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真人間チャレンジ

 

4月が終わりかけです。みなさんいかがおすごしですか。わたしはくたびれはてています。

くたびれるといえばわたしは今年から初級フランス語の講義をとりはじめたのですが、その先生がひょろっと背が高くて 鼻がシュッとしていて 伏し目がちで  お手本の発音を生徒に披露するのをめちゃくちゃ照れているはにかみ屋さんで  日本語のサ行とタ行の発音がすてきで  留学先の訛りに愛着を持っていて  一生懸命言葉を選びつつ最終的にはぶっきらぼう  という男性で、くたびれた顔をしていて、まあ、とにかく、大好きなんですよね。ほんとうに好き、早くこんな人になりたい。

まあそれはいいとして。

わたしはとにかくめちゃくちゃくたびれはてている。たぶん。

たぶんというのは、1日のうちの6時間ぐらいをずっと原因不明の悲しみに支配されてぜんぜん体に力が入らない、ずっと酸欠、動くのがどうしても億劫、という最近のわたしの状態に対して「どうやら疲れているらしい、それもかなり」  という見当をつけたということなんですけど、この感覚はぜんぜん初めてなことじゃない。高校生の時から、そして大学に入っても何度もあることで、まあ病院に行ったほうがいいんだろうなあということはうすうす感じつつ「ほんとにみんなはそんなことないの?!??!ほんとに?!?」という感じ。

そもそも病院を調べるにしても実際に行くにしてもぜんぜん時間を作れなくて、この波が過ぎ去るのをとにかく耐えるというのを繰り返して今までやってきたのですが、その中でわたしが編み出したというか、勝手に開催することを決めたなんというかそういうアレが 真人間チャレンジです。

 

悲しくてもしんどくてもだるくても学校には行かないといけない、それは単位のためでもあるし、自分のためでもある。

今日しんどいので今日休む、だけど罪悪感がある、のちの自分が休めなくなって余計に追い詰められてしまう。

そういうのがめちゃくちゃ嫌で、ほんとうにしんどくて、どうしようもなくて、その辺がうまく行かなくて留年しかけたのが高校生の頃なんですけど、だから、ルールを決めました。

 

1. やけっぱちにならない

2. 休むなら楽しく休む

3. 引き分けを狙って最後には勝つ

 

まず 「やけっぱちにならない」というのは、楽しく休めるのかどうか、お昼からなら動けるのかどうか、のちのちの自分のためにどうか、ということをよく考えるということです。 ヨッシャ全休やもうしらん!大学なんか辞めてやる!!!をやらないということですね。

経験上 動き出したら元気になる日もあるし 動き出しても完全にダメという日もあるのでそのへんをちゃんと考えます。駅まで歩いてみて無理だったらアイスクリーム買って食べながら帰ろう、とか。

 

「楽しく休む」というのは、罪悪感で余計にしんどくなるぐらいなら這ってでも学校に行ったほうが「これだけしんどいけど学校には行ったので1勝1敗…」という慰めがあるからです。

楽しく休んだら、休んだけど楽しかった→楽しかったら回復するので1勝1敗、楽しく休めなかったら休んだし楽しくもない→回復しないので0勝2敗です。負け。

 

「引き分けを狙って最後には勝つ」というのは、楽しく休むぞ、という気持ちとやけっぱちにならない慎重さをもってどうにか重ねた引き分けを、最後にはプラスにしてちゃんと勝っていきましょう ということで、楽しく休めたならきっと次の日は頑張れるし、次の日は無理でも次の週は頑張れるかもしれない、そういうのを積み重ねて、1番頑張らないとダメな時にちゃんと頑張れるようにするということです。

 

つまり、なんというか、真人間チャレンジっていうのは負けを許すということで、全勝しなくていい、でも全敗はまずい、なんとか引き分けにもっていきましょう、ちょっと先の自分がいちばんご機嫌になれる選択をしようというやつです。

それは、自分が人並みのことを当たり前にできないことを認めることでもあるのでけっこう落ち込んだりもするのですが、「アッ 自分 いま がんばりすぎてるぞ!頑張っている場合ではない!」ということに気づいてどうにかするというのはわたしにとってはけっこう大切なことだと思っています。とはいえそろそろちゃんと病院に行ったほうがいい気もする。5月になったら考えます。ウウウウウ

 

おわりです!