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思いの外だいじょうぶな話

  案外だいじょうぶじゃないか、と思う。なんだ、そんなに心配することじゃなかった、そんなに深刻になることじゃなかった、と、ほっとするような  拍子抜けするような、自分の生真面目な間抜けさを呪うような気持ちになる。

 

  たとえば、高校の友達と一緒に入った軽音楽のサークルに いつまでたっても馴染めない思いをしていたこと。

高校の友達はすぐに先輩に気に入られて遊びに行ったりしていて、だけどわたしは媚びたりアホなふりはできなくて、その癖  「自分の知り合いがいない会にはわたしを誘って盾にするくせに  たまにはちゃんと楽しい会にも誘ってくれたっていいじゃない」と拗ねたりしていた。

  演奏がうまい人より練習をがんばる人より、飲み会での振る舞いがうまい人の方がバンドに誘われて、不真面目な練習の挙げ句 本番では笑えない演奏をしたりしていて、わたしの方がずっといい演奏ができるし、わたしの方がちゃんと練習もするのに、と もやもやしていた。

  合宿で 自分の担当の曲を譲りたい、という先輩からの誘いを丁重に断ったら「窓際さんってやっぱり経験者で確かに上手いから、プライドが高いっていうか、じぶんが強いっていうか、自分のやりたいことしかやりたくないのかなって思ってた、そして仲間内でそんな話になった」て後々聞かされてはてしなくめげてしまったし、そもそも、仲間内って誰やねん、そして割り当てられた曲のなかで一番難しい曲を、後輩に、直前になって、譲りたいて言ってきてるのはそっちの甘えでしょ、譲りたいんじゃなくて僕には無理だったので代わりにやってください でしょ、100万歩譲ってじぶんがやりたいことしかやらないことの何が悪いの、一億歩譲ってわたしのことをどう思おうとどう仲間内で話そうと勝手ですけどわざわざ本人に聞かせて何がしたいの、という怒りはあったけど  これはどうやらスタートダッシュを誤ったんだな〜〜 可愛げがない、ウォーーーーン と落ち込んだりしていた。

  だけど、サークルの同期の女の子の家で 学園祭から打ち上げのあいだの時間をつぶしているときに、ふと冷静になった。ちゃんと友達、ここに、いるし、先輩から演奏を褒めてもらえたりもするし、そもそもわたしは先輩とでかけたりしたいのかな  うーんちょっと違う気がする  誰でもいいわけじゃない  と思ったりして、よく考えてみるとじぶんがバンドが組めなくて困ったことってなくて、最近さらにたくさん誘ってもらえるようになって、仲のよい先輩もできて、つまり、思いの外だいじょうぶだった。

  なんだ、友達いるじゃん、けっこう馴染んでるじゃん、認めてもらえてるじゃん、確かにしんどい思いはしたけれど、そのしんどさにずっと巻き込まれていたんだな、と思った。

 

  たとえば、大学に友達が全然いない、と悩んでいたこと。

  知り合いはいる。授業が同じになってときどき話す人。すれ違うときに声をかけあう人。欠席した授業のノートを見せてくれる人。ときどきお昼ご飯を一緒に食べる人。ときどき一緒に帰る人。好きな映画や本の話をする人。

  たぶんわたしは、休みの日や学校をさぼって遊びに行くような関係の人がいない、とか、毎日お昼ご飯を食べるようなおきまりの人たちがいない、とか そういうことを考えていたと思うのだけど、休みの日に遊びに行くような関係の人は、大学の友人に限らなければ、いるし、それも最高の人々が、いるし、よく考えると毎日お昼ご飯を食べるようなおきまりの人たち、ほしくないし、思いの外だいじょうぶだった。

 

  たとえば、青春のToDoリストを何ひとつこなせていないような気分になっていたこと。

  制服でユニバーサルスタジオジャパンに行く、サプライズのお誕生日パーティをやる、岡山あたりまでドライブする、三重県でもいい、誰かの家でたこ焼きパーティをする、カラオケ・オールをする、無茶なお酒の飲み方をする、あとは恋愛にまつわることすべて。わたし以外のみんなが当たり前にこなしているあらゆること。

  だけど、わたしにはわたしの青春があり、それは はちゃめちゃな読書だったり、大好きな男の子と一晩中語り明かすことだったり、世界でいちばんすごくすごい女の子とルームシェアをすることだったり、二日酔いでライブに出ることだったり、夜行バスに乗って紫陽花を見に行くことだったり、はちゃめちゃに酔っ払って  飲み会をふたりで抜け出して誰もいない道路に寝転んでみることだったり、丁寧に時間をかけて大切なともだちの誕生日プレゼントを選ぶことだったりする。ちゃんとわかっている。

  無茶なお酒の飲み方もたまにはするし、制服はもう二度と着たくないし、カラオケオールはそんなに特別楽しいことでもないと知った。思いの外だいじょうぶなのだ。

 

  わたしは、ひとりでいるのが好きだし  ひとりでどこへでも行ける。四六時中他人と一緒にいると心身の両方が疲れきってしまう、だけど人と話すのは好きで、情緒を重んじたくて、だからはちゃめちゃな遊び方が好き。話が通じないひとと一緒にいるくらいならひとりでいたいし、絶対にやりたいことと絶対にやりたくないことがはっきりしていて、「みんなとおんなじ」であるためにその意見を曲げることは  わたしの意思に関係なく不可能に近い、だけど未知のおもしろそうなものに対してあんまり耐性がなくて、誘われたらほいほいついていってしまう。

  自分のことをよく見つめてみると、わたしは欲しくもないものを欲しがって、もしくは欲しがらないといけないような気がして、かなりしんどい思いをしたのだな と思う。欲しいものは実はちゃんと手に入っているのに、それを見ないで、よくわからない一般論をひきあいに出して つらいつらいつらい!という気持ちになっていた。わたしが  手に入らない…!と絶望していたものたちは、実はすでに手に入っていたり、べつに欲しくないものだったのだ。

 

  わたしは、だいじょうぶ、自分で自分を見失わなければ、だいじょうぶ 。

  鈍いことは最悪と思っていたけれど、敏感すぎて自分を苦しめるのも最悪でした、またひとつかしこくなった  

  すくなくともいま 手にしているように見えるものや  周りの人たちを ほんとうに大切にしたいとおもう  いろいろ考える分のキャパシティを彼らに好意を表明するのに使いたい  ごきげんに過ごします

 

おわりです!