移動祝祭日

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おもちゃの車

  映画や小説のネタバレを嫌がるひとはたくさんいるけれど、音楽のライブはそうではない。もちろんセットリストを事前に知ってしまうのが嫌という人はいるだろうが、自分が知っている曲を演奏してほしくないと思うひとはあまりいないと思う。

  どんな歌詞でどんなメロディでどんな構成か。これから見せられるものの正体がすでにわかっているもののために、どうしてわれわれは、わざわざ新しくお金を払って時間に都合をつけて、ときには長い距離を移動して、音楽ライブに行くのだろう。

 

 

  「大人になったいま、この愛する ”おもちゃの車” から降りることにしました」と言って、Galileo Galileiは活動を終えた。彼らはすごく早咲きのバンドだった。早咲きというのは変な日本語だけれど、早熟だったのではないと、わたしは思う。彼らが熟すのはもっとずっと後で、今ですらなくて、もしかしたらそういうことも、彼らがおもちゃの車を降りた理由の一つかもしれない。彼らの音楽は、決してキャッチーなものばかりではなく、ときには難しかった。だからたくさん聴いたし、その度に少しずつ、わたしの体になじんでいった。ライブにも何度か行った。髪の毛を逆立てながら、鳥肌を立てながら、息をのみながらその空間にいた。とても大切な時間だった。わたしは、おもちゃの車を心から愛していた。

 

  2年経って、その彼らが、Galileo Galileiとほとんど同じメンバーで新しいバンドを始めるという。わたしは(正確に言うとわたしたちは)、Galileo Galileiというバンドへの信頼だけで、まだ1曲も発表していない生まれたてのバンドのライブのチケットを申し込み、学校をサボタージュすることを決意し、東京への航空券をとった。

 

  Galileo時代の曲をやるかもしれないという期待は当然あった。ライブ当日の時点で、彼らはまだ2曲しか発表していなかったからだ。その2曲が素晴らしいのは当然のこととして、開演前には戯れに「何してほしい?」「SIRENとkiteと鳥と鳥!」みたいな会話もしていた。

 

  そんな会話をしたことを恥じ入ってしまうようなライブだった。1時間とすこしの、本当に短い公演だったけれど、すごい体験をしたと思った。

 

  1曲目で彼らは「彼らはきみが好きな曲をやらない、そのバンドはやらない」と歌った。ライブは、当日までに発表されていた2曲以外、全部が新曲だった。知らない曲ばかりのライブなんて初めてで、わたしは自分でもうろたえてしまうほど戸惑った。率直に言うと、楽しくない、入り込めない、しんどい、なぜなら曲の像をつかむのに必死だから。彼らは「はじめまして」と言った。初めて出会ったのだ。

 

  どうしてわれわれはライブに行くのか。一体感を楽しむため、踊るため、憧れの人と会うため、大きな音を聞くため、いろいろな理由や目的があると思うけれど、わたしは、受け取り直すためだと思っている。わたしにとって音楽を聴くことは孤独で、それは軽音楽部に入ってもバンドを組んでも変わらない。だけどその孤独を、ごく近しい信頼できる相手と分け合ったり交換することはできる。その最たるものがライブで、わたしは、丹念に自分の体になじませて作り上げた像を、ほんものの彼らや、彼らを愛する人々と一緒になぞり、その摩擦で生まれるあたらしい閃光を受けとるために、ライブに行くのだと思う。

 

  そういう類のものが全部くつがえされるようなライブだった。彼らと音楽をなぞることはできなかった、そうさせてくれなかった、絶対にわざとだとおもう。わたしにできたのは、彼らが提示する「これこそが自分たちの新しいバンド、Bird Bear Hare and Fish なのだ」という姿を必死に追いかけることだった。

 

        彼らのもっている曲では公演時間は1時間とすこし、これはワンマンライブの公演時間の相場と比べれば半分にも満たないくらいで、体感としても事実としてもほんとうにかなり短い。ざわめきと2度のアンコールにもかかわらず、彼らは絶対にGalileo Galileiの曲を演奏しなかった。

        まずはアルバムを出して、バンドを気に入った人の前で演奏するのが一般的だし、演奏する側から考えてもその方が幾分やり易いだろうと思うのだけど(事実として、数人がライブの途中で会場から出て行った)、彼らはそうしなかった。初期衝動や確固たる自分たちを過不足なく提示する。そういうあべこべのライブをやろうとして本当にやってのけた彼らは、音楽と向き合ってきた矜持と自信に満ちていて、とても勇敢で、めちゃくちゃにかっこよかった。そしてそれは、おそらくGalileo Galileiとの決別でもあった。

 

        「次の火」という曲で、会場の前方にひとりだけ力強くこぶしを突き上げる人がいて、わたしにはその気持ちが痛いほどわかった、これがライブにくる意味だと思った。顔も知らない誰か、向こうだってわたしの存在すら知らないだろうけど、間違いなくわたしは彼と何かを共有していたし、その瞬間わたしは彼とたったふたりで音楽を聴いていた。

 

 

        これから幾枚かアルバムが出るだろう。そしてもちろん、そのなかには今回のライブで演奏された曲がはいっているはずだ。どんなアレンジがされて最終形がどうなるか今は知るよしもないけれど、それらを受け取りなおすのがほんとうに楽しみだし、その最初の形を目撃できたのはほんとうに幸運だったと思う。

 

        「次の火」は決意の歌であり、応援歌であり、深海に潜って火山の噴火を見るような、雄大で苛烈で孤独で力強い物語だ。彼らはおもちゃの車を降り、わたしはその彼らについていくことに決めた。深海にだって火山にだって、森にだってけんかの次の朝にだってさみしい島にだって、嵐の真っ只中にもついていく。それは、彼らならどこまでも連れて行ってくれるという信頼でもある。

 

 

        さあ火をつけろ、世界に嘘をつくな。勝ち目のない取引をしよう、最初はろうそくの火だった。