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優等生は身を滅ぼす

 

「優等生は身を滅ぼす」というのは わたしの大学の日本語の教授が常々生徒に対して言っていることなのですが  マア  わたしの大学には幼い頃から勉強ばっかりやってきて、ずーっと優等生で、そのマインドを大学生になっても引きずっている学生が多いというアレらしい

 

1年生の前期にその先生の日本語の一般教養の授業を受けていたのですが、毎回40分遅れてきて 残りの50分はずっと誰かにぶちぎれている という授業で、だから日本語の勉強はぜんぜんしていなかったんですけど、それなのに試験は本当に難しくて(「部屋に花を飾る」と「部屋を花で飾る」は  助詞がぜんぜん違うのに意味するところは同じですよね、じゃあ例をあと3つ挙げて、どうして同じ意味になるのか説明せよ、みたいな感じの問題でした。実例 激ムズじゃないですか? 「絵に色を塗る」「絵を色で塗る」みたいなことを苦し紛れに書いた気がする) 試験が難しいのに答えが間違っていてもきちんと考察していれば成績評価はめちゃくちゃいい点をくれて…という本当に変な先生で、日本語専攻の中でもその先生のことを毛嫌いするひとも多いのですが、わたしはどうしてもその先生のことを  ただの変なオッサン  とは思えない    それは50分はずっと誰かにぶちぎれている そのブチギレが はちゃめちゃな割に けっこう筋が通っていて そしていい歳をした大学の教授がほんとうに心の底から激怒しているのが面白いということなのですが、 まあそんなこんなで  この春  彼が主催する研修ツアーに参加することになり、口を酸っぱくして言われているのが 「優等生は身を滅ぼす」ということです

 

彼が言うところの優等生というのは、情報が揃っていればそれを処理する力はあるが  なにも情報がない時にどう動いていいかがわからない・「正解」を求めている(何に対しての?)・架空の 先生的な人物に怯えている(一体それはだれなんだ?) みたいなことで、曰く「18歳だって死ぬ可能性はあるんですよ。優等生気質をこじらせると死に至ります。僕はあなたたちを修学旅行に連れて行くんではありません。このツアーでは自分の身は自分で守ってください。自分の身を自分で守るとはどういうことがわかりますか。人に迷惑をかけるということですよ。人に迷惑をかけることを恐れてはいけません。わからないことがあったらどうしますか。道に迷ったらどうしますか。何も情報がないときに、看板の文字が何も読めないときにどうしたらいいと思いますか。人に聞くんですよ。なんでも尋ねなさい。そして自分の頭で考えなさい。それができるひとがほんとうに賢い人ですよ。自分が自分に課しているそのプライドがいかにくだらないかわかるでしょう。」ということだそうです。

 

あともうひとつ先生が言っていて印象に残ったのは「日本語の劣化と日本語の変化の違いがわかりますか。言語とは日々形を変えるものです。誤用だった用法がちょっと経てば市民権を得るなんてことはざらにある話ですよ。それは変化なんです。絶対に正しい形なんてないんです。だけど日本語は確かに劣化している。ちがいがわかりますか。たとえば「おつかれさまです」と言いますよね。意味がわかっていますか。ほんとうにおつかれさまです と思って言っていますか。みんな言っているからなんとなく言っているのではないですか。自分の頭で考えずにスタンプの日本語を安直に使うのはばかものですよ、それが日本語の劣化です。その語の意味もよくわからない、頭も心も使わない言語運用なんて最悪です。愚の骨頂ですよ。」みたいなことで、まあふだんから語弊しかない先生なのですべてに賛同しているわけではないし、けっこう乱暴だなあとも思うのですが、こういうことをわざわざ言葉を尽くして突きつけてくれる人ってありがたいなあ と思います。 たぶん今よく聞く「エモい」や「コスパがいい」とかもそういうスタンプ的日本語なんでしょうね。わたしは短歌が大好きで、短歌や詩や俳句や  もちろん散文もそうなんですけど 文芸ってそういう スタンプ的日本語でしかカバーできない大きさの感覚・あやふやな輪郭の感覚を すこしずつ丁寧にほどいて言語化する作業のように感じているので、けっこうこの話は面白かったです。

 

 

さて、その海外研修では  タイとミャンマーベトナムの高校や大学を訪問して、そこで日本語を学んでいる人たちと交流します。ということは、わたしたちは  彼らからすると 母語話者の先生なわけです。いつも外国語を学んで、その母語話者たちと交流をしてきたわたしたちが、自分の母語を学んでいる人たちと交流するというのは、つまり消費者から供給する側にまわったということで、いまタイの高校生と日本語でメッセージのやり取りをしているのですが、漢字をなるべく使わない・複雑な構造の文章はつかわない  など、けっこう気を使うことが多く、わたしもいつもそういう風に助けられていたんだなあ ということを実感しています。たとえば私が普段受けている全編ロシア語の授業はただロシア語で開講されているだけではなくて、初級学習者にどうすれば伝わるかということがすごくよく考えられているんだなあ  など。

とはいえ 荷物を入れるバックパックをきのうアマゾンで注文したぐらい  まったく用意が進んでいないのですが、優等生マインド撲滅しつつ 楽しんできたいと思います。ヒューヒュー!