移動祝祭日

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4月11日(水)

 

  いい加減何か書かないとなあ、と思っているうちに一ヶ月以上経ってしまった。今年は日記もやめてしまったので、なんだか地に足が付いていないような、ユニットバスの透明のカーテン越しに世界を見ているような、心もとない感じがしている。

 

  3月は何をしていたっけ、後輩や先輩とご飯を食べて、妹や母と会って、高校生とバンドを組んで、素晴らしいバンドのライブをみて、それ以外はほとんど働いていた。いわゆる『お酒の失敗』を初めてしたし、激怒もしたし、大好きな人たちと離れ離れになったし、サイゼリヤでやりたい放題する最高の飲み会をやったりもした。

 

  ちゃんと振り返って言葉にしてみるとちゃんと悪くないな、楽しかったなと思えるのに、ものごとの最中にいるときは自分のことをすごく卑小な人間のように感じてしまう。こういう状態を「物心がついていない状態」と思っているんだけれど、まさにそんな感じ、自分がどこにいて何を感じていてどうしたいのかわからないままに本能や惰性だけで動いている、何もかも遠い、というかわたしが鈍い。鈍いときは重たくて、重たいことはしんどくて、煙草を吸ってぐらぐらになってそのまま眠るぐらいしかやり過ごす方法がない。当然そんなことはぜんぜんしたくない。誰かとふたりでゆっくり話したいな、元気を出さずにしゃべりたい。

 

  鈍さがきらめくのは春の特権で、だからもうしばらくぼうっとしていてもいいのかもしれない。この先1ヶ月くらいは京都国際写真祭のスタッフをしたり前のアルバイト先の人と久しぶりに会ったり学校をさぼって東京に行ったりするのですごく楽しみ、かがやかしい青春

 

  新しいことを始めたい、いろんな人に出会いたいと思うけれど、外交的な日々の決済を外交的なまま終えられたためしがなくて、つまり、内向的な自分が最終的にずたぼろになりながら色々を引き受けて帳尻を合わせてここまで来たんだけど、そろそろうまくやれないもんかしら、と途方に暮れている。外交的内向的というのはHSPとHSSの話をしているのだけど、調べれば調べるほどわたしには両方当てはまってしまう、そろそろちゃんと本を読まないとな〜〜〜〜〜

敏感な性質の『HSP』と刺激を求める性質の『HSS』、あなたはどんな性質? - NAVER まとめ

  

       本といえばTwitterで短歌の話をしたらすごく拡散されてすごくびっくりした、いろんな人に届くといろんな受け取られ方をされてしまうものなんだなと実感したので、ちゃんと記事にしようと思っている。

 

  脈絡のない感じになってしまったけど、春だから、いい、好きなこと好きなように書く。

 

  眩しい駅の自動販売機の前で、背負ったリュックサックから財布を取りだしてもらうときのちょっと緊張して伸びた背筋とゆるく握り込まれた手と宙吊りのはにかみ、それをそうっと覗き見る朝、その帰りに久しぶりの大好きな本屋さんで悩みに悩んで選んだ本が入った紙袋、ずっしり重いその紙袋を、前後にぶんぶん振り回しながら歩く。紙袋が後ろにいくときに、その重さで体が前に出る。紙袋を振り回していたはずが紙袋に振り回されている。しあわせな振り子になって風の夜をびゅんびゅん進む、そういう春が、全部をゆるすだろう。

 

  

2月22日(木)

 

  昔から偶数が苦手で、だから「2018年2月22日」みたいな字面に居心地のわるさを感じる。字面に影響を受けるのも昔からで、未だに18:00と20:00や14:00と16:00を混同したりする。「おなじ色だから」としか言いようがないのだけど、なんとなく共感覚とはちがうと思っている。わたしの脳の未分化な部分。

 

  有名な俳優が死んだらしい。老若男女あらゆる人間が彼のことを知っており、彼の存在を日常の一部にし、だから突然の彼の不在に戸惑っている。

  わたしは彼のようになりたかった。彼のような人間になれば、安心だと思っていた。

  死について四六時中考えていた少女のあの頃、暗いところで眠れなかったあの頃。大人なら誰でも「どうして死ぬのに生まれるのか」を知っていると疑わなかったあの頃、人生でいちばん無垢で暴力的だったあの頃。

  わたしがようやく辿り着いた死からの逃避方法は「有名になること」だった。有名になったら、みんなが覚えていてくれて、なかったことにならない。悲しみは分担できるのだと思っていた。

 

  わたしにとって死がいたましいのは、振り返ることができないからだ。やったことがやりっぱなしで終わってしまう。死んだ後で「あそこはこうだったよね」「あのときのはファインプレーだったね」みたいな話ができるなら、死ぬことはそんなに怖くないと思う。人は何かを成して、振り返って、折り合いをつけて、また次に進んで、そうやって生きていく、そうやって営んでいく。

        有名になったってならなくったって同じことだ。人は忘れるし不在に慣れる。振り返って折り合いをつけて進んでいく。振り返らないということはそれ以上進まないということだ。 

 

        最近人とよく会って話し、お酒を飲んでいる。話し過ぎはわたしの悪癖で、あとからじわじわ落ち込んでしまう。疲れもあるのか、自分の中に何かが沈殿しているのを感じる。澱とでもいえばいいのだろうか、だけどもこの澱は、やはり人と話さなければ霧散しないので、つくづく1人で立っていられないのだなと思う。

 

        今日こそ唐揚げを作ろう、と思いたって鶏肉を解凍している途中で電話が鳴る。母親から一緒に晩ごはんを食べないかと誘われる。彼女とは正月から会っていなかった。鶏肉を冷凍しなおして、40分電車を乗り継いでいきつけのバーに行き、今度こそ唐揚げを食べる。

        ずいぶん真面目な話をしたしずいぶんまともなことを言われたので驚いた。何も覚えていない、何も考えていない顔でへらへらするのはわたしが彼女にできるほとんど唯一といっていい思いやりなので困った。

 

        手編みのマフラーをもらったので巻いて帰ったけれど母の家には犬が2匹いて、わたしは重度の犬アレルギーなので発作が出て悲しかった。かわいい犬は母がわたしを手放す代わりに手に入れた自由のうちのひとつだ。彼女は14年我慢した。

        

 

        大学から進級が認められた旨の連絡が入ってうれしい。3年目にしてようやく平日に休みが作れそうなのでわくわくする。大学生活がモラトリアムだというのは嘘だ。

 

        将来のことをうじうじ悩んでいるけれども「将来」というほど遠い話ではなく、実際のところもうほとんど答えは出ていて、あとは状況が許すのか伺っているだけだ。状況が許さなくてもわたしはわたしのことを許そうとおもう。

 

        居心地の悪い一日があったとして、そういう日にも地球がまわって勝手に奇数の日にすすんでいくのは救いだ。ひとりの家で自分の生活を営むうちにそういう日をやり過ごす。そうやって大人になる。

 

 

  

2月14日(水)

 

  日当たりの悪い部屋に住んでいて、家の中からでは外の天気はまるっきり分からない。それでも晴れた日の午前11時頃から午後14時にかけては、さまざまな障害物の合間を縫って、少しだけ日光が届く。光のかたまりは、時間が進むにつれて窓の左上から、右下へと移動する。

 

  玄関を出ると、明るさに瞳孔がきゅうっと閉じるのがわかる。少し痛みをともなうそれをわたしはとても気に入っていて、だけど玄関を出るまでは そんな本能が自分に備わっていることなど1ミリも覚えていない。

 

  今日はバレンタインデーらしい。中高生の頃はお菓子を作って配ったりしていたけれど、アルバイトを始めてからは専門店のキラキラしたものを何種類か買って近しい人と分け合うようになった。今年は異例の試験期間の長さで、まだ休暇が始まっていないのでどうしようかと迷う。洞窟や城砦のような自宅を手に入れてから、毎日本当に静かに暮らしていて、専門店の人だかりまで足を伸ばす気にもならない。

 

  今日はいちにちかけて日本語とロシア語の慣用句を比較する論文を書かなければならないので大学の図書館に行く。日光浴としての登校。ぼーっとしているだけで目の前の景色が変わってくれるのはとてもありがたく贅沢なことだ。

  休暇の時期の大学図書館はとても居心地がいい。静かで、だけどパブリックで、何より本の匂いがする。参考文献の他にも気になる本を思うさま席に持ってきて、書くのに疲れたら読むのを繰り返す。今日は翻訳に関する本を読んだ。

 

  最近は大学院に行くことを考えていて、だけどただ単にモラトリアムを延長したいだけなのかも、とも思う(大学がモラトリアム期間なのかはまた全く別の話だ)。専門学校や留学や就職や費用や人生設計や親の年齢や学歴、くだらないけど大切なこと、陳腐でも真剣に考えなければならないこと。

 

  答えの出ないことなので、答えを出さないように気をつける。それにも疲れてしまって、夕飯の献立を考える。帰りにスーパーマーケットか100円ショップに寄って油処理の用具を買うのを忘れなければ唐揚げにしようとおもっていたけれど、食欲がないのでウインナーとか卵とかを焼いてスープを作って食べると思う。手抜きの食事はどうしても朝食めいてしまう。

        年始にかけられた母の呪いのせいか、ひとつきで6kg弱痩せてしまった。別にあと10kg痩せようがどうってことないんだけど、わたしの質量はどこへ消えたのだろうと不思議に思う。

 

        母親から、わたしが彼女の夢に出てきた旨のメッセージが届く。彼女のエネルギーはすごい。父もわたしも彼女にいろいろ吸いとられてしまって、その疲れをとるのに何年もかかってしまった。

 

  5月に東京に行くことになって浮き足立つ。長いと思っていた休暇の予定がどんどん埋まり、その先の予定も埋まってゆく。いまのところわたしが生きることが確定しているのは5月までだな、と確認する。定期券を1ヶ月ごとにしか買わなくなってからずいぶん刹那的になった気がする。でもそうやって確定未来をじわじわ伸ばしながら歳をとって死ぬのだ。

 

        バスの後ろの席でロシア人女性2人が自分たちの日本名を考えている。2人とも顔立ちはアジア系だけどきっとネイティブだ。美音と書いてミオンと呼んでもらいたいらしい。自分の名付け親にはなれないとおもっていたけど、どう名乗るのも自由なのだな。とはいえわたしは自分の名字も名前も漢字も由来もとても気に入っていて、それはとてもいみじいことだ。

 

        Galileo GalileiのGood Shoesを聴きながら、いまとってもひとりだ、と感じる。今日は人身事故が多かった。

 

近況報告によせて

 

        わたしには、たまにメールで近況報告をしあう男子高校生がいる。

 

        こちらからは送らないと決めている。彼から「先生どうしてますか。」とメールが来るたびに、どうしてるんだっけ と考えて、返事を書いて、送る。わたしが書く返事は長いときもあれば短いときもあるし、写真を添えることも 添えないことも、ときには彼がうちあけた悩みに対して物を言うこともある。それに対して、さらに彼は丁寧に返事をくれる。彼はすべての話題についてコメントをくれる。とても自然で思いやりのある語り口だと感じるけれど、わたしにはとてもできないことなので、だいたいやりとりはそれで終わる。

 

        この一往復半のやりとりは、しばらく放っておいた郵便受けを整理することに似ている。ガサーッと中身を取り出して、置いておくものと処分するものに仕分けて、置いておくものは身の中に取り込み、処分するもののことは忘れる。本当は少し前に届いていたものを、自らの手で受け取りなおして整理する。

 

 

        最近のわたしはといえば、新しいアルバイトをみつけたり、ぶりと大根のめちゃくちゃ旨いやつを作って感動したり、ヒィヒィ言いながらテスト勉強をしたり、その反動でスーパーで食材を買い込みすぎてしまったり、花を飾りはじめたり、食パンがとびでてくるタイプのトースターを買ったりして、そこそこ楽しく暮らしている。

        ひとりの部屋での独り言にはもう慣れたけれど、生活のBGMには困っている。珪藻土のバスマットと自転車が欲しいと思っていて、あたらしい自宅の郵便番号がいつまでも覚えられない。

        あと、ロシアで買った村上春樹の本の翻訳をへらへら始めているがそんな暇は全然ない。無様さの逆転と信用について考えていて、あたらしいコミュニティにはいりたくてボランティアに申し込んでみたりした。そこでは通訳の手伝いができそうなので少し楽しみ。

        最近の発見は、麦茶の入った水筒から麦茶を飲むときの匂いは幼稚園の匂いだということと、うどんスープに天かす(あげ玉)を浮かべて飲めばうどんを食べた気持ちになれるということ。

 

 

        いろいろな近況報告の形があると思うけれど、近況報告のいいところは、誰の近況報告でも聞いていて楽しいということだ。知り合いで、人となりがよくわかっている人の近況報告も楽しいし、初対面の人の近況報告も楽しい。最近あったことをどう受け取ってどう言葉にしてどう伝えてくれるのかで見えてくるものがあるし、自分の生活の外にある他人の生活にすごく興味がある。

 

 

        ブログを始めて1年が経ったけれど、さまざまな人の近況を知って、勝手に自分の近況を報告して、たまにまとまった文章も書けるこの媒体はすごくいいなあ、面白いなあ、と思う。書くのも大好きだけど、読むのも大好き。

 

 

        たぶん彼からの次のメールは2月14日過ぎだろう、と見当をつけていて、何を書こうかな、どう返事しようかな、と今から楽しみにしている。

  

2017年のまとめ及び浮遊感

 

  2017年のまとめ

 

 前半

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7月

スピッツの30周年ライブに行った

・前期末試験に追われた

山口県でライブをした

・梅田シャングリラでライブをした

 

  7月の記憶がびっくりするぐらいないんだけども、なかなか忙しくしていたようでした。 9月まで先輩のバンドのサパートメンバーとしてベースを弾いていて、その一環として自分が「ライブする側」というか「舞台に立つ側」をやることが多い最中に  スピッツみたいな超巨大バンドのライブを最後列で観る という経験ができたのはけっこう象徴的なことだった。世界ってひと続きなんだ、表現者は最初から表現者として生まれてきたわけではなくて、そういう風に生きることを選んだひとつの魂なんだ、わたしもいつでも選べばいいそうすればいい、ということを感じたり考えながら、それでも向こう側とこちら側にはものすごい断絶があり、自分で選びきってその上で選ばれた人の世界というのは確かにあるということを突きつけられたりして、何しろとにかく考え事の多い月だった。

 

 

8月

・20歳になった

・アルバイトに明け暮れ、そして辞めた

・下北沢でライブをした

・ロシアに行った

 

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   20歳になりました。だからどうということはなく、まあでも大きな顔でお酒を飲んだりタバコを吸ったり吸わなかったり競馬に行ったりいかなかったりできるのは素敵なことだと思う。8月はよくブログを書いた気がするな。!

 

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9月

・ロシア

 

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10月

バンプオブチキンのライブを観た

 

  ぐらいかなあ、あとは普通に学校に行ったりしていたと思います。いま全然普通に学校に行けていないのであの頃のわたしえらいな......という感じ バンプオブチキンのことはちゃんと長い文章を書いてみたい。ひとりで名古屋に行ってライブハウスで観たんですけど今まででいちばん近かった、人間の形をしていた、ものすごい空間でした。

  

 

11月

バンプオブチキンのライブを観た。

・お父さんとベロベロになる会をやった。

・部活に復活した

・引越しのめどがついた

・バンドを組んだ

 

  お父さんとベロベロになった。

  3軒目まで行ってその3軒目で焼酎のボトルを2人で2本空けて、翌朝二日酔いでへろへろのわたしの横で父は焼きそばとアイスクリームを食べて飄々としていた、なんという、すごい。わたしはこの時の二日酔いがトラウマとなり未だに飲酒に対してちょっと及び腰です。

 

  部活に復活したというか、別に休止もしてないんだけど、今年前半 ライブの出番が終わったら即帰宅、みたいなことが続いていたので新入生の方がわたしよりもみなさんと仲良し、みたいなことになってウワーと思っていたのを、いろいろ取り戻すことができた。ほとんど素面でちゃんと飲み会を楽しむことができて革命だった。

 

12月

・引越しを半分くらい終えた

・新入生とライブに出た

・寄稿することになった

 

        ロフトベッドを買って調理器具を買って、机と椅子を買ってカーテンをつけて、ちょくちょく自分の荷物を運びつつ新居でご飯を作ったり寝たり掃除したり映画を観たりしている。わたしは自分しか頼れる人間がいないという場面にすごく強いんだろうな、思わぬテキパキさを発揮して快適に生活しています。先日は友人が遊びに来てくれて、ケーキを食べたりたこ焼きを焼いたり深夜に公園を徘徊したり それぞれ好きなこと(読書、次の日の授業の予習、ギター、ベース、居眠りなど)をして少し黙る時間があったり、早起きしてポトフとホットサンドの朝ごはんをしたり、なんだか屋内キャンプみたいですごく楽しかった。走馬灯に出る。!

 

        それから、部活の新入生に誘ってもらってライブに出た。まあ、なんというか、熱気がありながらも大学の軽音部らしくサボる人はとことんサボるという感じでいろいろと勉強になった。だいすきなベースの先輩が わたしとバンドを組むためにギターボーカルをやってくれることになって感激した、同じパートの人のことをめちゃくちゃ好きだけど同じパートなのでバンドを組めないというジレンマが愛によって解消された、ヒュウ!

 

        寄稿というのは、わたしが所属している短歌会の会誌に、ということなのでそんな大仰なものではないんだけど、短歌が好きで短歌会に入ったけど短歌を詠むことはそんなに好きじゃないことには入ってから気づいたわたしに「無理して詠まなくていいんだよ」と言って声をかけてもらえたのはすごくうれしかった。一首評といって、短歌一首についての文章を書きました。わたしにはこれがすごく向いている気がする。また載せてみようと思います。

 

 

        さて、新入生と出たそのライブの打ち上げで先輩から言われたことをずっと考えていて、それは「窓際さんって浮遊感あるもんね」ということだ。その人はたぶん  わたしが集団に馴染めていない・浮いてる  ということが言いたかったのを親切にもオブラートに包んでくれて、もしかしたらけっこう失礼なことを言われたのかなとも感じるけれど、だけどそのときのわたしは、ひどく嬉しかったのだ。

 

        浮遊、しているかもしれない、たしかに。だけどそれでも、わたしは自分が心地よく過不足ないところで、その集団の一員として認められて活動ができている。浮遊してもなおちゃんと成り立っている。それはなによりわたしがみとめられている証拠だし、周りの人々の懐の深さの証明でもある。

        父親は言い換えてくれた。「日和らないってことでしょう」

        やりたくないことをやらなくても、たとえば面白くないことに笑わなくてもアホなふりをして媚びなくても、ちゃんと居場所を見つけて自分のやりたいことをやりたいようにやれるようになった、やっていいんだと思えるようになったし一緒にやってくれる人を見つけることもできた。集団から浮遊することや、浮遊していることを指摘されても怯まなくなった自分が誇らしかった。

 

        ということで、2018年の標語は「最強になること」です。わたしは「だからなんなんだよ、わたしがそうしたいからそうしてるだけなんだよ、みんなで幸せになろうね」という強度を身に付けたい。  自分の 「こうあるべき」 という基準を大事にできるようにならないといけないし、そしてそれに付随するさまざまを乗り越えるだけの力をつける必要もある。

 

        最強で最高のいちねんにします!よいお年を!

 

        

 

 

 

LINEが苦手

 

  LINEが苦手!!!という気持ちが高ぶってこのようなツイートをしたわけですけども、どうしてそんなにいやなんだろう、ということを考えてみようかなと思う。

 

  まず、その「苦手!!!!」という気持ちが高ぶったきっかけは、ちょっと大きなライングループに「返事は24時間以内にしましょう、それをこえて返信がないのは迷惑をかけているという自覚を持ってください」という旨の告知がなされたことなんですけど、その文言を理解した瞬間に、本能的に全身が拒否してしまった。なんのための既読機能だよ、うんざりだ、仕事でもないしなんの責任もないのに、あんまりだ。ウウウウウ

 

  おもうに、わたしがLINEを苦手な理由は「相手のタイミングで強制的に会話が始められて、連絡がつく・つかないのカウントがスタートされる」ことだ。結局わがままなんですけどね。だって返せるし。だけどすぐ返して当たり前とか、返事が遅いって勝手に判断されたりすることに耐えられない。遅いって、そっちが勝手に始めただけでわたしは始まってもないんだから遅いも早いもないでしょうに、と思う。「いまからおはなしちょっといいですか?」とか、「この問題についてはLINEで話し合おうね」とか、そういうお互いの了解がないのに一方的にメッセージをおくってきておいて遅いだの早いだのとは勝手なことだなあと思うのだ。その話をしたいときもあればそういう気分じゃないとき、それどころじゃない時だってある。勝手に数え始めておいてこちらを責めてくるのなんか違うのではないですか、と思う。

 

        たぶん多くの人にとってLINEはすでにソーシャルなもので、好む好まないにかかわらず正式な連絡手段として不可欠なものなんだとおもうんだけど、わたしにとってはすごく個人的なものというか、自分の裁量でやれる幅が広いと思っているというか、そんな感じ、つまりわたしは個人の領域をよくわからない人に侵されるのがめちゃくちゃ嫌いなんだろうなあ、そうはいかないことをわかっていながら、理屈の上ではいつアンインストールしてもいいはずでしょ?と思っている、そのためにメールや電話があるんでしょう、結論を申し上げますと、これは、まああの、わたしが全面的に悪いです。

 

        こういうことでごっそり心身の体力を持っていかれるのを何回もやってしまう、いろいろ不適合な気がしていますが、確かにわたしは悪いですけども、間違ってはないと、そういうふうにも、思う、懲りていない、ウエーン

 

        わたしは信用できるもの以外は信用しないしできないし、やりたくないことは絶対にやりたくないんだけど、そうやって生きていきたいならそれ相応の強度を身につける必要がある、そしてそういう強度をもって背筋を伸ばしている人のことをとても美しいと思う、ヨッシャ!

解像度

 

  わたしは死にたくない。死にたくないから、年をとりたくない。年をとりたくないんだけど、それもいいかなあ と思うことがあって、それは 生きれば生きるほど、目の前の物事の解像度が上がっていくような気がしているからだ。

 

  今何が起こっているのかがきちんとわかる、一般的な正解ではないかもしれないけれど、わたしの範囲の中では過不足なく情報を受け取れていて、だからいつでもその情報の訂正が可能な、安定していて柔軟な状態。特にそういうのを感じるのは、読書をしている時だ。

 

  昔から本当にたくさん本を読む方で、中学生の頃は暇に任せて図書室の本を棚の右上から左下まで、がぶ飲みするみたいに読んでいた。月に25冊ぐらい読んでいたんじゃないかな。休暇のある月はその倍ぐらい読んでいた。その頃はとにかく質よりも量を読みたいという気持ちが大きかったから、かたっぱしから「とりあえず読み終わる」という感じだった。中には難しくて、もやもやした中を手探りですすむような、こじ開けたそばから閉じていくような、いわば近視の状態でしか読めない本もたくさんあった。

 

  そういう読書が最近めっきり減ったように感じていて、もちろんあの頃よりはるかに読んでいる量が少ないというのもあるとは思うんだけど、すべての行が意味を持つようになって、目の前がすごくクリアで、後ろのほう、遠くのところから読めるようになったし、なんというか、世界がパリッとするようになった。隅々まで見渡せているというか。

 

        ぼんやりとだけれど、これは生きている年数がふえるにつれて  受け取ったものを濾して言葉に直すだけの語彙が増えたからなんだろうな、と感じている。  語彙の話は目下がんばって折り合いをつけようとしている話題なので、まとまったらちゃんと公開しようと思う。

 

  それだけ読書をしていながら 古典とかいわゆる名作をあんまり読んでこなかったことにコンプレックスがあったのだけど 最近ますますちゃんと読めるようになってきて、20歳でそうなるのはまあまあでは、と思い直した。わたしの人生の中では今のわたしがいちばん老いているわけだけれども、20歳というのは思いの外若い、たぶん、来るべき時が来たのだ。

 

  昔の霧の中の読書も 身になったかはともかく「1冊をとりあえず我慢強く読んでみる」というよい訓練になっていたのだろう。

        とにかくますます本を読むことが楽しいし、それと同時に、世界中にある本を全て読むことなんてできないという事実に打ちひしがれてしまう。一周まわりはしたけれど、結局今日もわたしは、絶対に死にたくないぞ、とこわばってしまうのだった。