移動祝祭日

勘弁してくれ.com

いじわる

 

        意地悪をしてしまった。その結果、心の底から途方に暮れてしまっている。

 

        今日の5限は休講だった。いつもより早く最寄の地下鉄の駅に着いて、地上への階段をのぼる。のぼりきったところに、慈善団体の街頭勧誘のユニフォームを着た青年たちが立って、チラシを頒布している。あまり受け取ってはもらえていないようだった。

        なんとなくその中の1人と目が合って、なんとなくチラシを受け取ることにして、差し出された手の方向に 手を差し出す。けれど、チラシはもらえない。彼はそそくさと脇に抱えていたバインダーをわたしに見せ、開口一番「今、アフリカでは1秒に5人もの子供が、死ななくてもいい病気で死んでるんです!!」と言った。はあ、なるほど、と話を聞く。死ななくてもいい病気とは、と思ったけれど、たぶん適切な治療さえ受けられればなんてことないはずの病気、ということなのだろう。

        そんなことを考えていると、彼はじれったそうにわたしの目を覗き込んできた。「今、月々一定額を銀行から引落とさせていただくことで、例えば月2000円だと、○○人分のワクチンが、3000円だと○○人分の**が買えるっていう、素晴らしいプランがあるんです!!!」

        青年は、勢いはあるけれどあんまり喋り慣れていない様子で、だけど一生懸命で、そのぶんだけ空虚で、輝いていて、怖かった。

        「お兄さんはどのプランをやってるんですか?」と尋ねた。なぜかそうせずにはいられなかった。彼は、少しの動揺のあと「僕はやってないんですけど……」と答えて話を続けようとする。「なんでやらないんですか?」ともう一度尋ねる。こんどこそ彼はうろたえてしまって、先輩らしきひとに助けを求める。「なんで僕はやらないんですかって言われたんですけど……」

        すかさず先輩のほうは「僕はやってるんですけど」とフォローに入る。「彼は新人で、一生懸命なのはわかってもらえたと思うんですけど」諤々。

        けれどそこから先の話は全然入ってこなかった。わたしは、なぜか、ほんとうに傷ついてしまった。ものすごいショックを受けて、ほとんど泣き出しそうになりながら身のない相槌をうつ。

        やっとのことで「何か持って帰れる資料をもらえますか?」と尋ねたけれど、一回持って帰られてしまうと落ち着いてしまって契約にたどり着く人が少ない という理由で「少しでも興味があるなら是非この場で」と強い口調で迫られてしまった。わたしはくいさがった。なんとかぺらぺらの冊子をもらって、がんばってください、と言って、彼らの元を去った。

        わたしが意地悪をした新人の彼は、脱帽して、腰を直角に曲げて誠実に頭を下げた。

 

 

        わたしがなぜ傷ついたのかというと、自分には道徳心や同情心や想像力や他人を思いやる心なんてこれっぽっちもなくて、自分のことが一番大事なただの間抜けだということを、丸腰のときに突然突きつけられてしまったからだ。

        その気がないならきっぱり断ってしまえばいいのに「その気がない」と思われるのが嫌だった。こういう類の寄付を断るというのは人道的でないし、恥ずかしいことだと思った。外面が大事だった。だからわたしは「そういうのいいんで」も「待ち合わせがあるんで すみません」も言えなかった。

 

        わたしがなぜ意地悪をしたのかというと、そういう自分の存在を認めるのが怖くなって、動揺したからだ。自分が攻撃される前に攻撃してしまおうと思ったのかもしれない。最悪だ。

 

        そしてわたしは怒っている。「なんでお兄さんはやらないんですか?」という問いに、自分の言葉で答えられなかった彼に対して。

        わたしは試された。どこに雇われているどういう者なのかという自己紹介もないまま、慈善慈善慈善、突然とおくの土地のとおくの人々の話をされて、この場で月々いくら 彼らに送金する契約をしてくださいと言われた。正直なところ、怖かった。真っ先に詐欺かもしれない、と思ったし、彼らの強引さや、そのお金の使い道の内訳がよくわからないことも怖かった。そしてなにより、自分がろくでもない人間であるということを突きつけられるのも怖かった。

        それに比べて、なんでこいつはこんなに軽いんだ、と思ってしまった。丸腰のわたしを、慈善を盾にゆさぶって丸裸にしておいて、選択の場に立ったこともない、選択しない、選択しないことを疑問にも思わない、それでそんな朗らかに、自分は100%正しいことをしていますみたいな顔ができるのかよ、と思った。苦しんだあとの彼の話なら、ちゃんと目を見て聞けたかもしれないのに。

 

        その団体の活動の方針ややり方やシステムに文句があるわけではない。行動に移している人がいちばん偉い。だから、そういう活動をしてる時間にアルバイトをしてそのお金を送ったほうがいいんじゃないの?とか、インターネットで検索した結果、そのプランで得られたお金の20%はよくわからないところに流れているらしいことなんて、どうでもいい。

 

        ただ、わたしが憧れていた小説の中の彼なら、きっと「いいじゃねえかよ、騙されてたって騙されてなくたって関係ねえよ、手をこまねいていられるのかよ」と言って、スッと契約をして帰ってきたはずだ。

        そういう軽やかで肝の座った、熱く、ひろい人間になりたかったのに。わたしならなれると信じていたのに。

        つまらない人間になってしまったようで、いや、面白い人間だったこともないんだけど、とにかく、今日いちばん最悪だったのは、彼らと別れる時に取ってつけたように言ってしまった「がんばってください」だ。あんなこと言わなければよかった。あんなことを言うぐらいなら契約して帰ってくればよかった。ほんとうのほんとうに最悪だ。

 

        なんだか、ほんとうに、すごくみじめだ。みじめだけど、みじめな思いをして、それを言葉にして、ちゃんとくよくよするしか幾らかましになる方法はないのかな。あまりにもままならない。

胸騒ぎの恋人

  

  ハチャメチャな、それでいて天使のような人間がいる。例えば  「ドコモ使ってる?」みたいな、突拍子もない、脈絡がなさすぎて全く訳がわからない質問を送ってきておいて「使ってないよ」と返事をすると、それっきり何も返ってこないような。なんて勝手で、なんて気まぐれで、なんて不遜なんだ  と思うけれど、なぜだか全く憎めない。全く違う種類の生き物に思えるからだろうか。も〜〜しょうがないな〜と思ってしまう。つまり、完全敗北だ。

  100%の信頼でもって懐かれているという感覚は甘美で、だけど同時に切なくもある。きっと彼は(もちろん彼女でもいいんだけど)誰にでもそうだから。そういう人間に毎度懲りずに完全敗北してあげてしまっている自分のことが、かわいそうでいじらしくてかわいい。こういう人たちと色恋沙汰になったり、色恋を抜きにしても ちょっとでも彼らの特別を望もうものなら 最後にはずたずたのぼろぼろになるというのは明らかで、わたしはきっと もう少しあっけらかんと図太くなったほうがいい。

  わたしが彼らみたいには生きれないように、彼らも逆立ちしたってわたしにはなれない。これは強がりであり絶望であり救いだ。すこしでも心当たりのある人は わたしと一緒に「胸騒ぎの恋人」という映画を観ましょう。

 

 

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雑記・ロシア

 

キックボード

  何度か書いたこともあると思うけれど、ロシアの道は広い。目的地が見えてから到着するまでが思ったより長い。建物は縦にも横にも大きくて迫力があり、周りの人々はわたしよりも15センチ以上背が高くて、なんだかミニチュア人形になったような気持ちになる。そして何よりわたしを驚かせるのは、キックボード及びローラースケートの普及率だ。ラフな格好をしている人もスーツでしっかりキメているひとも、みんなキックボードやローラースケートに乗っている。セグウェイに乗っている人もいる。日本ではそれらは小学生の遊び道具だったり、やんちゃな人が取り組むスポーツだ。日々の当たり前のルーティーンとして、ふつうのひとたちが妙にスタイリッシュに軽やかに それらを乗りこなしているのになんだかくらくらしてしまう。ああ、どれだけ足が長くてもやっぱり遠いもんは遠いんだな。わたしはゆっくり歩こうかな。時間はたくさんある。

 

ばらばら

  9月という中途半端な季節だったからかもしれないけれど、道行く人々の服が、何の参考にもならなかった。6時間も時差があるような遠くの国で、何を着ればいいのか、どんな温かさの服を着ればいいのか。現地の人を参考にすれば間違いあるまいと、毎朝部屋の窓から通りを見下ろすけれど、ますます混乱してしまう。ばらばらだったからだ。Tシャツ一枚の人もいればダウンジャケットを着こんでいる人もいる。サンダルを履いている人もいればブーツの人もいる。半ズボンやホットパンツの人もいれば、タイツを履いている人もいる。そして全員、それがまったく平気なのだ。

  わたしにはそれがおもしろかったし、流行りとか、多数派の意見とか、風潮とか、そういうのに囚われすぎないで、自分の体感はどうなのか みたいなことを信用できているのっていいなあ、と思った。わたしはみんなが半そでを着ているときに自分だけ長袖で 「暑くないの?」と聞かれるのがすごく苦手だ。だけどそれと同じくらい、半そでが苦手だ。 これからは、もうちょっと野生の生き物としての自分を信じてみてもいいかもしれない。がるるるる。

 

地下道

 

  モスクワに多くて日本に少ないもの。花屋(しかも24時間営業)、豪奢な建築としての地下鉄、500円以内で入館できる美術館、記念碑、地下道、アイスクリームの露店、路面電車、仕事帰りにふらっと立ち寄れる劇場。

  日本に多くてモスクワに少ないもの。コンビニエンスストア、灰色のビル、愛想のいい店員、つり革、乗車位置を示すマーク、信号機。

  モスクワには信号機が少なくて、地下道がめちゃくちゃ多い。それにともなってめちゃくちゃ多いのは、ストリートミュージシャンだ。とはいえ、ギターの弾き語りとかバンド演奏は少なくて、バイオリンや移動式のピアノを演奏している人々が大半だ(やけっぱちで豆を入れたペットボトルを振りながらアカペラをやるご婦人もいた)。彼らは、毎日朝から地下道に場所をとって、演奏する。クラシックメドレーやDeep purpleのアレンジが、のびやかに、そして自由に地下道に響く。

  毎朝 なまみの音楽がBGMの生活はいったいどんな感じなんだろう。いつかは慣れてしまって、ただの雑音になってしまうのかな。毎朝 地下道で音楽を生み出す人生はどんな感じなんだろう。幸福そうな人も倦んだ人もいたけれど、すくなくとも地下道での演奏が終わった後の一服が彼らを満たすといいな と思う。

 

砂漠の雪について

  モスクワに多くて日本に少ないもうひとつのものは、乞食だ。朗らかに「こういうことで今ちょっと困っていて......」と声をかける人もいれば、無表情で一日中突っ立っている人もいる。わたしはというとミャンマーのときから何の折り合いもつかないまま、なんとなく彼らから目をそらし続けていたのだけど、地下鉄の通路で「助けてください。息子が死にかけている」と書いたプレートをからだの前に持って、神妙な顔で地面に膝をついているやせぎすの女性を見て、なんだか身につまされてしまった。

  息子が死にかけていることと、地下道でひとびとから好奇の視線に晒された挙句誰からも無視されるのはどちらがつらいんだろう、と思った。余計つらくなるんじゃないか。ともだちは「絶対嘘だもん、ほっときなよ」と言っていたけれど、わたしにとっては嘘かほんとうかはどうでもよくて、どっちにしても困っている彼女、何かをすり減らしてそこに座っている彼女のことを考えずにはいられなかった。まだまだ全然答えは出ないし折り合いもつかないけど、わたしにはわたしの、雪の降らせ方があるはずで、それを探し続けるのはどんなに骨が折れることでもやらないといけないんだろうな。見たくないものは見なくていいし見ようとしたものしか見えない、みたいなことを少し考えました。ウーム

 

 

 

砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

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避暑留学・帰国

        お久しぶりな感じですね、日本に帰ってきて5日目です。湿気がすごい!でもかなり涼しくなっている!昨日から新学期が始まっており、これを頑張れば来年再来年が楽なのでやる気に燃えています。

        ロシアの最後の学校の日は修了証書をもらって先生も交えてお菓子パーティをして、家に帰ってからはみんなでお酒を飲みまくって近年稀に見る2日酔いをやったりしました。2日酔い状態で乗る飛行機は最悪だった、ウワー  わたしってお酒好きなんだな、ちゃんとわかって飲まないとずっとずっと飲んでしまう、気をつけます。

        時差もしんどかった、日本→ロシアは1日の時間が増えるのでラッキーなんですけど、ロシア→日本は1日が6時間減るのでつらい、寝不足な気分が続いています。

 

        避暑留学・準備 の答え合わせ。

服は割と過不足なかった。最後らへんは分厚いセーターが手放せなかった。劇場用のフォーマルな服は、自分の気持ちが許せばいらなかったかなという感じ。仕事帰りに観に来る人も多いので激烈にカジュアルでなければよかった。夏用の服は着なかったな、暑い日はあったけど今の日本みたいな気温だったので秋のワンピース一枚で事足りた。

 

結局ホテル生活だったので鍋はいらなかったけれどお湯が出るサーバーはあったので味噌汁は役に立った。お世話になった先生にプレゼントするとめちゃくちゃ喜んでもらえた。お箸と醤油はあってよかったな!あとドライヤーとお風呂用サンダルは生活の質をめちゃくちゃ上げてくれた、もっていってよかった。

 

お金のこと。日本円から直接ルーブルに替えるより一度ドルを経由するのがいちばんロスが少ないみたいだった。初耳!ショック!なんだかんだお金は足りたし大丈夫だったのですけど、うーーーん、デビッドはあってもよかった。物価が安めなので贅沢をしなければ1日800円ぐらいで生活できました。

 

読んだ本。「エドウィン・マルハウス」「ラピスラズリ」「夜の国のクーパー」「移動祝祭日」「きらきらひかる」「ライ麦畑でつかまえて」 結局持っていった本は全部読んだ。寝付けないような時や移動時間や散歩のお供にとてもよかったのでこの調子でいきたい。「ライ麦畑でつかまえて」は5年ぶりくらいに読んだのだけど、今回はちゃんとすみずみまで理解しながら読んだ。名作と言われていることに納得した、村上春樹版を読んだので旧訳版も読みたい。

 

        帰国したらその足で父と焼き鳥を食べに行って、それから今日までも母と会ったり友人と会ったり  なんというか 近況報告や祝福やなんやらでいつもより場の空気が素直になっていて 生前葬みたいな感じで面白かった。会いたいと思える人がいるのも会いたいと思ってもらえるのも幸せなことです。

 

        この1ヶ月間はわたしにとってめちゃくちゃ大きいものだったけれど、同時に人生のなかでノーカンになる期間のような気もしていて、人生のなかのノーカン期間というのはつまり モラトリアムということなんですけど、うーん、なんというか ちょっと「わたし」から離れていた、根っこのところはもちろん完璧にわたしなんですけど、新しい自分を構築する期間というか、ぽかんとする時間が与えられていた。ほんとうにさまざまを感じて考えたし、すっきりした頭でぼんやりする時間をたくさん持てたのは幸福なことでした。いろいろ書きたいことがある!とりあえずそんな感じです。

23日目〜26日目

  くたくたで今にもまぶたが落ちてしまいそうなので覚え書き。

  23日目

  学校では映画について。日本の大学の講義の中で観たのがシリアスなものばかりだっただけで、ロシアにはコメディ映画がたくさんあるらしい。その中でも一番有名な(らしい)「イワンさん、転職する」という映画を鑑賞した。これはある科学者がタイムマシンを発明して、16世紀のイワン大帝と20世紀のイワン(顔が似ている)が入れ替わったりしてドタバタする というストーリーで、本当にほんとうに面白かった。話の筋がおもしろいとかというよりは、コメディとしてめちゃくちゃ面白かった。YouTubeにあるのでぜひぜひぜひ。字幕が英語のものしかなくて、脳みその変なところを同時に2箇所も使うという体験をしたのもなかなかのものだった。

  放課後は庭園に行った。天気が良くて気持ちがいい。日本の太陽よりも直接的な照らし方をしてくる。サングラスを持ってきたらよかったな。空が折り紙の青なので何もかもの輪郭がはっきりして見える。

  ペリメニを専門店で食べる。温かくて美味しい。店員さんが優しい。テラス席で料理が来るのを待っていたらレジを抜け出してきて「ロシア語上手だね、どこから来たの?どこで勉強してるの?」と聞かれ、「日本から来ました」と答えると「日本大好き!」と言っていくつか日本語のフレーズを披露してくれた。最後に日本語で「召し上がれ」って言ってくれたのがすごく良かった。

  ペリメニの後はダンチェンコ劇場でバレエ・白鳥の湖。ダンンチェンコ劇場はバレエではボリショイ劇場と並んで有名な劇場らしい。チャイコフスキーが生まれた国に来て白鳥の湖を見ないなんて......!という企画だったのだけど、すごく楽しめた。料金は一番安い席で800ルーブル(1600円くらい)とめちゃくちゃ安い。モスクワではオペラもミュージカルもオーケストラもバレエも  毎日どこかの劇場で上演されていて、しかもすごく気軽な値段から楽しめるので決して退屈しない。ただ、ハードルが低い分マナーの水準も低いように感じた。上演が始まってからも平気で話すし写真も撮るしツイッターするし席は移動するし。これが100パーセント悪いことかと言われると難しいところではあると思うのですが、ちょっぴり面食らってしまった。10年くらいバレエをやっていたので話の筋や見どころや音楽などあらかじめわかっていたけれど、全幕で鑑賞するのは初めてだった。次にロシアに来た時は一番いい席でボリショイで見てみたいな。

  

  24日目

  土曜日。朝ごはんを食べてからまた二度寝。夕方頃にスーパに買い物に出る。異国のスーパーはめちゃくちゃ楽しいので必ず行くようにしている。生活と旅のこととも関係するけれど、現地に住んでいる人たちの生活を垣間見ることができるのは素敵なことだと思う。スーパーへの途中にある広場のベンチで読書。1時間半くらいかな。帰ってまた寝ていた。完全に夏休みをやってしまっている。これはこれでいいもんだ。

 

  25日目

  イズマイロフスキー公園へ行って小さいクレムリとウォッカ博物館に行った。小さいクレムリはおもちゃみたいな派手で目がチカチカするタイプの建物で、敷地の中にはたくさんの博物館やカフェやレストランがある。休日の家族連れが遊びにくる感じなのかな。

  帰って寝た後はパッキングに励んだ。帰りのためのパッキングが楽しいだなんて初めて知った。さまざまを振り返りながら、こちらに置いていくものは潔く置いていく。

 

  26日目

  とうとう学校に行くのも2日となってしまった。やっと慣れてきた頃におしまいなんて寂しいな。授業ではロシアの伝統的な結婚と来客について。お世辞を言うのがマナーだとか、手土産は必須だとか、だけど受け取る方は形だけでも一度は断らなければならないとか、けっこう日本的な感覚があって面白かった。

  放課後は世界遺産修道院に行ったけれど絶賛工事中で少し残念だった。教会に入るときには髪の毛を隠すために頭にスカーフを巻かないとダメな決まりになっているんだけれど、スカーフを巻いて静かな教会に入って、装飾やろうそくや、イコンのひとつひとつにキスしてまわる人々を見つめているとなんだかめちゃくちゃ心細くなってしまった。あの感覚はいったいなんだったんだろう。スカーフだけがわたしを守ってくれるような、いや、やっぱりあんまりちゃんと言えないな。眠い。

  ホテルに帰った後は友達の部屋でおしゃべりしながら晩ごはんを食べた。お腹の方面の体調不良者がたくさん出てきていて心配。後期の履修登録を済ませた。帰ってからやることをそろそろ整理してまとめる必要がある。とりあえず会いたい人と会う約束をすでに取り付けられているのでこれはとってもよいことだと思う。

 

 

  多分目が覚めたらきちんと書き直したり付け足したりすることもあると思うのですが、こんな感じです。現在22:35、おやすみなさい。

20日目・21日目・22日目

  20日目

  火曜日。曜日をちゃんと意識しないと今何曜日にいるのかわからなくなる。授業はロシアの庭園の話だった。馬小屋があって召使い用の家があって人工の池があって休憩所があって噴水があって貴族が住む家がある庭園なんて日本にはありません。かろうじて兼六園の話をしたけれど「誰か住んでたの?」と聞かれて撃沈した。国土の広さを考えてほしいものですね。理想の庭園を考えるというやつが楽しかった。お金のことを何も気にしないで好き放題空想するのは何と朗らかで健やかなんでしょう!時々やろうっと。

  モスクワには本当にたくさんの庭園があり、残りの滞在で行きたいところをちゃんと選んで考えないとな〜と思った。あと一週間です。

  授業が終わったあとはエクスクールシアで実際に庭園に行くはずだったけれど先生たちに会議が入ってしまったので延期になった。スーパーマーケットに行って日本へのお土産を買った。クノールのカップ・インスタント・ボルシチ30円を20袋と200グラムもある板チョコ。ロシアはチョコレートがけっこう有名な気がする、あんまり美味しくはないんだけど。

  またしても夜は酒盛り。こちらに来てから週1で酒盛りをしていて量がだんだん増えているのが末恐ろしい。今週は6人で10本空けました。そのあとは男性陣と人狼ゲーム、まあ、なんというか、彼らとの距離が縮まったのは事実で、それはうれしいことだと思う。

 

  21日目

  わたしが滞在しているホテルは朝ごはんのサービスがあるのだけど10時までなので必然的にその時間までには身支度を整えて朝ごはんを食べることになる。当初聞いていた通り 滞在するのが寮で自炊する環境があったら、もっと食費は浮いただろうしカップラーメンを食べたりマクドナルドに行く羽目にはならなかっただろうけど、やっぱり朝ごはんが用意されているのは気が楽だ。1日を始めるのにあんまり気力がいらないのでなんとか起き上がることができる。あと美味しいコーヒー付きなのが最高。

  それで、朝ごはんを食べたあとはもう一度部屋に戻ってまた寝た。忘れていたけれど今は夏休みなのだ。同室の人たちは市場に行っていたみたいだった。

  13時頃にのそのそ起きて、トレチャコフ美術館に向かった。前回行った時は閉館時間で追い出されてしまってミュージアムショップを覗けなかったのだ。わたしが一番気に入った画家はレビタン(И.Левитан)で、ポストカードを探したけどわたしがすきな絵のものは見つけられなかった。何せ収録されている絵の数がめちゃくちゃ多くて陳列も適当なので探すのにも一苦労だった。苦労しながらも気に入りの絵を見つけたりしてそれはそれで楽しかった。結局 いつものごとくアホみたいな量のポストカードと本のしおりとマグネットを買った。ポストカードは日本だと100円から という感じだけどこちらでは30円から売っていて、だから張り切ってしまった。

  美術館の近くには噴水のある公園があり、そこのベンチで1時間くらい本を読んだ。

 

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  そのあとは晩ごはんを適当に済ませて帰宅。ロシアに来て丸一日をひとりで過ごしたのは初めてのことだったけれど、もっと早くにこうすべきだった。頭がすっきりしたし静かで満ち足りた気持ちになった。読んだ本が移動祝祭日というのも良かったのかな。異国での率直で素朴で祝福に溢れた生活のことが書いてあるこの本を持ってきたのは正解だった。

 

  22日目

  学校でロシアの音楽のことについてやった。とはいえあんまり歴史とかはやらなくて、実際に聞いてみましょうという形式だった。3時間目にはわたしたちがグループに分かれてロシア語の歌を披露した。これは2日前に突然告知されたものでめちゃくちゃ大変だった。わたしのグループは「такого как путин」(プーチンのような)という曲を選んで優勝した。プーチンみたいな彼氏が欲しいという歌なんだけれど、完全にネタ曲というやつで、それなのに肝心の男の子が休んでただただわたしともう一人の真面目な女の子が恥じらいながら歌うという地獄のアレになってしまったにもかかわらず、多分「プーチン好きのくせに今日学校を休んだ彼に捧げます」というスピーチが審査員にウケたんだと思う。あー恥ずかしかった!

  授業が終わってからは延期になっていたエクスクールシア。朝は雨が降っていて12℃とかだったのにその頃になると快晴で散歩日和だった。目当ての庭園は謎の理由で閉園になっていたのだけど(爆破予告?)、次に行った庭園も素晴らしかった。アイスクリームを食べて写真を撮って噴水を見て散歩して、橋を渡った。庭園のあちこちに日光浴をするための簡易ベッドが用意されており、羨ましかったし、短い夏を楽しむための努力を愛おしく思った。

 

  さて、ロシアも残り5日とかになってしまいました、早い!「時間があるだろうから書こう」と思っていたことは微塵も書けなかったし、逆に書きたいことだらけになってしまったのだけど、こんな風に軽い文章を高い頻度で書くというのは何らかの訓練になっているのではないかと思う。早くひと段落してしっかりした文章を書きたいな。よし。おやすみなさい。

  

19日目・差別

 

  今日は日中は気温も24℃まで上がって、とってもいい天気だった。朝晩は冷えるにしても昼は綿のカットソー1枚で十分なくらい。(そういえばカットソーの定義ってちゃんと言えなくないですか、あやふやにしたまま大人になってしまった、わたしだけですか、ウワー)  そうかと思えば明日は最高気温が14℃といきなりめちゃくちゃ寒いので気を抜かないようにしたい。日本は28℃とかですか、帰ってから大丈夫かちょっと心配。ひょわ

 

  今日は授業でロシアの祝日のことをやった。新年のお祝いとクリスマスは同時で、だけどまた別のクリスマスもある、とか、シンボルはなんだとか何を食べるのが一般的かとか何をプレゼントする、とか。ロシアには学校の先生のための祝日があり、生徒たちは好きな先生にチョコレートのケーキを贈るのだそうだ。「日本では不公平になるかもしれないから先生は贈り物を断らないといけない」という話をすると心底驚いていた。わたしは感受性が強いというか、共感性羞恥のようなものを発動してしまうので、こういう祝日の話を聞くと あんまり贈り物をもらえなくて寂しい思いをしている先生のことを想像してめちゃくちゃしんどくなってしまう。だから日本にこういう催しがないのはいいことかもしれない。

  例によって日本についてのプレゼンもあり、私は七夕の話をした。七夕の伝説を話すのに苦労した。少し別だけど ロシアは昔モンゴルの支配下にあった みたいな話の時に「日本にはモンゴルはこなかったの?」ということになって、「来たけど台風で上陸できなかった」というと先生がめちゃくちゃ興奮していてかわいらしかった。思わぬところで役に立つ義務教育。

 

  学校が終わった後は Дом книги(本の家)というめちゃくちゃ大きい本屋さんへ行った。日本の「大きい本屋さん」が目じゃないくらい、安い本から高級な本まで、古典から現代まで、ロシアものから翻訳文学まで、児童書から学術書まで揃っていてくらくらしてしまった。3時間弱いたけど全然回りきれなかった。楽しかった!

 

  村上春樹がたくさんいた。安部公房川端康成も人気。吉本ばなな村上龍もいた。読んだことのある村上春樹のロシア語版を一冊買おうと思っていたのだけど、結局読んだことのない「羊をめぐる冒険」と「カンガルー日和」を買った。「カンガルー日和」は短編集なので手をつけやすいかと思ったのと「羊をめぐる冒険」は一番薄かったので。ノルウェイの森がなかったのは衝撃だった。海辺のカフカは翻訳すらされていないらしい(?) 値段は400円いかないくらい、安!

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  装丁が何もかも素敵だった薄くて小さい本のシリーズを買った。なんのシリーズなのかはよくわからないけれど読んでみたいタイトルで飾っても可愛いやつを選んだ。著者の名前からしてロシアの外の作家の短いテキストの翻訳なんだろうなという感じ。

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   クラシック集 マルクスフィッツジェラルドゴーゴリなど

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  キリル文字幾何学的なデザインはめちゃくちゃ似合う。かっこいい。

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  ただでさえ日本からたくさん本を持ってきて、ただでさえ決めきれずにたくさん本を選んだというのに、レジ横に鎮座する星の王子様ロシア語版に陥落してしまった。日本のものより挿絵がたくさんある。哲学的な話とロシア語の語彙は結構あっているように思う。ちゃんと読むぞ〜

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  それで、差別の話。アジア人として生まれて、いつかはちゃんと考えなくてはいけない問題なんだろうなとは思っていたんですけど、とうとう来たか、という感じ。

  通りすがりに「コンニチハ」とか「ニーハオ」とか「アリガト〜」とか、声をかけられる。日本語で話しかけられれば日本語で返すし、中国語や韓国語で話しかけられたら「わたしは日本人です」とロシア語で言う。ほんとうに、ほんとうに深刻に考えたことなんてなかったし、一緒に行っているロシア語専攻の男の子たちの「極東人が来たと思われてるぜ」みたいな自虐を聞くのが嫌いだった。

 

  モスクワはロシアの首都で、疑う余地なく大都市だ。みんな他人にあんまり興味がないし、そもそもアジア人の観光客なんて慣れっこだ。トヴェリは田舎町だ。アジア人が来るのは珍しい。しかもそれが集団で歩いている。仕方のないことかもしれないけれど、信じられないくらいたくさんの人に、信じられないくらい情のない目で、信じられないくらいジロジロ見られる。橋の下を歩いている時には、その橋の上から10代くらいの若者たちにずっと野次を飛ばされていた。その時は「ん??握手したろか?😄」くらいの気持ちでいたんだけど、もしかして、と思った。もしかして、ちゃんと考える時期が来たんじゃないか。

 

  「ロシア 日本人 人種差別」で検索してみる。激しい、という意見も、そんなにない、という意見も見かける。その意見の中に、「道端で声をかけられたりじろじろ見られたり」という記述があって、あれもそうだったのか  と驚いてしまった。泣きそうなくらいアホなことに、わたしは「コンニチハ」の あの人たちを、親切な人だなあと思っていたのだ。甘かった甘かった甘かった。あの人たちはわたしたちのことを、極東から来たちんちくりんたちのことを、馬鹿にしていたのだ。

 

  検索で出てきた意見の中には「中国人じゃなくて日本人だとわかると途端に友好的に接してくれるようになる」というものもあった。それを読んで「日本人でよかった」という気持ちが少しでもわいてしまった自分に困惑した。それってまさに差別なんじゃないのか、自分がよければいいのかよ、だけど中国人のマナーが悪いのは本当で、だけどそれは中国人全部じゃない。自分が差別の目に晒されたのも 自分の中の差別心と向き合ったのも初めてだった。

 

  ちゃんと考える時期が来たと言いつつもあんまり整理できているわけではなくて、ちゃんと考える 以前の、 直視する  という段階なのかもしれない。だけどまあ今のところは、これまで通り 朗らかさで返すしかないのかなあ、なんて思っている。「コンニチハ」と言われたらちゃんと「コンニチハ」って返すし、珍しそうに見つめられたら 姿勢を正して握手したろか??😄の顔をちゃんとする。それがわたしの手の届く過不足ない範囲かもしれない。負けない、とかではなくて、やれることを淡々とする。そういう時に言葉ってやっぱり武器だと思うし、ロシア語だからわからないと思ってるでしょうがちゃんと全部わかってますからね、って胸を張って言えるように(思えるように)なりたい。

 

  んー、まあ今はこんなところでしょうか、あんまり折り合いがついてない部分はありつつも、これからのわたしが自分なりの答えをだんだん見つけていくタイプの問題だとは思うので、もうちょっと気楽になろうかなと思います。よし。優しいロシア人もトヴェリの人ももちろんたくさんたくさんいます。

 

おやすみなさい!