移動祝祭日

勘弁してくれ.com

8月14日

 

  みんなが終電で帰ってしまうというので見送りをしてから、家に入りづらくて、自分の家なのに可笑しい、と思いながら、ポケットに入れてあった煙草に火をつけて、立ったり座ったり、携帯電話を眺めたりやめたりしながらとにかく一本を灰にした。もう一本と思ったけれど、今度はなんだか大丈夫な気がしたので、オートロックを解除する。わたしと一緒におおきな平べったい蜘蛛がぞろぞろぞろ、と這入ってきて、お前には関係ないだろ、と思って、そうしているうちに家に帰る気持ちが出てきて、階段をのぼった。ここまできてしまえば、涼しい部屋が恋しいばかりだ。とうとう家に帰ってきて、玄関の靴箱の姿見に映る自分をみて、無様だな、いや、そこまででもない、と思った。一応笑ってみて、さっきまで間違いなく楽しかった、という言葉が浮かんだので、そう言った。

 

  彼らが残していったものものを眺める。幾つかの洗い物と、自分では絶対選ばないだろう炭酸飲料と、21歳のお祝いの、21個のプレゼント。漫画の本をもらったので、また煙草を吸いながら読む。これをくれた人がときどき貸してくれる本の匂いが好きだ。それがどんな匂いだったか不思議なことに全然思い出せないのけど、とにかく、家の匂いがするのだ。特定の家というよりは「家」という字面そのものが持つ匂いがする。他人の家の匂い、しわくちゃの茶色の、たまにみどりがかった甘ったるい青の、薄いセロファンの、そんな匂い。だからその人がくれた本に煙草の匂いがつくのは残念だ。わたしの煙草は自分を傷つけるために仕方なく所持しているもので、だけど母だけは、自分と同じように娘が煙草を吸うようになるのはちょっと嬉しい、と言う。いつかわたしも自分の匂いの家をもつのかな。

 

  その漫画は団地に住む人々の物語で、いいな、と思うものもあれば、そうかな、と思うものもあった。そうかな、というのは、それって本当にいい話なのかな、ということで、だけどいろんな人が住む場所の物語なので、これでいいのだと思う。

  好きなものを好きな理由をきちんと言える少女や、小さなきっかけで好転するさまざま、突然見開きいっぱいに現れる高架の太い柱に涙ぐみながら最後まで読んで、泣きたかったので少し泣いた。

 

  ソファに右耳を強く押しあてて寝転んで、いろんなことを考える。

  言わなくてよかったことや言ってよかったこと、聞きたくなかったことや聞けてよかったこと、言えなかったことや聞けなかったこと、これからのことと今までのこと、さみしくてさみしくてさみしいこととか、だけどどうしても曲げられない自分のこと、見送るのと自分が帰るのどっちがいいのかということ。

  どれだけ先延ばしにしても別れは必ず来るので、それなら自分でコントロールできるうちに別れてしまいたい。だから今日は自分が帰りたかった。できれば誰にも何も言わず、いつの間にか。そういえば別れの時の涙の内訳ってなんなのだろう。取り返しのつかないものに対する恐怖みたいなものがある気がするけど、わからない。

 

  考えていることや呼吸のリズムに合わせて聞こえる鼓動の早さが変わる。めちゃくちゃ生きてるなあ。

  だけどまあとにかく、どうやら概ねうまく喋れるようにはなってきており、それはよいこととは限らないにしても、悪いばかりではない、はずだ、頼む、お願い、というのを結論にして、寝よう。あの団地の一軒一軒に並ぶ本の匂いをかげるような夢がいいなあ、ぜんぶの家の孫になりたい。

 

 

女湯のこと

 

        19歳のとき「20歳になったらめちゃくちゃいい財布を買うかピアスの穴のひとつやふたつ開けるか小さいタトゥーを入れよう」と思っていて、だけど結局そのどれもしなかった。

 

        銭湯がとっても好きだ。ひとり暮らしの家で湯船にお湯をはって処理をして掃除をして、みたいなのが面倒だというのもあるけれど、なにより、広いお風呂の開放感はほかの何にも代えがたい。

 

        わたしが銭湯にいくのは大抵父親と焼き鳥を食べた帰りで、じゃあ1時間後に、と約束して女湯と男湯にわかれる。岩盤浴や塩サウナやジェットバスをひととおりまわって、露天風呂にでる。火照った身体に風が気持ちいい。自分の身体からぶわぶわ湯気がたちのぼるのをおもしろく眺める。最初は勢いよく、次第にへなへなになる湯気、おっぱいから冷たくなっていく身体。わたしの中身がぜんぶ湯気になってひらひらの皮膚だけが残るのを想像する。お湯の表面を走った風が水分を孕んで渦をつくりながら湯気にかわる様子に何度でも驚く。

 

 

        開放感は解放感でもある。眼鏡を外して服を脱ぐと、現世から浮いた感じがする。わたしは目が悪いので、誰のこともはっきり見えないし、だから見られている感覚もない。ただ肌色の生命体がお風呂場を行き交っている。メイクやおしゃれやTPOや、社会で真っ当にいきていくための武装ぜんぶを取り払って、ただの肉体として外の空気にあたると、地球上に存在してきたいろいろな生態系のうちのひとつ、というような気がしてくるのだ。携帯電話を持ち込むことも当然できないから、考え事をする。小さく歌を唄ったりもする。「脳みそがあってよかった電源がなくても好きな曲を流せる」という短歌があるけれど、自分の脳みそにきちんと入っている曲はそう多くない。大切に唄う。身体も気持ちも裸で、どこか無垢にぽかんとしている。自分のことだけ考える。

 

 

        お風呂を上がったあと、脱衣所の鏡の前のカウンターに横並びに座ってみんなが髪の毛を乾かしているのを眺めるのもいい。湯上がりには各々の流儀があるからだ。はだかんぼうでまずは何が何でも顔の水分をどうにかする人、ブラッシングに余念がない人、子供の世話にてんてこ舞いの人、服を着る順番、体重計、靴下の枚数、瓶の牛乳、もってきた白湯。

 

        ひろいお風呂での入浴が開放/解放ならば、これは助走だ。それぞれの1日の終わりに癒され、そして明日に向かうための下ごしらえ。肌色の生命体から社会的な動物に戻るための準備、その切り替え、その流儀、各々の生活、そういうものがとっても心強い。

 

        父は長風呂だ。5回銭湯に行ったら3回くらいはわたしのほうが早い。男湯ではどんなことが繰り広げられているのだろう。一生知ることのない世界のことが眩しくもあり、彼が一生知ることのない女湯について誇らしくもある。

 

 

        父は牛乳、わたしはコーヒー牛乳を飲んで、体から湯気を出しながら歩いて帰る。

        20歳になって1年が経とうとしているけど、これからもしばらくはタトゥーは入れないだろうな、と思う。わたしにはまだ女湯の魔力が必要だ。

地震のこと、


        日本に住んでいる限り地震というのは常について回るもので、そんなことはわかりきっていると思っていたけど実際は全然わかっていなかった。


        地震が起きたときわたしは人をダメにするソファでダメになっている最中で、地震の最中のことはあんまり思い出したくない。とにかく震源が近くてめちゃくちゃに揺れて、食器も何枚か割れてその音ですくみあがってしまって、そのときの強張りがいまだに解けないでいる。揺れが収まってからすぐ震える手で父親に電話した。あんまり揺れなかった地域にいた彼はいつも通りの調子で、安心するような拍子抜けするようなそんな感じだった。


        わたしの家にはテレビがないのでラジオアプリをインストールして、あとはTwitterを眺めていた。母からもすぐ連絡があり、食器を下ろしておくことやお風呂に水を溜めること、靴下を履くことを指示してくれた。


        Twitterでは大学が休みになるかどうかとか、電車に閉じ込められた話とか、混乱に乗じたネタツイとかで阿鼻叫喚だった。わたしは20歳にもなって文字通り泣きべそをかいて、しゃくりあげて部屋中をうろうろしていた。しばらくしてすこし落ち着いて、家に何にもないことに気づいて、コンビニに行った。


        混乱している自分も、本気でつぎの大きい揺れを怖がっている自分も恥ずかしかった。恥ずかしがる必要なんてない、電車も何もかも全部止まって、ひとりぼっちで、自分を守るのは自分しかいないんだから、情報を集めて色々用意するのは全然恥ずかしいことじゃない。だけど、普通の顔で働く店員さんとか、普通の顔でサンドウィッチとコーヒーだけを買うサラリーマンとかを見て、カゴいっぱいにお茶とかウエットティッシュとか缶詰とかカップラーメンとかを入れている自分が恥ずかしかった。


        そしたら子供連れが2組ぐらい店に入ってきて、お母さんと子供達で協力して水や食べ物をテキパキ選んでカゴに入れていて、お母さんがめちゃくちゃ凛々しくて、それですごく安心した。これでいいんだ、そうだよな、全然間違っていないよな、ああ、お母さんだ、と思った。


        今日は本当はわたしの家で友人とクレープを焼く約束をしていて、でもその友人から「今日は無理そうだね、わたしたちもいま非常食とか確保してるところ、ドアはしばらく開けといたほうがいいかも、1人で不安なら電話かけてきてね」というLINEがきて、すこし落ち着いた。彼女はわたしより震源に近いところに住んでいる人で、わたしと同じものを体験して同じように怖がっている人がいるんだということにすごく救われた感じがした。


        なんというか、わたしはあの揺れですごく根源的な恐怖を感じて、だから今日の授業がぜんぶ休講になって「ラッキー🤞🏻」みたいな余裕はほんとうになくて、でもTwitterとかを見てると、みんな着々と今朝の出来事をネタとして消費し始めていて、地震の影響がなかった地域は当然いつも通りの生活で、やっぱり恥ずかしい気持ちと、うそでしょ、という怒りのような気持ちでいっぱいだった。



        はじめてほんとうに当事者になったんだ、と思った。わたしは全然わかっていなかった。どれだけ怖いかも、どれだかわかってもらえないのかも。


 

        通っていた中学校の自分の教室の自分の席で、国語の時間の終わりにノートに消しゴムをかけようと力を入れ、前のめりになった瞬間に視界がくらくらっと揺れた。まばたきをして、視界がもう揺れていないことを確認して「いま目眩した」と何とはなしにつぶやくと「わたしも」「エッわたしも」という声が返ってきた。なんなんだろうね〜という空気のままに授業が終わって、掃除をして、お手洗いに行って、教室に戻ってくると、備え付けのテレビがついていた。みんなリュックを背負ったままテレビにかじりついていて、テレビでは、ぐしゃぐしゃのかたまりがびしゃびしゃになっていく映像と、その右上に『東北地方で地震 M○』みたいな文字がでていて、地震かあ、どおりで、と思った。

 

        それがわたしのあの日の全てだ。一瞬の目眩のようなもの、すぐに完結するもの、他人の領域のもの。


        そういうものなのだ、電気もつくしガスも使えるし水道もでる、食料も水も生活用品も備えた、それでもこんなに怖い、これだけ備えているつもりでも怖い、そもそも備えていることを恥ずかしいと思ってしまう、まだひとごとだと思っているから。



        非常用の鞄を作ろうと思ってコンビニで買ったものや歯ブラシやサランラップや石鹸や毛布を詰めている間、ずっと「備えたくない、備えたくない」と思っていた。備えなくても安心したい。大丈夫なことを誰か証明してほしい。


        チューターをしているフランス人の女の子のことを思い出して、LINEをして「何か不安なことがあったらいつでもなんでも言ってね」と言った。最近通っている英会話グループのメンバーに英語で読めるNHKのニュースサイトのURLを送った。ひとりはイギリスから来た家族と一緒に九州にいるみたいで、逆に心配してくれた。楽しい時間に水を差して悪かったな。強調の大文字の優しさを実感した(The question is are YOU alright?)。もうひとりには「1週間は気をつけてね、怖がりすぎないで、ちゃんと準備をしていれば大丈夫だよ」と言った、言って、自分が言われた気持ちになって、それでいて、ほんとかなあ、と思った。


        今はファミリーレストランでこれを書いている。人がたくさんいて、大きい揺れが来てもなんとなく大丈夫そうで、なにより美味しいご飯が食べられる。落ち着こうと思って持って来た本はすでに読み終わった上巻でウーワーという感じ、だけど、知っている物語を読むというのは思いの外おちつくことだった。


        こういうときにひとりぼっちはほんとうに心細い。歩いていく家族とかカップルや友人づれがほんとうに羨ましかった。誰かに自分のことを丸ごと委託してしまいたい。


        だけどまあとにかくわたしは生きていて生きようとしている、そしてそれは全然恥ずかしくなんかない、ひとまずそう言い聞かせて、ちゃんと眠れたらいいなあ、と思う。



        


5月22日

 

        朝起きたらベーコンを4枚、規則正しく並べて焼く。ベーコンチーズトーストを作るのだ。焼きはじめたところでポップアップトースターに食パンをセットし、ベーコンを裏返したらその上にチーズをのせる。チーズがとけた頃にパンが焼けるのでバターを手早く塗って、ベーコンとチーズをのせる。

        これが毎朝の朝食で、食パンは冷凍してある。ここ3日間、スーパーの特売で買ったみっつ入りの安いプリンを食べないとなあと思いつつ、パンを食べ終わった頃には忘れている。

 

        身支度を済ませて学校にいく。天気は良かったが気分はそうでもなかった。2限目を受けながら窓の外を見ると、キャンパスの中心に立つ世界樹と呼ばれるおおきな木が揺れている。

        世界樹はとても大きいのでかなり離れないと全体が見えない。2限の窓から見えるのは後頭部だけだった。後頭部の、左耳の後ろのあたり。風に吹かれた世界樹は枝の先から順番に震え、最後にはおおきな波のように揺れる。外が晴れなのはわかっているのに、大雨の音がするので変な気分である。せわしない音に対して波のうごきは泰然としていて、そのまわりだけ時間の流れ方がおかしい。

 

 

        昼休みの前にとても嫌なことが起こる。激昂というよりは鈍く腫れ上がったような怒りでいっぱいになってしまって、たいへん苦しかった。すぐさま文章におこしてみたけれど、少し言い訳がましいと思ったので消した。

        いつもなら言いきってしまえばすっきりするのに、今回はじんじんする。わかりあえなさを突きつけられるのはとても痛いことだ。

 

 

        学校の帰りに古本屋で2時間かけて本棚をすみずみまで検分し、思うさま本を買った。フランス語の辞書が200円で売っていて、とても慰められた。200円で手元に置ける人類の叡智。

 

 

        家に帰って、1日に40本たばこを吸う人間の物語を読みながらたばこを吸った。今日はなぜだかうまく吸えない。たばこを吸うことは深く息をすることだなと思う。たばこにまつわる感傷的な言説は無数にあって、陳腐だとは思う一方どれもきちんとわかる気がする。

 

        わたしはたばこを吸いたいというよりは、煙を口から出したいのだと気づく。怪獣がそうするみたいに。ぼんやり吸っていると頭が重くなってくる。頭が重くなるのか首が仕事をやめるのかわからないけれど、体感ではなく物理の、数字通りの重さに戻る感じがする。

 

        そのうち吐き気がしてくるのでうがいをする、わたしは水道水を口に入れることができない。煮沸するか浄水しないとなんとなく気分が悪いのだ。このまえ駅前で怪しげな宗教団体の話を30分聞いたけれど、なんの理由もないのに水道水を受け付けないことのほうがよっぽど宗教めいている。

 

        ソファに沈み込んで目を瞑る。いい加減ライターと灰皿を買おうかな、しかし、わたしはたばこを吸う自分のことをあんまり認めていないので、できればほしくない。のっぴきならない理由で、しかたなく、コンロの火を汲んでベランダの床に押しつける、そういう言い訳が必要なのだ。

 

        うまく傷つけなかった、と思う。あまりに気持ちがしんどいとき、体を痛めつけるとすこし救われる気がする。だからわたしはたばこを吸うのだけど、それは別段たばこでなくてもいい。そのうち手首を切るようになる気もする、こんな思考停止の仕方を覚えてしまって、どうするつもり、どうなるんだろう。

 

 

        父親が本を読む姿を思い出す。太くてがさがさの指のなかの文庫本はとても小さく見える。浅黒く日焼けして筋肉のある彼に文庫本は全然似合わない。彼が背中を丸めて本を読む姿は、腕に大切な赤ちゃんを抱いているようにも見える。

        彼が本のページをめくる音が好きだ。がさがさの手で、思い切りよく、でも薄い紙を傷つけないように。べらりっ、べらっ、べろりっ。その拍子に紙から文字が浮き上がって、目や、鼻や、耳に吸い込まれていく。

 

        この人の血をひいているのだ、と思う。

それはとても安らかなことだった。

おもちゃの車

  映画や小説のネタバレを嫌がるひとはたくさんいるけれど、音楽のライブはそうではない。もちろんセットリストを事前に知ってしまうのが嫌という人はいるだろうが、自分が知っている曲を演奏してほしくないと思うひとはあまりいないと思う。

  どんな歌詞でどんなメロディでどんな構成か。これから見せられるものの正体がすでにわかっているもののために、どうしてわれわれは、わざわざ新しくお金を払って時間に都合をつけて、ときには長い距離を移動して、音楽ライブに行くのだろう。

 

 

  「大人になったいま、この愛する ”おもちゃの車” から降りることにしました」と言って、Galileo Galileiは活動を終えた。彼らはすごく早咲きのバンドだった。早咲きというのは変な日本語だけれど、早熟だったのではないと、わたしは思う。彼らが熟すのはもっとずっと後で、今ですらなくて、もしかしたらそういうことも、彼らがおもちゃの車を降りた理由の一つかもしれない。彼らの音楽は、決してキャッチーなものばかりではなく、ときには難しかった。だからたくさん聴いたし、その度に少しずつ、わたしの体になじんでいった。ライブにも何度か行った。髪の毛を逆立てながら、鳥肌を立てながら、息をのみながらその空間にいた。とても大切な時間だった。わたしは、おもちゃの車を心から愛していた。

 

  2年経って、その彼らが、Galileo Galileiとほとんど同じメンバーで新しいバンドを始めるという。わたしは(正確に言うとわたしたちは)、Galileo Galileiというバンドへの信頼だけで、まだ1曲も発表していない生まれたてのバンドのライブのチケットを申し込み、学校をサボタージュすることを決意し、東京への航空券をとった。

 

  Galileo時代の曲をやるかもしれないという期待は当然あった。ライブ当日の時点で、彼らはまだ2曲しか発表していなかったからだ。その2曲が素晴らしいのは当然のこととして、開演前には戯れに「何してほしい?」「SIRENとkiteと鳥と鳥!」みたいな会話もしていた。

 

  そんな会話をしたことを恥じ入ってしまうようなライブだった。1時間とすこしの、本当に短い公演だったけれど、すごい体験をしたと思った。

 

  1曲目で彼らは「彼らはきみが好きな曲をやらない、そのバンドはやらない」と歌った。ライブは、当日までに発表されていた2曲以外、全部が新曲だった。知らない曲ばかりのライブなんて初めてで、わたしは自分でもうろたえてしまうほど戸惑った。率直に言うと、楽しくない、入り込めない、しんどい、なぜなら曲の像をつかむのに必死だから。彼らは「はじめまして」と言った。初めて出会ったのだ。

 

  どうしてわれわれはライブに行くのか。一体感を楽しむため、踊るため、憧れの人と会うため、大きな音を聞くため、いろいろな理由や目的があると思うけれど、わたしは、受け取り直すためだと思っている。わたしにとって音楽を聴くことは孤独で、それは軽音楽部に入ってもバンドを組んでも変わらない。だけどその孤独を、ごく近しい信頼できる相手と分け合ったり交換することはできる。その最たるものがライブで、わたしは、丹念に自分の体になじませて作り上げた像を、ほんものの彼らや、彼らを愛する人々と一緒になぞり、その摩擦で生まれるあたらしい閃光を受けとるために、ライブに行くのだと思う。

 

  そういう類のものが全部くつがえされるようなライブだった。彼らと音楽をなぞることはできなかった、そうさせてくれなかった、絶対にわざとだとおもう。わたしにできたのは、彼らが提示する「これこそが自分たちの新しいバンド、Bird Bear Hare and Fish なのだ」という姿を必死に追いかけることだった。

 

        彼らのもっている曲では公演時間は1時間とすこし、これはワンマンライブの公演時間の相場と比べれば半分にも満たないくらいで、体感としても事実としてもほんとうにかなり短い。ざわめきと2度のアンコールにもかかわらず、彼らは絶対にGalileo Galileiの曲を演奏しなかった。

        まずはアルバムを出して、バンドを気に入った人の前で演奏するのが一般的だし、演奏する側から考えてもその方が幾分やり易いだろうと思うのだけど(事実として、数人がライブの途中で会場から出て行った)、彼らはそうしなかった。初期衝動や確固たる自分たちを過不足なく提示する。そういうあべこべのライブをやろうとして本当にやってのけた彼らは、音楽と向き合ってきた矜持と自信に満ちていて、とても勇敢で、めちゃくちゃにかっこよかった。そしてそれは、おそらくGalileo Galileiとの決別でもあった。

 

        「次の火」という曲で、会場の前方にひとりだけ力強くこぶしを突き上げる人がいて、わたしにはその気持ちが痛いほどわかった、これがライブにくる意味だと思った。顔も知らない誰か、向こうだってわたしの存在すら知らないだろうけど、間違いなくわたしは彼と何かを共有していたし、その瞬間わたしは彼とたったふたりで音楽を聴いていた。

 

 

        これから幾枚かアルバムが出るだろう。そしてもちろん、そのなかには今回のライブで演奏された曲がはいっているはずだ。どんなアレンジがされて最終形がどうなるか今は知るよしもないけれど、それらを受け取りなおすのがほんとうに楽しみだし、その最初の形を目撃できたのはほんとうに幸運だったと思う。

 

        「次の火」は決意の歌であり、応援歌であり、深海に潜って火山の噴火を見るような、雄大で苛烈で孤独で力強い物語だ。彼らはおもちゃの車を降り、わたしはその彼らについていくことに決めた。深海にだって火山にだって、森にだってけんかの次の朝にだってさみしい島にだって、嵐の真っ只中にもついていこう。それは、彼らならどこまでも連れて行ってくれるという信頼でもある。

 

 

        さあ火をつけろ、世界に嘘をつくな。勝ち目のない取引をしよう、最初はろうそくの火だった

 

 

 

  

4月11日(水)

 

  いい加減何か書かないとなあ、と思っているうちに一ヶ月以上経ってしまった。今年は日記もやめてしまったので、なんだか地に足が付いていないような、ユニットバスの透明のカーテン越しに世界を見ているような、心もとない感じがしている。

 

  3月は何をしていたっけ、後輩や先輩とご飯を食べて、妹や母と会って、高校生とバンドを組んで、素晴らしいバンドのライブをみて、それ以外はほとんど働いていた。いわゆる『お酒の失敗』を初めてしたし、激怒もしたし、大好きな人たちと離れ離れになったし、サイゼリヤでやりたい放題する最高の飲み会をやったりもした。

 

  ちゃんと振り返って言葉にしてみるとちゃんと悪くないな、楽しかったなと思えるのに、ものごとの最中にいるときは自分のことをすごく卑小な人間のように感じてしまう。こういう状態を「物心がついていない状態」と思っているんだけれど、まさにそんな感じ、自分がどこにいて何を感じていてどうしたいのかわからないままに本能や惰性だけで動いている、何もかも遠い、というかわたしが鈍い。鈍いときは重たくて、重たいことはしんどくて、煙草を吸ってぐらぐらになってそのまま眠るぐらいしかやり過ごす方法がない。当然そんなことはぜんぜんしたくない。誰かとふたりでゆっくり話したいな、元気を出さずにしゃべりたい。

 

  鈍さがきらめくのは春の特権で、だからもうしばらくぼうっとしていてもいいのかもしれない。この先1ヶ月くらいは京都国際写真祭のスタッフをしたり前のアルバイト先の人と久しぶりに会ったり学校をさぼって東京に行ったりするのですごく楽しみ、かがやかしい青春

 

  新しいことを始めたい、いろんな人に出会いたいと思うけれど、外交的な日々の決済を外交的なまま終えられたためしがなくて、つまり、内向的な自分が最終的にずたぼろになりながら色々を引き受けて帳尻を合わせてここまで来たんだけど、そろそろうまくやれないもんかしら、と途方に暮れている。外交的内向的というのはHSPとHSSの話をしているのだけど、調べれば調べるほどわたしには両方当てはまってしまう、そろそろちゃんと本を読まないとな〜〜〜〜〜

敏感な性質の『HSP』と刺激を求める性質の『HSS』、あなたはどんな性質? - NAVER まとめ

  

       本といえばTwitterで短歌の話をしたらすごく拡散されてすごくびっくりした、いろんな人に届くといろんな受け取られ方をされてしまうものなんだなと実感したので、ちゃんと記事にしようと思っている。

 

  脈絡のない感じになってしまったけど、春だから、いい、好きなこと好きなように書く。

 

  眩しい駅の自動販売機の前で、背負ったリュックサックから財布を取りだしてもらうときのちょっと緊張して伸びた背筋とゆるく握り込まれた手と宙吊りのはにかみ、それをそうっと覗き見る朝、その帰りに久しぶりの大好きな本屋さんで悩みに悩んで選んだ本が入った紙袋、ずっしり重いその紙袋を、前後にぶんぶん振り回しながら歩く。紙袋が後ろにいくときに、その重さで体が前に出る。紙袋を振り回していたはずが紙袋に振り回されている。しあわせな振り子になって風の夜をびゅんびゅん進む、そういう春が、全部をゆるすだろう。

 

  

2月22日(木)

 

  昔から偶数が苦手で、だから「2018年2月22日」みたいな字面に居心地のわるさを感じる。字面に影響を受けるのも昔からで、未だに18:00と20:00や14:00と16:00を混同したりする。「おなじ色だから」としか言いようがないのだけど、なんとなく共感覚とはちがうと思っている。わたしの脳の未分化な部分。

 

  有名な俳優が死んだらしい。老若男女あらゆる人間が彼のことを知っており、彼の存在を日常の一部にし、だから突然の彼の不在に戸惑っている。

  わたしは彼のようになりたかった。彼のような人間になれば、安心だと思っていた。

  死について四六時中考えていた少女のあの頃、暗いところで眠れなかったあの頃。大人なら誰でも「どうして死ぬのに生まれるのか」を知っていると疑わなかったあの頃、人生でいちばん無垢で暴力的だったあの頃。

  わたしがようやく辿り着いた死からの逃避方法は「有名になること」だった。有名になったら、みんなが覚えていてくれて、なかったことにならない。悲しみは分担できるのだと思っていた。

 

  わたしにとって死がいたましいのは、振り返ることができないからだ。やったことがやりっぱなしで終わってしまう。死んだ後で「あそこはこうだったよね」「あのときのはファインプレーだったね」みたいな話ができるなら、死ぬことはそんなに怖くないと思う。人は何かを成して、振り返って、折り合いをつけて、また次に進んで、そうやって生きていく、そうやって営んでいく。

        有名になったってならなくったって同じことだ。人は忘れるし不在に慣れる。振り返って折り合いをつけて進んでいく。振り返らないということはそれ以上進まないということだ。 

 

        最近人とよく会って話し、お酒を飲んでいる。話し過ぎはわたしの悪癖で、あとからじわじわ落ち込んでしまう。疲れもあるのか、自分の中に何かが沈殿しているのを感じる。澱とでもいえばいいのだろうか、だけどもこの澱は、やはり人と話さなければ霧散しないので、つくづく1人で立っていられないのだなと思う。

 

        今日こそ唐揚げを作ろう、と思いたって鶏肉を解凍している途中で電話が鳴る。母親から一緒に晩ごはんを食べないかと誘われる。彼女とは正月から会っていなかった。鶏肉を冷凍しなおして、40分電車を乗り継いでいきつけのバーに行き、今度こそ唐揚げを食べる。

        ずいぶん真面目な話をしたしずいぶんまともなことを言われたので驚いた。何も覚えていない、何も考えていない顔でへらへらするのはわたしが彼女にできるほとんど唯一といっていい思いやりなので困った。

 

        手編みのマフラーをもらったので巻いて帰ったけれど母の家には犬が2匹いて、わたしは重度の犬アレルギーなので発作が出て悲しかった。かわいい犬は母がわたしを手放す代わりに手に入れた自由のうちのひとつだ。彼女は14年我慢した。

        

 

        大学から進級が認められた旨の連絡が入ってうれしい。3年目にしてようやく平日に休みが作れそうなのでわくわくする。大学生活がモラトリアムだというのは嘘だ。

 

        将来のことをうじうじ悩んでいるけれども「将来」というほど遠い話ではなく、実際のところもうほとんど答えは出ていて、あとは状況が許すのか伺っているだけだ。状況が許さなくてもわたしはわたしのことを許そうとおもう。

 

        居心地の悪い一日があったとして、そういう日にも地球がまわって勝手に奇数の日にすすんでいくのは救いだ。ひとりの家で自分の生活を営むうちにそういう日をやり過ごす。そうやって大人になる。