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たられば

 

今週のお題「私のタラレバ」

 

わたしは常々、人生が4つほしい  4つやりたい  と思っていて、それは小学3年生のときに いつか自分は死ぬ ということを明確に理解してしまったからなんですけど、

 

 

まあそんな感じで、世界がどうなっていくのかをずっと眺めていたい。ずっとじゃなくても、せめてセーブポイントでむっくり起き上がって更新していきたい、知らないことがあるまま死ぬのが怖い。死ぬのが怖い、死ぬのが怖い、でも同時に、いつか心臓が止まって脳が死んで焼かれて、そしたら髪の毛から順番に燃えていく ということをすごく明確に理解している。

 

これは前述の通りわたしの原風景というか、人生の根本にあることで、すごく大切なことなので あんまり言葉にして人に話したり、それで  「こいつキモチワルイ」と思われたり、わかった顔で諭されたりされるのがめちゃくちゃ怖いしで内に秘めていたんですけど、ふとしたきっかけと深夜の勢いでツイッターにつぶやいてしまって、 そしたら思いの外うまいこと言葉にできて、そろそろちゃんと考えてみようかな、ということです。

そんな重いアレではなくて、4つの人生について。

 

1つ目は クラシックバレエをずっと続けていたら、というものなんですけど

バレエの話はなんというか今でもトラウマで、けっこう動揺してしまうのですが、やっぱり避けては通れないなという感じ。

わたしは3歳から10年間ぐらいクラシックバレエをやっていて、なんというか我ながら上手だったんですよね、プロの男の人とパドドゥを踊ったり、4回転のピルエットをトゥシューズでできるような小学生でした。バレエを好きだったし、好きだから上手くなるし、上手くなるから好きだし、という感じで週に8〜9コマお稽古に出ていました。大人に混じって怒鳴られながら踊ったり、ちいちゃい子のクラスのお手伝いをしたりしていたり、わたしの根がスパルタなのは絶対このときの経験があるからだと思います。ふふふ。

でも、バレエ団付属の大きなお教室から引き抜かれるタイミングでやめてしまいました。これからコンクールにもどんどん出場して、名前を売って、海外にどんどん出ていく、あなたにはそれができる、おれがあなたをそこまで育てる、と言ってもらったのにやめてしまった。なんというか、その時期のことをあんまり覚えていないんですけど、明確にバレエをやめると決めたわけでも、バレエを続けると決めたわけでもなかったんですよね。でもわたしが迫られていたのは、これからの人生でバレエを続けていくか、もうやめてしまうかという決断だったのですよね。踊るのが楽しくて楽しくて楽しかったそれだけなのに、いつのまにかそういう段階にいました。そしてそこで覚悟を決められないのに続けていけるような甘い世界では当然なかった。お教室の同い年の女の子にはやきもちをやかれて携帯電話を折られたり、そういうこともあったし、家も揉めはじめていたし、そもそも プロの男の人とのレッスン1回1万5千円みたいなのをスッと支払えるような家ではなくて、さまざまがピリピリしていたし、なんとなく、行きたくないなあ、今日は休もう、明日も行きたくない、としているうちに完全に縁がなくなってしまった。

まあつまり  完全に物心を失っていたわけなのですけど、あそこでバレエを続けていたらなあ  せめて正気で「辞める」ということをちゃんと決めていたらなあ、ということは本当にことあるごとに考えます。

ある分野を極めずに なあなあのままにやめてしまったというのは一種の挫折で、わたしにとってはすごく大きい話だけれども、バレエの世界ではごくごくありふれた話で、そのありふれた側になってしまったというのがトラウマなんですよね、 戦う前に負けてしまった。ハイ

 

2つ目はめちゃくちゃ勉強をがんばっていたら、というやつです。

自分で言うのはけっこうアレな話なのですけど、わたしはすくなくとも勉強の面ではけっこう賢くて、それでいて勉強が好きだった結果、読み書きの習得も早かったし小学校のときも中学校のときもなにもしなくても学校で1番をとっていたような子どもで、そして最終的にいわゆる「高学歴」みたいなところにいるのですが、父も母も「勉強はしたかったらしたらいいよ、高校には行ってほしいけど、自分で決めなさい、やりたいことをやりなさい、あなたが決めたことは私たちのすべてで応援するけど その責任は自分でとりなさい」 という方針で、つまり放任主義だったんですけど、だから 私立中学の受験も自分で決めたし、当時買い与えられたばかりの携帯電話で自分で資料請求をしてオープンキャンパスの日程も全部調べて、保護者としてわたしについてきてくださいというプレゼンテーションをしたし、その授業料は勉強で3年間全額免除にしてもらったし、その後のさまざまの受験校も全部自分で決めたし、という感じでした。

その過程で、国公立の大学を受験するのが当たり前、私立は落ちこぼれ、中途半端な私立に行くぐらいなら一浪する、みたいなけっこう学歴至上主義の環境に身を置くことになって(わたしと同じ高校にいた人がどう感じていたかはわからないけれど一部の人がそういう選民意識を ちょっとの時期でももっていたのは確かだと思うし、わたしにはそれがけっこうカルチャーショックだった) 幼いころから親が主導で勉強してきて、受験に際して折り合いがつかないだとか、自分の選民意識に自分で苦しんでいるような人をたくさん見てきて、もしわたしがその立場だったら、幼いころからめちゃくちゃ勉強をちゃんとがんばっていたら、もしもう少しうるさい親だったら、なにか結果が違うのかなあ  というのを、単なる好奇心からけっこう興味があります。英才教育をされていたらもっと賢くなってたのかな、とか。

 

そもそも学歴ってめちゃくちゃむずかしくないですか、やらないとだめとされてる時にやらないとだめとされてることをできるかという指標なのかなあ、というのがわたしの今の認識なのですけど、「ほんとうにやらないとだめな時なの?」「ほんとうにやらないとだめなことなの?」という疑問はたしかにあるし、(そういう考えなくていいことを考えない という能力を測られているのかもしれない  /  わたしは勉強はやっておいたほうがいいことだとは思う) 趣味で勉強した結果いい学校に入れたらそれを褒められるけどそれは社会の都合で、趣味としてゲームより勉強のほうが偉いという設定になっているというだけで、とか、わたしはいい学校に入ろうと思って勉強していたわけではないけれど  結果的にやりたいことができる世間的に「いい」学校に入って、やっぱり父親も母親もとっても喜んでいたし誇らしげだったし、父母のまわりの反応もアレだったし、まあ親孝行できたという点ではいいのかもしれないけれど、そんなもんかあという気持ちもあって、やっぱりめちゃくちゃ難しいですよね。 いい学校って言ってるけど 悪い学校があるわけじゃないし。言葉選びがあんまり良くないな、すみません。

 

話を戻すと、英才教育を受けていたらなぁ とは思うけど、もちろん両親の放任さに何度も救われたし、いまでもわたしに対する方針として  両親のやりかたが正しいしありがたかったと思っているし、だからこそよそのおうちのことをどうこう思っているわけでもありません。もしかしたら英才教育を受けることでのちのちはちゃめちゃにグレていたかもしれない。わはは。

 

3つ目は 16歳でできちゃった結婚していたらというやつです。

ほんとうに語弊しかないんですけど、べつに16歳でできちゃった結婚することがいいとか悪いとかそういう話ではなくて、こう、幸せになり方ってたくさんあるわけじゃないですか。わたしにはいま「小中高大就職」みたいなお堅いコースがうっすら見えてきていて、もともとは選択肢を広げるために勉強していい学校にはいったのに 逆に選択肢がせまくなっているのでは……みたいなのをけっこう感じていて、たとえばだいぶ前に 「京都大学を出て専業主婦をやっています」みたいな趣旨のブログがなんかちょっと炎上していたり (死ぬほど京大に入りたかった人もいるのに社会に貢献せずに家に入るなんてわがまま!みたいな意見を読んでくらくらした記憶がある。社会に貢献するために大学に行くわけじゃない人がいていいと思うし、死ぬほど京大に入りたかったならそれこそ死ぬほどやって京大に入ればよかったんじゃないですか?という意地悪な気持ちと、そもそも死ぬほどやりきった人ってそういうこと言わない気がする、あなたは誰に頼まれてどの界隈を代表してるんですか?それぞれの暮らしを誰がどんな権利で裁けるというの……という気持ち)   まあわたしが勝手に感じているだけなんですけど、16歳でできちゃった結婚してみたかったなあ と思うんですよね。人生の選択肢として。

 

4つ目は、いまの人生。

けっこうだいぶかなり大変な感じなんですけど、なんだかんだいまこの生活に満足しているし、この人生の分岐として最良のところにいるのではないかな と思うし、なにをやっても表目に出る結果オーライの申し子として、この人生をしっかりやりきりたいなと思います  ヒューヒュー!

 

 

というわけで、わたしのたらればでした。かなり脱線してしまった。ぜんぶの選択肢をくまなく検討したいというのはわたしの癖というか性格で、よくばりかつ臆病ということなんですけど 、19年、短いと思ってたけどけっこう盛りだくさんだし、まあ死生観もどんどんかわっていくのでしょう!明日死んじゃうかもしれないしね。  面白いお題を出してくれるのでブログはいいですね。ありがとうございました