2017年のまとめ及び浮遊感
2017年のまとめ
前半
7月
・スピッツの30周年ライブに行った
・前期末試験に追われた
・山口県でライブをした
・梅田シャングリラでライブをした
7月の記憶がびっくりするぐらいないんだけども、なかなか忙しくしていたようでした。 9月まで先輩のバンドのサパートメンバーとしてベースを弾いていて、その一環として自分が「ライブする側」というか「舞台に立つ側」をやることが多い最中に スピッツみたいな超巨大バンドのライブを最後列で観る という経験ができたのはけっこう象徴的なことだった。世界ってひと続きなんだ、表現者は最初から表現者として生まれてきたわけではなくて、そういう風に生きることを選んだひとつの魂なんだ、わたしもいつでも選べばいいそうすればいい、ということを感じたり考えながら、それでも向こう側とこちら側にはものすごい断絶があり、自分で選びきってその上で選ばれた人の世界というのは確かにあるということを突きつけられたりして、何しろとにかく考え事の多い月だった。
8月
・20歳になった
・アルバイトに明け暮れ、そして辞めた
・下北沢でライブをした
・ロシアに行った
20歳になりました。だからどうということはなく、まあでも大きな顔でお酒を飲んだりタバコを吸ったり吸わなかったり競馬に行ったりいかなかったりできるのは素敵なことだと思う。8月はよくブログを書いた気がするな。!
9月
・ロシア
10月
・バンプオブチキンのライブを観た
ぐらいかなあ、あとは普通に学校に行ったりしていたと思います。いま全然普通に学校に行けていないのであの頃のわたしえらいな......という感じ バンプオブチキンのことはちゃんと長い文章を書いてみたい。ひとりで名古屋に行ってライブハウスで観たんですけど今まででいちばん近かった、人間の形をしていた、ものすごい空間でした。
11月
・バンプオブチキンのライブを観た。
・お父さんとベロベロになる会をやった。
・部活に復活した
・引越しのめどがついた
・バンドを組んだ
お父さんとベロベロになった。
ほんとうに何を言っているんだ
— ワ (@medetais) 2017年11月4日
二日酔いで1日を無駄にした
3軒目まで行ってその3軒目で焼酎のボトルを2人で2本空けて、翌朝二日酔いでへろへろのわたしの横で父は焼きそばとアイスクリームを食べて飄々としていた、なんという、すごい。わたしはこの時の二日酔いがトラウマとなり未だに飲酒に対してちょっと及び腰です。
部活に復活したというか、別に休止もしてないんだけど、今年前半 ライブの出番が終わったら即帰宅、みたいなことが続いていたので新入生の方がわたしよりもみなさんと仲良し、みたいなことになってウワーと思っていたのを、いろいろ取り戻すことができた。ほとんど素面でちゃんと飲み会を楽しむことができて革命だった。
12月
・引越しを半分くらい終えた
・新入生とライブに出た
・寄稿することになった
ロフトベッドを買って調理器具を買って、机と椅子を買ってカーテンをつけて、ちょくちょく自分の荷物を運びつつ新居でご飯を作ったり寝たり掃除したり映画を観たりしている。わたしは自分しか頼れる人間がいないという場面にすごく強いんだろうな、思わぬテキパキさを発揮して快適に生活しています。先日は友人が遊びに来てくれて、ケーキを食べたりたこ焼きを焼いたり深夜に公園を徘徊したり それぞれ好きなこと(読書、次の日の授業の予習、ギター、ベース、居眠りなど)をして少し黙る時間があったり、早起きしてポトフとホットサンドの朝ごはんをしたり、なんだか屋内キャンプみたいですごく楽しかった。走馬灯に出る。!
それから、部活の新入生に誘ってもらってライブに出た。まあ、なんというか、熱気がありながらも大学の軽音部らしくサボる人はとことんサボるという感じでいろいろと勉強になった。だいすきなベースの先輩が わたしとバンドを組むためにギターボーカルをやってくれることになって感激した、同じパートの人のことをめちゃくちゃ好きだけど同じパートなのでバンドを組めないというジレンマが愛によって解消された、ヒュウ!
寄稿というのは、わたしが所属している短歌会の会誌に、ということなのでそんな大仰なものではないんだけど、短歌が好きで短歌会に入ったけど短歌を詠むことはそんなに好きじゃないことには入ってから気づいたわたしに「無理して詠まなくていいんだよ」と言って声をかけてもらえたのはすごくうれしかった。一首評といって、短歌一首についての文章を書きました。わたしにはこれがすごく向いている気がする。また載せてみようと思います。
さて、新入生と出たそのライブの打ち上げで先輩から言われたことをずっと考えていて、それは「窓際さんって浮遊感あるもんね」ということだ。その人はたぶん わたしが集団に馴染めていない・浮いてる ということが言いたかったのを親切にもオブラートに包んでくれて、もしかしたらけっこう失礼なことを言われたのかなとも感じるけれど、だけどそのときのわたしは、ひどく嬉しかったのだ。
浮遊、しているかもしれない、たしかに。だけどそれでも、わたしは自分が心地よく過不足ないところで、その集団の一員として認められて活動ができている。浮遊してもなおちゃんと成り立っている。それはなによりわたしがみとめられている証拠だし、周りの人々の懐の深さの証明でもある。
父親は言い換えてくれた。「日和らないってことでしょう」
やりたくないことをやらなくても、たとえば面白くないことに笑わなくてもアホなふりをして媚びなくても、ちゃんと居場所を見つけて自分のやりたいことをやりたいようにやれるようになった、やっていいんだと思えるようになったし一緒にやってくれる人を見つけることもできた。集団から浮遊することや、浮遊していることを指摘されても怯まなくなった自分が誇らしかった。
ということで、2018年の標語は「最強になること」です。わたしは「だからなんなんだよ、わたしがそうしたいからそうしてるだけなんだよ、みんなで幸せになろうね」という強度を身に付けたい。 自分の 「こうあるべき」 という基準を大事にできるようにならないといけないし、そしてそれに付随するさまざまを乗り越えるだけの力をつける必要もある。
最強で最高のいちねんにします!よいお年を!