移動祝祭日

勘弁してくれ.com

まんがとわたし

        漫画が何故おそろしいのか、完全にわかってしまった。わたしは20年間の人生で漫画を通ってこなかった。話題作の登場人物を知っているくらい。自分で漫画を買うのは年に3冊あれば多いほうで、10冊読めば多いほうだ。何故ならおそろしいから。なぜおそろしいのかはわからなかった。だけど、なんというか、突然わかってしまったのだ。

 

        弱虫ペダルという漫画を読んでいる。CoCo壱でカレーを食べるときに、店舗に置いてある弱虫ペダルをだいたい1回につき5巻ずつぐらい、毎回みっともなくもぐしゅぐしゅ泣きながら読んでいる。

        自転車競技部に所属する彼らは、初心者だったり、将来を渇望されていたりとばらばらだけど、心を合わせて自転車を漕ぐ。先輩に憧れたり、同期を信じたり、信じられない自分を責めたり、後輩の背中を叩いたり、挫折したり、思いがけない力を発揮したり、喜んだり笑ったり悔しがったり泣いたりしている。

 

        こういうのって、ほんとうはわたしが見ていいものじゃないよな、と思う。見てはいけないというか、本来どうあがいても見れないものというか。視座がおかしいのだ。

        ただでさえ才能があって美学もあって、そのうえさらにごまかしのない努力を積んで、挫折しても血を吐いてもそれでもまだがんばる人々の、その勝利とか葛藤とか敗北を、わたしはなんの努力もなしに、観客や、彼らのファンや、彼らに振り落とされていく多くのモブ競技者よりも近いところで、あろうことか彼らの身内側の気持ちで眺めることができる。

 

        わたしは何の努力もしていない。彼らに恋い焦がれて、日程を調整してインターハイ会場まで駆けつけるファンでもなければ、彼らにあこがれて日々努力を積む少年少女でもなければ、才能の差なんて最初からわかっていて、それでもあきらめられないからあきらめなかった誇り高き競技者たちでもない。そういう人たちが見たくても見れない景色、もしかしたら喉から手が出るほど知りたかったこと、選ばれた一握りの人々のごく個人的ななにかを、わたしはみている。みせられている。

 

  強い人についていくのは気持ちがいい。それに尽きるかもしれない。なんというか、カタルシスがすごすぎる。ほらみろ!!とか、くぅ〜〜!!とか、がんばれがんばれがんばれ!!!とか、○○さん…!!とか、ざまあみろ!とか、ウワーーーーとか、まあいろいろ思いながら読むわけだけれど、最後の一滴まで絞って使い果たすような彼らをそんな風に眺めている自分に気づくと、だんだん恥ずかしくなってくるというか、悪いことをしているような気分になる。こんな、こんな高いところから、カレーを食べながら、ほんとうにすみません。

 

        これはやっぱり漫画という媒体の強みだと思うのだ。わたしが図らずもスポ根モノばかり読んでいるというのは確かにすごく関係していると思うのだけど、気づけば自分がすごく参加していて、なんというか、映画とかにはない感覚だと思う。これは自分でページをめくるからなのかな、とも思うのだけどもうひとつ、自分の音を聴きながら読んでいるというのが大きいと思う。文字を読むときって、頭の中やのどの奥で音になりませんか。ざっと調べたら75%くらいの人がそうで、残りの人はビジュアルがうかんできたりするらしい。

  自分の音を聴きながら絵を見て自分でページをめくっていたらそれはもう体験じゃないですか、いっそ暴力的ですらある。おそろしいおそろしいおそろしい。こんなわたしが、こんな体験を、いいんですか、ほんとうに。

  

  わたしはひとつのことにすごくぐーっとなってしまうタイプで、すごい作品に触れたりするとほんとに1週間使い物にならなくなってしまうタイプで、だから安易に漫画にさわれない。圧倒されてしまうのがわかっているから。新刊を待てない。未完結の作品を読めない。新刊が出るまでぼーっとしてしまうし、精神的にすごくしんどい。漫画はおそろしい。

 

  もし3ヶ月暇があったら、漫画合宿がしたい。名作を読みまくって、打ちのめされまくって、泣きながら、ぼーっとしながら、時にはずたずたになって放心して使いものにならなくなりながら、めちゃくちゃな文章を書き散らかす、半ば自傷行為みたいな漫画合宿。どうやったって朗らかな合宿になる未来が見えない、向いていない、だけど面白い、どうしたらいいんですか、どうしようねえ。