移動祝祭日

勘弁してくれ.com

2月14日(水)

 

  日当たりの悪い部屋に住んでいて、家の中からでは外の天気はまるっきり分からない。それでも晴れた日の午前11時頃から午後14時にかけては、さまざまな障害物の合間を縫って、少しだけ日光が届く。光のかたまりは、時間が進むにつれて窓の左上から、右下へと移動する。

 

  玄関を出ると、明るさに瞳孔がきゅうっと閉じるのがわかる。少し痛みをともなうそれをわたしはとても気に入っていて、だけど玄関を出るまでは そんな本能が自分に備わっていることなど1ミリも覚えていない。

 

  今日はバレンタインデーらしい。中高生の頃はお菓子を作って配ったりしていたけれど、アルバイトを始めてからは専門店のキラキラしたものを何種類か買って近しい人と分け合うようになった。今年は異例の試験期間の長さで、まだ休暇が始まっていないのでどうしようかと迷う。洞窟や城砦のような自宅を手に入れてから、毎日本当に静かに暮らしていて、専門店の人だかりまで足を伸ばす気にもならない。

 

  今日はいちにちかけて日本語とロシア語の慣用句を比較する論文を書かなければならないので大学の図書館に行く。日光浴としての登校。ぼーっとしているだけで目の前の景色が変わってくれるのはとてもありがたく贅沢なことだ。

  休暇の時期の大学図書館はとても居心地がいい。静かで、だけどパブリックで、何より本の匂いがする。参考文献の他にも気になる本を思うさま席に持ってきて、書くのに疲れたら読むのを繰り返す。今日は翻訳に関する本を読んだ。

 

  最近は大学院に行くことを考えていて、だけどただ単にモラトリアムを延長したいだけなのかも、とも思う(大学がモラトリアム期間なのかはまた全く別の話だ)。専門学校や留学や就職や費用や人生設計や親の年齢や学歴、くだらないけど大切なこと、陳腐でも真剣に考えなければならないこと。

 

  答えの出ないことなので、答えを出さないように気をつける。それにも疲れてしまって、夕飯の献立を考える。帰りにスーパーマーケットか100円ショップに寄って油処理の用具を買うのを忘れなければ唐揚げにしようとおもっていたけれど、食欲がないのでウインナーとか卵とかを焼いてスープを作って食べると思う。手抜きの食事はどうしても朝食めいてしまう。

        年始にかけられた母の呪いのせいか、ひとつきで6kg弱痩せてしまった。別にあと10kg痩せようがどうってことないんだけど、わたしの質量はどこへ消えたのだろうと不思議に思う。

 

        母親から、わたしが彼女の夢に出てきた旨のメッセージが届く。彼女のエネルギーはすごい。父もわたしも彼女にいろいろ吸いとられてしまって、その疲れをとるのに何年もかかってしまった。

 

  5月に東京に行くことになって浮き足立つ。長いと思っていた休暇の予定がどんどん埋まり、その先の予定も埋まってゆく。いまのところわたしが生きることが確定しているのは5月までだな、と確認する。定期券を1ヶ月ごとにしか買わなくなってからずいぶん刹那的になった気がする。でもそうやって確定未来をじわじわ伸ばしながら歳をとって死ぬのだ。

 

        バスの後ろの席でロシア人女性2人が自分たちの日本名を考えている。2人とも顔立ちはアジア系だけどきっとネイティブだ。美音と書いてミオンと呼んでもらいたいらしい。自分の名付け親にはなれないとおもっていたけど、どう名乗るのも自由なのだな。とはいえわたしは自分の名字も名前も漢字も由来もとても気に入っていて、それはとてもいみじいことだ。

 

        Galileo GalileiのGood Shoesを聴きながら、いまとってもひとりだ、と感じる。今日は人身事故が多かった。