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高校のこと

今週のお題「卒業」

 

おはようございます、窓際です。

高校を卒業してから1年が経とうとしています。ワオワオという感じ。じつはわたしは高校を卒業できるかめちゃくちゃ危うかったのです。それは出席日数が完全に足りなかったからなのですけど、わたしが高校で学んだのは 大人のひとにマジの感謝をすることと、しんどい時にはしんどい顔をしてしんどいって言っていい  ということでした。その話をします。今週のお題的に間に合っていない気もする。でもその話をします。

 

高校2年生のときに、両親が離婚しました。離婚が成立したのはそのときだったけど、彼らがいがみあい始めてからは7年 別居しだしてからは3年が経っていました。離婚は いわゆる泥沼で わたしが高校1年生のときからずっと裁判と調停を繰り返していました。 まあ ありきたりな話だとも思うし、家の荒れ具合でいうと 裁判や調停が始まる前 つまり中学生の頃がいちばん荒れていたので なんであのタイミングだったんだろう  という感じもするのですが、高校2年の途中から あんまり学校に行けなくなってしまいました。最初にガタガタッと崩れたのはたぶん夏休みが明けたぐらいで  そこからは1週間ちゃんとフルで学校に行ったことってあんまりない気がします。あんまりおぼえてないけど、そのころってたぶん  離婚が成立するかしないかぐらいで  父親には彼女ができて家に帰ってこなくなって  それを知った母親から「新しいお母さんとお幸せにね、もうわたしの家庭に関わらないでください」みたいなLINEが届いて  みたいなタイミングだった記憶がある。そのあとはいろいろなタイミングで体調を崩していた。いまでもなんであんなに学校に行けてなかったんだろう というのはよくわかってないんですけど、とにかく「学校に行ってる場合じゃない」っておもっていたのはおぼえています。世界中の誰もこっちを向いてくれてないと思っていた。家にいてもずーっと情緒不安定で  よくわからない泣き方や思いつめ方をしていた。しまいには耳鳴りがとまらなくなって眠れなくなって 生活リズムがはちゃめちゃになったりしていました。

 

それで  何がいちばんしんどかったって、自分がサボっているだけなんじゃないかって思ってしまうことで、学校に行ったら行ったでそこそこ元気なので  新しくクラスメイトになった男の子に 学校に行ってないことをアウトロー芸人としてからかわれたり、やっとの思いで教室に入ったら わたしの机の上に 違う子の教科書が山積みだったり   親の離婚や家庭の不和みたいなありきたりな理由で  もっとつらい人や頑張ってる人もたくさんいるのに 自分だけが被害者みたいな顔して学校に行かなくなったりしてるの めちゃくちゃアホでは? と思ってしまったり  まあつまり 自ら深みにはまっていっていました。 担任の女の先生が 「お母さんのいない子」として 必要以上に食事や家事のことを気にしてくれるのもいやだった。

 

 

それで  高校2年生は前半ちゃんと学校に行っていたので進級できたのですが、高校3年生は序盤からめげていたので 常に出席が危なくて  しかも進学校だったので進路も決めないとだめで  というか周りのみんなはもう目標を決めてとっくの昔に勉強を始めていて  それなのにわたしは  大学行かないとだめなんですか?こんなにしんどいのに?みたいな感じで うだうだぐずぐずしていました。

 

それでも ある女の子に誘ってもらって  カウンセリングに通いだして  部活にもちょっとしばらく休みますということを言って  興味のある職業の専門学校をぼんやり調べてたら 「アーでも これは大学に行っといたほうがいいやつだな」と思って  勉強をはじめて  ちょっと気持ち的には落ち着いて  まあそれでも体調の波には抗えずにぽつぽつ学校を休んでいたら ついにあと1回この授業を休んだら卒業できませんというところまでいってしまいました。 そもそもわたしのいる県の公立高校では ひとつでも単位を落としたら会議にかけられて  事情が認められなかったり 成績が悪いとその時点で留年になったりもするという感じで 、 幸いわたしは成績はパスしていたし事情も認めてもらえていたのですが、  それでもその落とした単位の合計が13になると どこの誰がどうがんばっても卒業できなくて それを12まで落としていたということなんですけど  まあ結果的には  ちゃんと卒業できたんですよね。

 

先生たちはみんなお金をもらっているから、仕事だからしかたなくわたしに優しくしてくれているだけで  父親も母親もわたしより大事なひとがいるんでしょ、それでもあなたたちにはわたしに対する扶養義務があるんだからよろしくお願いしますね  という感じでやってきて、だからそれまで大人のひとにマジの感謝をしたことがなかったんですけど、高2高3と 2年間担任をしてくれた先生に  うまれてはじめて マジの感謝をしました。わたしの知らないところで、わたしが卒業するために、それはもちろん仕事だからなのですけど、いろいろ動いてくれていたんだろうなあ、休みが続くと頻繁に電話をかけてきてくれて、叱られたし励まされたし  やけになって「破滅したい」としか言わなくなったわたしの背中を 辛抱強くおしつづけてくれたし  進路のシビアな話をしてくれて(今のあなたの実力ならこの大学はもう無理、ここなら手が届く、ここは大丈夫  みたいなやつ)  年賀状には「あなたの人生の本番はここからです」と書いてくれて、本当に救われました。

 

そう考えると、学校に行ったらちゃんと友達がいて 授業のノートを見せてくれたり 行事の班分けの仲間にそっと入れてくれていたり  保健室のカウンセリングに申し込んだらどうかと誘ってくれたり、とことん話を聞いてくれたり  その逆に 何にも聞かないでいつも通り遊んでくれたり  いろんなやりかたでたくさんの人に助けてもらっていたなあと思います。電車で過呼吸になって ホームで休んでいたわたしに 同じ電車に乗っていたサラリーマンのひとがわざわざペットボトルのお茶を買って戻ってきてくれたこともずっと覚えています。いまこの瞬間は世界に大事にされてると思いました。自己肯定感というか。

 

なんでみんなわたしにこんなによくしてくれるのかな、優しくされていいのかな、気持ち悪くないのかな、こんなものを受け取っていいのかな  という戸惑いはすごく大きかったけれど、それ以上にほんとうに嬉しくて、ああ、これが感謝ってやつなのか  自分のなかから自然とわきあがってくる感情が人に向かうのってすごいな  と思いました。

 

そういう意味では、現役で第一志望の大学に入ることができて  そして大学ではちゃんとフルで単位を取っているので 少しは恩返しできたのかなあと思う。えらい!

 

あとは  カウンセリングに行ってみて 、しんどい時はしんどい顔でしんどいって言っていいんだ、むしろどちらかというとそのほうが良いんだ ということを学びました。わたしが周りの人から勝手にサボってる認定 されたり、自分のことをそう思っていたのは、へらへらしていたからなんだな〜〜ということなんですけど、なんというか、扱われたいようにふるまわないと へらへらしているだけではただの自虐・自嘲になってしまうし、それはちゃんと話を聞いてくれようとするひとに失礼で  しかもわたしも大きなチャンスを逃すんだな  ということに気づいたのでした。扱われたいようにふるまう  というのは たとえば気遣われたいなら気遣ってほしいと表明する  ということで  わりと諸刃の剣なんですけど、すくなくともあの環境、あのしんどさのなかでは必要なことでした。

 

カウンセリングや保健室の先生と話すなかで  「わたしはわたし個人のしんどさを持っていていいんだ」  と思ったし、頭の固い女子高生を  とにかく全肯定してそのフェーズまで辛抱強くもっていってくれた先生たちのことを、たぶんずっと忘れないと思います。いま思うと、この経験のおかげで ほかの人の話の聞き方がずいぶんかわったなとおもいます。その人の話としてちゃんと受け取れるようになったというか、自他の区別がついたんですね。

 

 

「仕事だからこれだけやってもらってあたりまえ」とか、「仕事なのにこれだけやってくれてすごい」とか  そういう話ではなくて、大人たちが仕事という枠の中で  せいいっぱいわたしのためにできることをどうにかこうにかやってくれた んだ ということに気づいて、道徳の授業じゃないところで  自分のなかから 感謝のきもちが湧いてくるのを経験できたのは めちゃくちゃ大きいことだったと思います。 いい高校だったなあ

 

とはいえ、なんだかんだタイミングを逃してしまって 1年間1回も先生たちに会いに行けていないので 2017年にやりたいこととして ことしは 高校の先生に会いに行きたいと思います。

 

 

 

おわり!

 

優等生は身を滅ぼす

 

        「優等生は身を滅ぼす」というのは わたしの大学の日本語の教授が常々生徒に対して言っていることなのですが  マア  わたしの大学には幼い頃から勉強ばっかりやってきて、ずーっと優等生で、そのマインドを大学生になっても引きずっている学生が多いというアレらしい。

 

        1年生の前期にその先生の日本語の一般教養の授業を受けていたのですが、先生が毎回40分遅れてきて残りの50分はずっと誰かにぶちぎれている という授業で、だから日本語の勉強はぜんぜんしていなかったんですけど、それなのに試験は本当に難しくて(「部屋に花を飾る」と「部屋を花で飾る」は  助詞がぜんぜん違うのに意味するところは同じですよね、じゃあ例をあと3つ挙げて、どうして同じ意味になるのか説明せよ、みたいな感じの問題でした。実例 激ムズじゃないですか? 「絵に色を塗る」「絵を色で塗る」みたいなことを苦し紛れに書いた気がする) 試験が難しいのに答えが間違っていてもきちんと考察していれば成績評価はめちゃくちゃいい点をくれて…という本当に変な先生で、日本語専攻の中でもその先生のことを毛嫌いするひとも多いのですが、わたしはどうしてもその先生のことを  ただの変なオッサン  とは思えない、それは50分はずっと誰かにぶちぎれている、そのブチギレがはちゃめちゃな割にけっこう筋が通っていて、そしていい歳をした大学の教授がほんとうに心の底から激怒しているのが面白いということなのですが、 まあそんなこんなで  この春  彼が主催する研修ツアーに参加することになり、口を酸っぱくして言われているのが 「優等生は身を滅ぼす」ということです。

 

        彼が言うところの優等生というのは、情報が揃っていればそれを処理する力はあるが  なにも情報がない時にどう動いていいかがわからない・「正解」を求めている(何に対しての?)・架空の 先生的な人物に怯えている(一体それはだれなんだ?) みたいなことで、曰く「18歳だって死ぬ可能性はあるんですよ。優等生気質をこじらせると死に至ります。僕はあなたたちを修学旅行に連れて行くんではありません。このツアーでは自分の身は自分で守ってください。自分の身を自分で守るとはどういうことがわかりますか。人に迷惑をかけるということですよ。人に迷惑をかけることを恐れてはいけません。わからないことがあったらどうしますか。道に迷ったらどうしますか。何も情報がないときに、看板の文字が何も読めないときにどうしたらいいと思いますか。人に聞くんですよ。なんでも尋ねなさい。そして自分の頭で考えなさい。それができるひとがほんとうに賢い人ですよ。自分が自分に課しているそのプライドがいかにくだらないかわかるでしょう」ということだそうです。

 

        あともうひとつ先生が言っていて印象に残ったのは「日本語の劣化と日本語の変化の違いがわかりますか。言語とは日々形を変えるものです。誤用だった用法がちょっと経てば市民権を得るなんてことはざらにある話ですよ。それは変化なんです。絶対に正しい形なんてないんです。だけど日本語は確かに劣化している。ちがいがわかりますか。たとえば「おつかれさまです」と言いますよね。意味がわかっていますか。ほんとうにおつかれさまです と思って言っていますか。みんな言っているからなんとなく言っているのではないですか。自分の頭で考えずにスタンプの日本語を安直に使うのはばかものですよ、それが日本語の劣化です。その語の意味もよくわからない、頭も心も使わない言語運用なんて最悪です。愚の骨頂ですよ」みたいなことで、まあふだんから語弊しかない先生なのですべてに賛同しているわけではないし、けっこう乱暴だなあとも思うのですが、こういうことをわざわざ言葉を尽くして突きつけてくれる人ってありがたいなあ と思います。 たぶん今よく聞く「エモい」や「コスパがいい」とかもそういうスタンプ的日本語なんでしょうね。わたしは短歌が大好きで、短歌や詩や俳句や  もちろん散文もそうなんですけど 文芸ってそういう スタンプ的日本語でしかカバーできない大きさの感覚・あやふやな輪郭の感覚を すこしずつ丁寧にほどいて言語化する作業のように感じているので、けっこうこの話は面白かったです。

 

 

        さて、その海外研修では  タイとミャンマーベトナムの高校や大学を訪問して、そこで日本語を学んでいる人たちと交流します。ということは、わたしたちは 彼らからすると母語話者の先生なわけです。いつも外国語を学んで、その母語話者たちと交流をしてきたわたしたちが、自分の母語を学んでいる人たちと交流するというのは、つまり消費する側から供給する側にまわったということで、いまタイの高校生と日本語でメッセージのやり取りをしているのですが、漢字をなるべく使わない・複雑な構造の文章はつかわない  など、けっこう気を使うことが多く、わたしもいつもそういう風に助けられていたんだなあ ということを実感しています。たとえば私が普段受けている全編ロシア語の授業はただロシア語で開講されているだけではなくて、初級学習者にどうすれば伝わるかということがすごくよく考えられているんだなあ、など。

        とはいえ 荷物を入れるバックパックをきのうアマゾンで注文したぐらい  まったく用意が進んでいないのですが、優等生マインド撲滅しつつ 楽しんできたいと思います。ヒューヒュー!

 

 

『たかが世界の終わり』

 

グザヴィエ・ドラン 監督最新作の『たかが世界の終わり』を観ました。

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 あらすじを引用します。

「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷するルイ(ギャスパー・ウリエル)。母のマルティーヌ(ナタリー・パイ)は息子の好きな料理を用意し、幼い頃に別れた兄を覚えていない妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)は慣れないオシャレをして待っていた。浮き足立つ2人と違ってそっけなく迎える兄のアントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)、彼の妻のカトリーヌ(マリオン・コティヤール)はルイとは初対面だ。オードブルにメインとぎこちない会話が続き、デザートには打ち明けようと決意するルイ。だか、兄の激しい言葉を合図に、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる。

 

ここからは感想というか、だらだらいろいろ考えたことを書いてみようというアレなのですが、ネタバレもネタバレじゃないところもぐちゃぐちゃで、まあこの映画はネタバレもくそもないタイプのやつなのですが、アッムリ!!!と思ったら、あの、すみませんが  よろしくお願いします。

 

ドランの映画  いいに決まっているのでわざわざ褒めるのめちゃくちゃアホっぽいんですけど、すごい映画でした。

 

ひとことで言うと、わたしのための映画でした。息をする暇がなかった。 舞台が用意されているだけで説明が本当に一切ないんですけど、でも  痛いぐらい、痛いのに笑ってしまうぐらい わかってしまう、受けとってしまう  というかんじでした。それは わたしが母親と3年ぐらい会えていなくて、会わなくなる前から長いこと仲も悪くて、望んで別れたわけではないけど  時間が経ってもどうしても会えなくて、それでもどうにか今年 再会して 母と娘をやり直しはじめた、少なくともわたしはやり直し始めることができたと思っている  というところにいるというのが大きいと思うのですけど、たとえば、久しぶりの再会における固有名詞の共有できなさだったり、黙っていることも自然に話すこともできなくて 嘘っぽい会話をにこにこかさねるしかない、ということや、再会を待ち受けている側が自分の好物をこしらえて待っていてくれる面映さも、わたしはよく知っていました。前半は、そういうものの追体験のようでとても息苦しくなったりもした。 お母さんに再会するまでのわたしが観ていたら どんな風に感じたんだろう、とも思います。

 

 

母親からルイへの台詞で「あなたのことは理解できない。だけど愛してるわ。」というものがあるんですけど、ああ、つまりそういうことだ、そういうことなんだ、と思いました。これはレトリックとしての二項対立や まして 二物衝突でもなんでもなくて、事実なんだということが、実感としてすとんと腑に落ちたとき、心底震えてしまった。

 

つまりどういうことかというと、うーん

 

ひとは基本的に  他者から愛されたがりますけど   では自分が愛されてるということを正気で受け止めるだけのアレがあるかないか  というのはけっこう別の話というか   見落としがちなところで 、

家族であっても他人は他人だと認めること、あなたはわたしではないし  わたしはあなたではないと認めること、わたしは誰の思い通りにもならないし、あなただってわたしの思い通りになんかならない、理屈でうまく折り合いがつくことばかりではないし  だからって想いが伝わるとも限らない  と認めること、そのうえで、わたしはあなたを愛しているし、あなたはわたしを愛していると 理解し、受け容れること、そして、それを受け容れた自分ごと抱きしめてあげることがどれだけ大変か という映画だったのかな、という感じです。

 

そういう類の受け容れというのは ある種の諦めなのでしょうけど、でも諦めでしか救われないものや、諦めてからしか動けない場合って確かにあるでしょうという

 

たとえば、ルイの言葉やルイと家族の会話を、表層的で最悪だ、わけがわからない なんの意味があるんだ って兄は言ってたけど、 記号が人を救うことだってある。ここでの記号っていうのは  「アホのふりをする」ということなのですけど、アホのふりをするのってすごく難しくて、なぜかというと アホのふりができるのは賢い人だけ というか ある程度の覚悟を決めた人だけだからなんですよね。 もういちど「家族」に戻るためには、時間を巻き戻すためには、辛抱強く 手順を踏まないといけない、いくらもどかしくても、噓っぽくとも、みんなで協力して  ぎこちない  気恥ずかしい時間を乗り越えなければならない。それは、たとえ嘘でも年の離れた妹に「いつでも遊びにおいで」と言うことだったり、長兄に「もっと自由にやっていいんだ、いままでありがとう」と言うことだったり、会ったことのない子供の名前の由来の話を気持ちよく聞くことだったりすると思うのですが、言い換えれば 思いやりの儀式というか まあ一応の好意の表明 ということで、それができていた、やろうとしていたのはルイと母親と兄の妻で、それをどうしても耐えがたく思ってしまうのが兄だったのだなあ、と思う。すごく正直で不器用な人で、いちばん生々しく人間的な人でした。

 

 

理解されないのはつらい。ルイはちょっと違う世界の人で、心からの言葉を「お前が何を言ってるのかわからない」と言われてしまう(これはめちゃくちゃ身に覚えがあってつらかった) 。 そして、理解しがたいものを理解するのもつらい。でも愛していること、愛されていること だけはわかる。だからお母さんは「次はきっと大丈夫だから」と言って自分からルイに背を向けるのでしょう。 次なんてないんです。ルイはもう死んでしまうから。でもこの一言でみんなが救われた。愛が届いた。すごい台詞です。

 

これを里帰りの話だと捉えると、才能があって家族を置いて出て行って  やっとその不在に慣れたところに 勝手に帰ってきて辛そうな顔をするルイのことをめちゃくちゃ嫌いになると思うのですが(そしてドランはわざとそういう舞台を用意したんだと思う) わたしは  事実として  どうしてもルイ側の人間で  ただの里帰りの話とは思えませんでした。確執もあっただろうし(そのヒントはけっこうちりばめられている)  それで家を出て、それでも毎年お誕生日カードを家族全員に贈って(それは家族の誰よりもルイの慰めになっていただろうな、儀式として)、それで もうすぐ死んでしまうという段になって  やっと帰って来た。もうすぐ死ぬというのが、病気で死んでしまうのか、もうすぐ死ぬことにルイが決めたのか、そういう説明は全然ないんですけど、結局どっちにしても 登場する5人の考えてることや気持ちをしっかりまるっと 伏線回収するように理解することはできない  なぜなら  観ているわたしと彼らもまた他人だからです。ああ、めちゃくちゃひとりなんだな  でもそれってものすごい救いでもあるな  と思いました。

 

 

共感する、とか 泣ける、とか おもしろい、とか  ラストが云々、とか  そういう映画ではありません。受けとれる人間が受けとって、ずっと大切にしていく類のものだと思います。それをもしかしたら芸術と呼ぶのかもしれないんですけど  そういうものに その気があればいくらでもアクセスできる時代 もっと言えば ドランが生きている時代に生まれてこれて本当によかったな〜と思います。

 

ひとりで観るのがいいとおもいます。

 

 

 

 

父親のこと

 

わたしは父親がだいすきです。彼の考えは筋が一本通っていて納得しやすいし、ユーモアのセンスがあり、よく働き、よくお酒を飲み、ときどきお茶目で、なによりわたしのことをめちゃくちゃだいすきだからです。

ということで ちょっと父親についてのアレコレをまとめて置いておきたいと思います。わたしのおとうさんは最高

 

 

54歳2人とパリピの定義について語り合った結果彼らは刹那主義なんだなあという結論になって、父が じゃあ俺は広義のパリピだな と言ったのやばかった 父親がパリピ

 

交通事故のニュース見て「あと1秒でも家出るの遅かったらこんなことにならんかったのにね」と言うと 「死ぬ人は死ぬ、行きに死ななくても帰りに死ぬ、その日に死ななくても近いうちに死ぬ、そういう風にできてる」と返してくるような父のそういうとこばっかり受け継いでるようでウワーー

 

家庭環境が家庭環境だったので、わたしがグレて不良にならなかったのは完全にたまたまやぞ、と日々すごんでいるのですが、父は連絡さえすれば門限もないし多少無茶な遊びでも相談すれば応援してくれ、それは自分の遺伝子を信用してるから 私が父の遺伝子を持っている限り極悪非道な笑えない無茶はできないはずだということらしく、信用であり呪いであり愛であり、そういうのを裏切れないなあと思ってまた不良から遠のいていく 父は はちゃめちゃだけど筋が通っているのでとても好き

 

ちゃんとありがとうとか言わないとあかんな〜と思ってたまに突然お父さんにありがとうございますとだけLINEするんですけどどうやら怯えさせてしまっていたみたいで反省

 

 

とはいえ定期的に父がくそったれになる日があって  理不尽で声のでかい話の通じないくそじじいに変貌を遂げるのですが  そういうときはほったらかしておくしかないようですね

 

家が揉めて 高校に行くのがしんどくなって  そんなときにできるかぎりわたしを連れ出してくれたのは父だし  のびのび勉強して やりたいことを見つけて それができる大学に入れたのも父のおかげです。  夜中に わざわざお鍋であっためたカフェオレを差し入れてくれるのは全然当たり前じゃないんだぞ ということを心に刻みなおす日々です。

 

2017年にやりたいこと  というエントリにも書いたのですが、今年はいっぱい親孝行をするぞ!というきもちです。もちろんおかあさんにもね。

 

 

 

自己紹介など

 

完全に今更なのですが  あんまりプロフィールのいじり方がわからないのもあって  自己紹介などをします  わはは

 

大学でロシア語をやっていて、のちのちは日本語を専門にやる予定です  進級できていればこの春から2回生です  19歳です

大学のこと

 

短歌と映画と読書と展示がすきです  

大学の短歌会に入っていますがあんまり創作はしていません  映画は洋画ばっかりで邦画はあんまり観ないのですが、気軽にいろいろ観ようと思っています。本も然り! でたらめな読書をするぞ! 観たり聴いたりしたものについて また感想などいろいろまとめていきたいです 

 

父と2人暮しです  そろそろひとりぐらしをはじめるかもしれない  家族とはけっこう確執があり さまざまをとりもどしている最中です  高校2年生から3年生にかけて不登校気味になったりしていました  こういうのをどこまで書いていいものなのかはアレなんですけど  残しておきたいな とも思うので書くと思います  はい

 

 

自分で自分のことをご機嫌にしたい!いろいろ考えることをちゃんと言葉にしたい!あと自分の文章をひとに読んでもらいたいな!というブログです  いろいろ書きます   

 

 

よろしくおねがいもうしあげます!

 

 

たられば

 

今週のお題「私のタラレバ」

 

わたしは常々、人生が4つほしい  4つやりたい  と思っていて、それは小学3年生のときに いつか自分は死ぬ ということを明確に理解してしまったからなんですけど、

 

 

まあそんな感じで、世界がどうなっていくのかをずっと眺めていたい。ずっとじゃなくても、せめてセーブポイントでむっくり起き上がって更新していきたい、知らないことがあるまま死ぬのが怖い。死ぬのが怖い、死ぬのが怖い、でも同時に、いつか心臓が止まって脳が死んで焼かれて、そしたら髪の毛から順番に燃えていく ということをすごく明確に理解している。

 

これは前述の通りわたしの原風景というか、人生の根本にあることで、すごく大切なことなので あんまり言葉にして人に話したり、それで  「こいつキモチワルイ」と思われたり、わかった顔で諭されたりされるのがめちゃくちゃ怖いしで内に秘めていたんですけど、ふとしたきっかけと深夜の勢いでツイッターにつぶやいてしまって、 そしたら思いの外うまいこと言葉にできて、そろそろちゃんと考えてみようかな、ということです。

そんな重いアレではなくて、4つの人生について。

 

1つ目は クラシックバレエをずっと続けていたら、というものなんですけど

バレエの話はなんというか今でもトラウマで、けっこう動揺してしまうのですが、やっぱり避けては通れないなという感じ。

わたしは3歳から10年間ぐらいクラシックバレエをやっていて、なんというか我ながら上手だったんですよね、プロの男の人とパドドゥを踊ったり、4回転のピルエットをトゥシューズでできるような小学生でした。バレエを好きだったし、好きだから上手くなるし、上手くなるから好きだし、という感じで週に8〜9コマお稽古に出ていました。大人に混じって怒鳴られながら踊ったり、ちいちゃい子のクラスのお手伝いをしたりしていたり、わたしの根がスパルタなのは絶対このときの経験があるからだと思います。ふふふ。

でも、バレエ団付属の大きなお教室から引き抜かれるタイミングでやめてしまいました。これからコンクールにもどんどん出場して、名前を売って、海外にどんどん出ていく、あなたにはそれができる、おれがあなたをそこまで育てる、と言ってもらったのにやめてしまった。なんというか、その時期のことをあんまり覚えていないんですけど、明確にバレエをやめると決めたわけでも、バレエを続けると決めたわけでもなかったんですよね。でもわたしが迫られていたのは、これからの人生でバレエを続けていくか、もうやめてしまうかという決断だったのですよね。踊るのが楽しくて楽しくて楽しかったそれだけなのに、いつのまにかそういう段階にいました。そしてそこで覚悟を決められないのに続けていけるような甘い世界では当然なかった。お教室の同い年の女の子にはやきもちをやかれて携帯電話を折られたり、そういうこともあったし、家も揉めはじめていたし、そもそも プロの男の人とのレッスン1回1万5千円みたいなのをスッと支払えるような家ではなくて、さまざまがピリピリしていたし、なんとなく、行きたくないなあ、今日は休もう、明日も行きたくない、としているうちに完全に縁がなくなってしまった。

まあつまり  完全に物心を失っていたわけなのですけど、あそこでバレエを続けていたらなあ  せめて正気で「辞める」ということをちゃんと決めていたらなあ、ということは本当にことあるごとに考えます。

ある分野を極めずに なあなあのままにやめてしまったというのは一種の挫折で、わたしにとってはすごく大きい話だけれども、バレエの世界ではごくごくありふれた話で、そのありふれた側になってしまったというのがトラウマなんですよね、 戦う前に負けてしまった。ハイ

 

2つ目はめちゃくちゃ勉強をがんばっていたら、というやつです。

自分で言うのはけっこうアレな話なのですけど、わたしはすくなくとも勉強の面ではけっこう賢くて、それでいて勉強が好きだった結果、読み書きの習得も早かったし小学校のときも中学校のときもなにもしなくても学校で1番をとっていたような子どもで、そして最終的にいわゆる「高学歴」みたいなところにいるのですが、父も母も「勉強はしたかったらしたらいいよ、高校には行ってほしいけど、自分で決めなさい、やりたいことをやりなさい、あなたが決めたことは私たちのすべてで応援するけど その責任は自分でとりなさい」 という方針で、つまり放任主義だったんですけど、だから 私立中学の受験も自分で決めたし、当時買い与えられたばかりの携帯電話で自分で資料請求をしてオープンキャンパスの日程も全部調べて、保護者としてわたしについてきてくださいというプレゼンテーションをしたし、その授業料は勉強で3年間全額免除にしてもらったし、その後のさまざまの受験校も全部自分で決めたし、という感じでした。

その過程で、国公立の大学を受験するのが当たり前、私立は落ちこぼれ、中途半端な私立に行くぐらいなら一浪する、みたいなけっこう学歴至上主義の環境に身を置くことになって(わたしと同じ高校にいた人がどう感じていたかはわからないけれど一部の人がそういう選民意識を ちょっとの時期でももっていたのは確かだと思うし、わたしにはそれがけっこうカルチャーショックだった) 幼いころから親が主導で勉強してきて、受験に際して折り合いがつかないだとか、自分の選民意識に自分で苦しんでいるような人をたくさん見てきて、もしわたしがその立場だったら、幼いころからめちゃくちゃ勉強をちゃんとがんばっていたら、もしもう少しうるさい親だったら、なにか結果が違うのかなあ  というのを、単なる好奇心からけっこう興味があります。英才教育をされていたらもっと賢くなってたのかな、とか。

 

そもそも学歴ってめちゃくちゃむずかしくないですか、やらないとだめとされてる時にやらないとだめとされてることをできるかという指標なのかなあ、というのがわたしの今の認識なのですけど、「ほんとうにやらないとだめな時なの?」「ほんとうにやらないとだめなことなの?」という疑問はたしかにあるし、(そういう考えなくていいことを考えない という能力を測られているのかもしれない  /  わたしは勉強はやっておいたほうがいいことだとは思う) 趣味で勉強した結果いい学校に入れたらそれを褒められるけどそれは社会の都合で、趣味としてゲームより勉強のほうが偉いという設定になっているというだけで、とか、わたしはいい学校に入ろうと思って勉強していたわけではないけれど  結果的にやりたいことができる世間的に「いい」学校に入って、やっぱり父親も母親もとっても喜んでいたし誇らしげだったし、父母のまわりの反応もアレだったし、まあ親孝行できたという点ではいいのかもしれないけれど、そんなもんかあという気持ちもあって、やっぱりめちゃくちゃ難しいですよね。 いい学校って言ってるけど 悪い学校があるわけじゃないし。言葉選びがあんまり良くないな、すみません。

 

話を戻すと、英才教育を受けていたらなぁ とは思うけど、もちろん両親の放任さに何度も救われたし、いまでもわたしに対する方針として  両親のやりかたが正しいしありがたかったと思っているし、だからこそよそのおうちのことをどうこう思っているわけでもありません。もしかしたら英才教育を受けることでのちのちはちゃめちゃにグレていたかもしれない。わはは。

 

3つ目は 16歳でできちゃった結婚していたらというやつです。

ほんとうに語弊しかないんですけど、べつに16歳でできちゃった結婚することがいいとか悪いとかそういう話ではなくて、こう、幸せになり方ってたくさんあるわけじゃないですか。わたしにはいま「小中高大就職」みたいなお堅いコースがうっすら見えてきていて、もともとは選択肢を広げるために勉強していい学校にはいったのに 逆に選択肢がせまくなっているのでは……みたいなのをけっこう感じていて、たとえばだいぶ前に 「京都大学を出て専業主婦をやっています」みたいな趣旨のブログがなんかちょっと炎上していたり (死ぬほど京大に入りたかった人もいるのに社会に貢献せずに家に入るなんてわがまま!みたいな意見を読んでくらくらした記憶がある。社会に貢献するために大学に行くわけじゃない人がいていいと思うし、死ぬほど京大に入りたかったならそれこそ死ぬほどやって京大に入ればよかったんじゃないですか?という意地悪な気持ちと、そもそも死ぬほどやりきった人ってそういうこと言わない気がする、あなたは誰に頼まれてどの界隈を代表してるんですか?それぞれの暮らしを誰がどんな権利で裁けるというの……という気持ち)   まあわたしが勝手に感じているだけなんですけど、16歳でできちゃった結婚してみたかったなあ と思うんですよね。人生の選択肢として。

 

4つ目は、いまの人生。

けっこうだいぶかなり大変な感じなんですけど、なんだかんだいまこの生活に満足しているし、この人生の分岐として最良のところにいるのではないかな と思うし、なにをやっても表目に出る結果オーライの申し子として、この人生をしっかりやりきりたいなと思います  ヒューヒュー!

 

 

というわけで、わたしのたらればでした。かなり脱線してしまった。ぜんぶの選択肢をくまなく検討したいというのはわたしの癖というか性格で、よくばりかつ臆病ということなんですけど 、19年、短いと思ってたけどけっこう盛りだくさんだし、まあ死生観もどんどんかわっていくのでしょう!明日死んじゃうかもしれないしね。  面白いお題を出してくれるのでブログはいいですね。ありがとうございました

 

 

 

 

 

ロシア語と試験のこと

 

ロシア語の期末試験が終わりました。会話と読解と作文とリスニングと文法。4時間もかかった。解放感でいっぱいです。ヒューヒュー!

 

進級したい!たのむ!

 

 

試験に際して悪あがきとは知りながらも当日になって8000円の辞書を買いました。課金やんけ。 アー写を撮ったのでみてください。

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帯の右上の「!」の角度がすきです  心意気を感じる  いかめしさがロシア語っぽい

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手のひらいっぱいのぶあつさ  

 

とはいえクラスの子たちはとっくにこの辞書を持っているんですよね、  わたしは厳密にはロシア語専攻ではないので、他の子とちがって2年間しかロシア語をやらないし、その1年目もいままさに終わろうとしているしで、高額な辞書を買うのを躊躇っていたのですが、25言語を学べるわたしの学部のなかでもいちばんきついと名高いロシア語が、来年度からさらにどぎつくなるということで試験前の勢いにまかせて買いました。結局辞書をひくような時間はなかったけど。

 

今回の試験はロシアから試験監督を呼んできて ロシア政府が定める 外国人のロシア語運用能力検定試験  みたいなやつだったんですけど、

試験監督の女の人の肌がまっっしろで、髪も色素が薄くて めちゃくちゃ見とれてしまいました。もう1人はおかずクラブのゆいPさんに似ていて、豪傑でやさしくて笑顔がほんとうの笑顔で素敵だった。ふたりとも意味のわからない蛍光色のパーカーを着ていました。

 

思い返すとわたしが試験監督に好ましい印象を持ったときの試験はけっこううまくいっているな   高校入試のときはアフロのおばちゃん先生のスーツがステッチのふちどり入りでとってもかわいかった。プリントを数えるときに親指をひと舐めてしていて、  入学してからわかったけれどそれは彼女の癖だった。  大学のときはベリーショートのしわまで素敵なざっくばらんに喋る女の人と  上品な喋り方で顔に大きなほくろがあってそれがとっても似合っている女の人だった。 入学してからベリーショートの先生が今年で退官なことを知って、その人の授業を受けたかったけど後期開講ですっかりわすれていた。気づいたときには時すでに遅かった。ウワーン

 

 

試験監督がロシア人なので試験に関しての指示も全部ロシア語で、それはまあ普段から全編ロシア語の授業も受けているのでわりと大丈夫だったんですけど、たまに難しい単語があったりわけがわからなかったりして  それをわたしたちのロシア人の先生がぱっと平易な表現に言い換えてくれて、ロシア語でロシア語を通訳する  みたいな状況が面白かったし、言語教育むずかしいよなぁ と思いました。あとは会話試験で試験監督がわたしの名前を誉めてくれてうれしかった。

 

厳密にロシア語専攻ではないというのは、実はわたしは日本語を専攻しているということなのですけど、母国語を外国語として学ぶために 違う言語を2年間みっちりやってこい!ということで、 とはいえ  どの専攻語も語学をみっちりやるのは1.2回次だけで、3回生からは専門のゼミにわかれるので 結局わたしもロシア語を全編やるのですが、(英語を中高6年間で勉強したみたいに2年間で文法を一通り終えて、会話もリスニングも作文も留学できるレベルにする というスパルタシステム) 1.2回次には別々の言語をやっていた人たちが3回生になって日本語に帰ってきて、わたしの言語はこうだったけど日本語はこう、だの  おれの言語と日本語はここが似てる、だのをなんやかんややるというかんじです。だからまだ日本語の勉強を全くやっていない。

 

日本語以外の専攻語は 出願のときに第1から第24まで希望を書いて提出して あとはセンターの成績できまるので わたしの専攻語がロシア語になったのは完全にたまたまなのですが、がんばっているからには留学もしたいし、でも日本語専攻がロシアに行ってどうするんだとか、どうせ留学するなら英語圏かなあとか、文学部開講の司書や学芸員の資格をとりたいとか 、日本語専攻には日本語教師志望が多いけど日本語教師には全く興味がないとか  そのくせ日本語教師育成プログラムを開講しているヒューマンアカデミーはいけすかないとか  いろいろ考えるところはあるのですが  まあ とりあえずそういうことを考える時間がようやくできたということで、とりあえずはとてもほっとしています。

 

まだ春休みではないのですがね。英語のレポート……戦々が恐々……

 

さいごにロシア語のめちゃくちゃださい教科書の写真を載せておきます。

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