移動祝祭日

勘弁してくれ.com

19日目・差別

 

  今日は日中は気温も24℃まで上がって、とってもいい天気だった。朝晩は冷えるにしても昼は綿のカットソー1枚で十分なくらい。(そういえばカットソーの定義ってちゃんと言えなくないですか、あやふやにしたまま大人になってしまった、わたしだけですか、ウワー)  そうかと思えば明日は最高気温が14℃といきなりめちゃくちゃ寒いので気を抜かないようにしたい。日本は28℃とかですか、帰ってから大丈夫かちょっと心配。ひょわ

 

  今日は授業でロシアの祝日のことをやった。新年のお祝いとクリスマスは同時で、だけどまた別のクリスマスもある、とか、シンボルはなんだとか何を食べるのが一般的かとか何をプレゼントする、とか。ロシアには学校の先生のための祝日があり、生徒たちは好きな先生にチョコレートのケーキを贈るのだそうだ。「日本では不公平になるかもしれないから先生は贈り物を断らないといけない」という話をすると心底驚いていた。わたしは感受性が強いというか、共感性羞恥のようなものを発動してしまうので、こういう祝日の話を聞くと あんまり贈り物をもらえなくて寂しい思いをしている先生のことを想像してめちゃくちゃしんどくなってしまう。だから日本にこういう催しがないのはいいことかもしれない。

  例によって日本についてのプレゼンもあり、私は七夕の話をした。七夕の伝説を話すのに苦労した。少し別だけど ロシアは昔モンゴルの支配下にあった みたいな話の時に「日本にはモンゴルはこなかったの?」ということになって、「来たけど台風で上陸できなかった」というと先生がめちゃくちゃ興奮していてかわいらしかった。思わぬところで役に立つ義務教育。

 

  学校が終わった後は Дом книги(本の家)というめちゃくちゃ大きい本屋さんへ行った。日本の「大きい本屋さん」が目じゃないくらい、安い本から高級な本まで、古典から現代まで、ロシアものから翻訳文学まで、児童書から学術書まで揃っていてくらくらしてしまった。3時間弱いたけど全然回りきれなかった。楽しかった!

 

  村上春樹がたくさんいた。安部公房川端康成も人気。吉本ばなな村上龍もいた。読んだことのある村上春樹のロシア語版を一冊買おうと思っていたのだけど、結局読んだことのない「羊をめぐる冒険」と「カンガルー日和」を買った。「カンガルー日和」は短編集なので手をつけやすいかと思ったのと「羊をめぐる冒険」は一番薄かったので。ノルウェイの森がなかったのは衝撃だった。海辺のカフカは翻訳すらされていないらしい(?) 値段は400円いかないくらい、安!

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  装丁が何もかも素敵だった薄くて小さい本のシリーズを買った。なんのシリーズなのかはよくわからないけれど読んでみたいタイトルで飾っても可愛いやつを選んだ。著者の名前からしてロシアの外の作家の短いテキストの翻訳なんだろうなという感じ。

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   クラシック集 マルクスフィッツジェラルドゴーゴリなど

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  キリル文字幾何学的なデザインはめちゃくちゃ似合う。かっこいい。

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  ただでさえ日本からたくさん本を持ってきて、ただでさえ決めきれずにたくさん本を選んだというのに、レジ横に鎮座する星の王子様ロシア語版に陥落してしまった。日本のものより挿絵がたくさんある。哲学的な話とロシア語の語彙は結構あっているように思う。ちゃんと読むぞ〜

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  それで、差別の話。アジア人として生まれて、いつかはちゃんと考えなくてはいけない問題なんだろうなとは思っていたんですけど、とうとう来たか、という感じ。

  通りすがりに「コンニチハ」とか「ニーハオ」とか「アリガト〜」とか、声をかけられる。日本語で話しかけられれば日本語で返すし、中国語や韓国語で話しかけられたら「わたしは日本人です」とロシア語で言う。ほんとうに、ほんとうに深刻に考えたことなんてなかったし、一緒に行っているロシア語専攻の男の子たちの「極東人が来たと思われてるぜ」みたいな自虐を聞くのが嫌いだった。

 

  モスクワはロシアの首都で、疑う余地なく大都市だ。みんな他人にあんまり興味がないし、そもそもアジア人の観光客なんて慣れっこだ。トヴェリは田舎町だ。アジア人が来るのは珍しい。しかもそれが集団で歩いている。仕方のないことかもしれないけれど、信じられないくらいたくさんの人に、信じられないくらい情のない目で、信じられないくらいジロジロ見られる。橋の下を歩いている時には、その橋の上から10代くらいの若者たちにずっと野次を飛ばされていた。その時は「ん??握手したろか?😄」くらいの気持ちでいたんだけど、もしかして、と思った。もしかして、ちゃんと考える時期が来たんじゃないか。

 

  「ロシア 日本人 人種差別」で検索してみる。激しい、という意見も、そんなにない、という意見も見かける。その意見の中に、「道端で声をかけられたりじろじろ見られたり」という記述があって、あれもそうだったのか  と驚いてしまった。泣きそうなくらいアホなことに、わたしは「コンニチハ」の あの人たちを、親切な人だなあと思っていたのだ。甘かった甘かった甘かった。あの人たちはわたしたちのことを、極東から来たちんちくりんたちのことを、馬鹿にしていたのだ。

 

  検索で出てきた意見の中には「中国人じゃなくて日本人だとわかると途端に友好的に接してくれるようになる」というものもあった。それを読んで「日本人でよかった」という気持ちが少しでもわいてしまった自分に困惑した。それってまさに差別なんじゃないのか、自分がよければいいのかよ、だけど中国人のマナーが悪いのは本当で、だけどそれは中国人全部じゃない。自分が差別の目に晒されたのも 自分の中の差別心と向き合ったのも初めてだった。

 

  ちゃんと考える時期が来たと言いつつもあんまり整理できているわけではなくて、ちゃんと考える 以前の、 直視する  という段階なのかもしれない。だけどまあ今のところは、これまで通り 朗らかさで返すしかないのかなあ、なんて思っている。「コンニチハ」と言われたらちゃんと「コンニチハ」って返すし、珍しそうに見つめられたら 姿勢を正して握手したろか??😄の顔をちゃんとする。それがわたしの手の届く過不足ない範囲かもしれない。負けない、とかではなくて、やれることを淡々とする。そういう時に言葉ってやっぱり武器だと思うし、ロシア語だからわからないと思ってるでしょうがちゃんと全部わかってますからね、って胸を張って言えるように(思えるように)なりたい。

 

  んー、まあ今はこんなところでしょうか、あんまり折り合いがついてない部分はありつつも、これからのわたしが自分なりの答えをだんだん見つけていくタイプの問題だとは思うので、もうちょっと気楽になろうかなと思います。よし。優しいロシア人もトヴェリの人ももちろんたくさんたくさんいます。

 

おやすみなさい!