移動祝祭日

勘弁してくれ.com

近況報告によせて

 

        わたしには、たまにメールで近況報告をしあう男子高校生がいる。

 

        こちらからは送らないと決めている。彼から「先生どうしてますか。」とメールが来るたびに、どうしてるんだっけ と考えて、返事を書いて、送る。わたしが書く返事は長いときもあれば短いときもあるし、写真を添えることも 添えないことも、ときには彼がうちあけた悩みに対して物を言うこともある。それに対して、さらに彼は丁寧に返事をくれる。彼はすべての話題についてコメントをくれる。とても自然で思いやりのある語り口だと感じるけれど、わたしにはとてもできないことなので、だいたいやりとりはそれで終わる。

 

        この一往復半のやりとりは、しばらく放っておいた郵便受けを整理することに似ている。ガサーッと中身を取り出して、置いておくものと処分するものに仕分けて、置いておくものは身の中に取り込み、処分するもののことは忘れる。本当は少し前に届いていたものを、自らの手で受け取りなおして整理する。

 

 

        最近のわたしはといえば、新しいアルバイトをみつけたり、ぶりと大根のめちゃくちゃ旨いやつを作って感動したり、ヒィヒィ言いながらテスト勉強をしたり、その反動でスーパーで食材を買い込みすぎてしまったり、花を飾りはじめたり、食パンがとびでてくるタイプのトースターを買ったりして、そこそこ楽しく暮らしている。

        ひとりの部屋での独り言にはもう慣れたけれど、生活のBGMには困っている。珪藻土のバスマットと自転車が欲しいと思っていて、あたらしい自宅の郵便番号がいつまでも覚えられない。

        あと、ロシアで買った村上春樹の本の翻訳をへらへら始めているがそんな暇は全然ない。無様さの逆転と信用について考えていて、あたらしいコミュニティにはいりたくてボランティアに申し込んでみたりした。そこでは通訳の手伝いができそうなので少し楽しみ。

        最近の発見は、麦茶の入った水筒から麦茶を飲むときの匂いは幼稚園の匂いだということと、うどんスープに天かす(あげ玉)を浮かべて飲めばうどんを食べた気持ちになれるということ。

 

 

        いろいろな近況報告の形があると思うけれど、近況報告のいいところは、誰の近況報告でも聞いていて楽しいということだ。知り合いで、人となりがよくわかっている人の近況報告も楽しいし、初対面の人の近況報告も楽しい。最近あったことをどう受け取ってどう言葉にしてどう伝えてくれるのかで見えてくるものがあるし、自分の生活の外にある他人の生活にすごく興味がある。

 

 

        ブログを始めて1年が経ったけれど、さまざまな人の近況を知って、勝手に自分の近況を報告して、たまにまとまった文章も書けるこの媒体はすごくいいなあ、面白いなあ、と思う。書くのも大好きだけど、読むのも大好き。

 

 

        たぶん彼からの次のメールは2月14日過ぎだろう、と見当をつけていて、何を書こうかな、どう返事しようかな、と今から楽しみにしている。