモアのセンスがあり、よく働き、よくお酒を飲み、ときどきお茶目で、なによりわたしのことをめちゃくちゃだいすきだからです。

ということで ちょっと父親についてのアレコレをまとめて置いておきたいと思います。わたしのおとうさんは最高

 

 

54歳2人とパリピの定義について語り合った結果彼らは刹那主義なんだなあという結論になって、父が じゃあ俺は広義のパリピだな と言ったのやばかった 父親がパリピ

 

交通事故のニュース見て「あと1秒でも家出るの遅かったらこんなことにならんかったのにね」と言うと 「死ぬ人は死ぬ、行きに死ななくても帰りに死ぬ、その日に死ななくても近いうちに死ぬ、そういう風にできてる」と返してくるような父のそういうとこばっかり受け継いでるようでウワーー

 

家庭環境が家庭環境だったので、わたしがグレて不良にならなかったのは完全にたまたまやぞ、と日々すごんでいるのですが、父は連絡さえすれば門限もないし多少無茶な遊びでも相談すれば応援してくれ、それは自分の遺伝子を信用してるから 私が父の遺伝子を持っている限り極悪非道な笑えない無茶はできないはずだということらしく、信用であり呪いであり愛であり、そういうのを裏切れないなあと思ってまた不良から遠のいていく 父は はちゃめちゃだけど筋が通っているのでとても好き

 

ちゃんとありがとうとか言わないとあかんな〜と思ってたまに突然お父さんにありがとうございますとだけLINEするんですけどどうやら怯えさせてしまっていたみたいで反省

 

 

とはいえ定期的に父がくそったれになる日があって  理不尽で声のでかい話の通じないくそじじいに変貌を遂げるのですが  そういうときはほったらかしておくしかないようですね

 

家が揉めて 高校に行くのがしんどくなって  そんなときにできるかぎりわたしを連れ出してくれたのは父だし  のびのび勉強して やりたいことを見つけて それができる大学に入れたのも父のおかげです。  夜中に わざわざお鍋であっためたカフェオレを差し入れてくれるのは全然当たり前じゃないんだぞ ということを心に刻みなおす日々です。

 

2017年にやりたいこと  というエントリにも書いたのですが、今年はいっぱい親孝行をするぞ!というきもちです。もちろんおかあさんにもね。