暗示的知識のはなし
エー 絶賛徹夜中です やることがおわらなくて なかば手が震えています わたししか悪くないけど こんなひどいことがあるかよと言う気持ち ウワーンだれかたすけて
大学2回生がはじまって1週間が経ちました 書いておきたいこと たくさんあるんですけど とりあえず おもしろかった講義とそれについて考えたことの覚書をしておきます こんな時間に(早朝4じ)!
わたしは対照言語学という講義をとっていて、対照言語学というのは まあそのまま たとえば英語と日本語の違いってなんだろうね みたいなことをやる分野なのですが、言語学のさわりみたいな なんというか 概論講義というんですか 広く浅くやさしくやりましょうという講義です。
その講義の中でおもしろい概念を知ったのですが、それが 明示的知識 と 暗示的知識 というやつで、ざっくり言えば 明示的知識は文法・暗示的知識はその他ニュアンス という感じになっています。
たとえば 複数の犬を見たときに 「dogs」としますが、これは dog + 複数形を表すs にわけられますよね、これが明示的知識です。明快に説明ができる・分析的 みたいな特徴があります。
じゃあ 「わたしはなまえが山田花子です」という文章 なんだかおかしいですよね 、意味がわからないでもないけどめちゃくちゃ気持ち悪い これが暗示的知識です。 日本語のネイティブスピーカーとして 暗示的に この文章よりもっと気持ちいい表現があるということを知っているから 気持ち悪くなるのです。感覚的・抽象的・総合的 みたいな特徴があります。
わたしたちは日本語の文法を学校で習っていないし、育ってきた環境も全然違うのに かなりの明示的知識をいつのまにか共有し 暗示的知識と組み合わせて日本語を運用しています。それってめちゃくちゃすごくないですか、すごいです
それで わたしが何をおもしろいとおもったのかということなんですけど、言語を学ぶうえで、じぶんがめちゃくちゃ暗示的知識有利な人間だ ということに気づいたんですよね。感受性が強い みたいなことをよく言われるのもそういうことなのかな…
「気持ちいい形」をのみこむのがすごく早いというか、文法を知らなくてもある程度コミュニュケーションを取ることができる場面がけっこうあるというか、たとえば 全編ロシア語の授業のときに、先生が話すロシア語をしっかり聞き取って 文法的に納得して 何を言っているのかを理解するというよりは かたまりでフレーズを聞いたらなんとなく何を言っているのか / 何が言いたいのか がわかる。脳内補完が上手というか 思い込みが激しいとも言うと思うんですけど 英語でもそうで、昔からの不思議な感覚になまえがついたような気持ちです。
そのかわりけっこう明示的知識には疎くて 大枠をつかむのは早いけど詰めが甘い!!!みたいな事態に陥りやすいです 訓練あるのみ…
もうひとつは 最近 twitterや 各種SNSをみていて 「暗示的知識にあえて逆らうような日本語」が流行っているのかなあ という仮説で、たとえば「眠みが深い」とか「嬉しみ〜〜」とか「BLみがある」とかそういうアレ。わたしの暗示的知識はこれに対して はっきりと 「No!!!ムリ!!絶対にいや!!!」 と叫びましたけど、まあその 暗示的知識をわざと裏切る快感みたいなのはわかる気がする。 わたしは激烈にお腹が空いているときに「激はらへりした」というヤバい日本語を使ってしまいます あかんやつや でも口にだすとけっこう気持ちいいんですよね。だからまあ今日は「若者がヤバイ日本語を使うのは じぶんの暗示的知識を裏切るのがきもちいいから」というのが結論です イェス!
たぶんわたしと作家の山田悠介はめちゃくちゃ相性が悪くて ストーリーが云々とかではなく それこそ漢字の使い方のひとつひとつが圧倒的にムリなんですけど、それも暗示的知識 いわば 日本語感覚が全然合わないんだろうなと思いました。逆にそういう感覚がハマる作家さんの本はストーリーは二の次で 「読んでいて気持ちいいから読む」みたいな境地にある気がします。本で酔っ払うことができる。酩酊するというか
最終的にその講義は「言語学は個人 / 個々の言語の暗示的知識を明らかにする学問だよ〜〜」みたいな感じでおわったのですが、めちゃくちゃおもしろそう 1回生を終えてわけのわからない一般教養を受講しなくてよくなり、勉学のよろこびに満ち溢れています なんでこんなに興味のある授業ばっかり?!??!??!!!とおもったら興味のある学部に入ったからでした わはは がんばるぞ〜〜
あと先生が穂村弘に顔がそっくりでにやにやしてしまった
おわりです!はやくねたい!ウエーン!おやすみなさい!