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勘弁してくれ.com

自己紹介など

 

完全に今更なのですが  あんまりプロフィールのいじり方がわからないのもあって  自己紹介などをします  わはは

 

大学でロシア語をやっていて、のちのちは日本語を専門にやる予定です  進級できていればこの春から2回生です  19歳です

大学のこと

 

短歌と映画と読書と展示がすきです  

大学の短歌会に入っていますがあんまり創作はしていません  映画は洋画ばっかりで邦画はあんまり観ないのですが、気軽にいろいろ観ようと思っています。本も然り! でたらめな読書をするぞ! 観たり聴いたりしたものについて また感想などいろいろまとめていきたいです 

 

父と2人暮しです  そろそろひとりぐらしをはじめるかもしれない  家族とはけっこう確執があり さまざまをとりもどしている最中です  高校2年生から3年生にかけて不登校気味になったりしていました  こういうのをどこまで書いていいものなのかはアレなんですけど  残しておきたいな とも思うので書くと思います  はい

 

 

自分で自分のことをご機嫌にしたい!いろいろ考えることをちゃんと言葉にしたい!あと自分の文章をひとに読んでもらいたいな!というブログです  いろいろ書きます   

 

 

よろしくおねがいもうしあげます!

 

 

たられば

 

今週のお題「私のタラレバ」

 

わたしは常々、人生が4つほしい  4つやりたい  と思っていて、それは小学3年生のときに いつか自分は死ぬ ということを明確に理解してしまったからなんですけど、

 

 

まあそんな感じで、世界がどうなっていくのかをずっと眺めていたい。ずっとじゃなくても、せめてセーブポイントでむっくり起き上がって更新していきたい、知らないことがあるまま死ぬのが怖い。死ぬのが怖い、死ぬのが怖い、でも同時に、いつか心臓が止まって脳が死んで焼かれて、そしたら髪の毛から順番に燃えていく ということをすごく明確に理解している。

 

これは前述の通りわたしの原風景というか、人生の根本にあることで、すごく大切なことなので あんまり言葉にして人に話したり、それで  「こいつキモチワルイ」と思われたり、わかった顔で諭されたりされるのがめちゃくちゃ怖いしで内に秘めていたんですけど、ふとしたきっかけと深夜の勢いでツイッターにつぶやいてしまって、 そしたら思いの外うまいこと言葉にできて、そろそろちゃんと考えてみようかな、ということです。

そんな重いアレではなくて、4つの人生について。

 

1つ目は クラシックバレエをずっと続けていたら、というものなんですけど

バレエの話はなんというか今でもトラウマで、けっこう動揺してしまうのですが、やっぱり避けては通れないなという感じ。

わたしは3歳から10年間ぐらいクラシックバレエをやっていて、なんというか我ながら上手だったんですよね、プロの男の人とパドドゥを踊ったり、4回転のピルエットをトゥシューズでできるような小学生でした。バレエを好きだったし、好きだから上手くなるし、上手くなるから好きだし、という感じで週に8〜9コマお稽古に出ていました。大人に混じって怒鳴られながら踊ったり、ちいちゃい子のクラスのお手伝いをしたりしていたり、わたしの根がスパルタなのは絶対このときの経験があるからだと思います。ふふふ。

でも、バレエ団付属の大きなお教室から引き抜かれるタイミングでやめてしまいました。これからコンクールにもどんどん出場して、名前を売って、海外にどんどん出ていく、あなたにはそれができる、おれがあなたをそこまで育てる、と言ってもらったのにやめてしまった。なんというか、その時期のことをあんまり覚えていないんですけど、明確にバレエをやめると決めたわけでも、バレエを続けると決めたわけでもなかったんですよね。でもわたしが迫られていたのは、これからの人生でバレエを続けていくか、もうやめてしまうかという決断だったのですよね。踊るのが楽しくて楽しくて楽しかったそれだけなのに、いつのまにかそういう段階にいました。そしてそこで覚悟を決められないのに続けていけるような甘い世界では当然なかった。お教室の同い年の女の子にはやきもちをやかれて携帯電話を折られたり、そういうこともあったし、家も揉めはじめていたし、そもそも プロの男の人とのレッスン1回1万5千円みたいなのをスッと支払えるような家ではなくて、さまざまがピリピリしていたし、なんとなく、行きたくないなあ、今日は休もう、明日も行きたくない、としているうちに完全に縁がなくなってしまった。

まあつまり  完全に物心を失っていたわけなのですけど、あそこでバレエを続けていたらなあ  せめて正気で「辞める」ということをちゃんと決めていたらなあ、ということは本当にことあるごとに考えます。

ある分野を極めずに なあなあのままにやめてしまったというのは一種の挫折で、わたしにとってはすごく大きい話だけれども、バレエの世界ではごくごくありふれた話で、そのありふれた側になってしまったというのがトラウマなんですよね、 戦う前に負けてしまった。ハイ

 

2つ目はめちゃくちゃ勉強をがんばっていたら、というやつです。

自分で言うのはけっこうアレな話なのですけど、わたしはすくなくとも勉強の面ではけっこう賢くて、それでいて勉強が好きだった結果、読み書きの習得も早かったし小学校のときも中学校のときもなにもしなくても学校で1番をとっていたような子どもで、そして最終的にいわゆる「高学歴」みたいなところにいるのですが、父も母も「勉強はしたかったらしたらいいよ、高校には行ってほしいけど、自分で決めなさい、やりたいことをやりなさい、あなたが決めたことは私たちのすべてで応援するけど その責任は自分でとりなさい」 という方針で、つまり放任主義だったんですけど、だから 私立中学の受験も自分で決めたし、当時買い与えられたばかりの携帯電話で自分で資料請求をしてオープンキャンパスの日程も全部調べて、保護者としてわたしについてきてくださいというプレゼンテーションをしたし、その授業料は勉強で3年間全額免除にしてもらったし、その後のさまざまの受験校も全部自分で決めたし、という感じでした。

その過程で、国公立の大学を受験するのが当たり前、私立は落ちこぼれ、中途半端な私立に行くぐらいなら一浪する、みたいなけっこう学歴至上主義の環境に身を置くことになって(わたしと同じ高校にいた人がどう感じていたかはわからないけれど一部の人がそういう選民意識を ちょっとの時期でももっていたのは確かだと思うし、わたしにはそれがけっこうカルチャーショックだった) 幼いころから親が主導で勉強してきて、受験に際して折り合いがつかないだとか、自分の選民意識に自分で苦しんでいるような人をたくさん見てきて、もしわたしがその立場だったら、幼いころからめちゃくちゃ勉強をちゃんとがんばっていたら、もしもう少しうるさい親だったら、なにか結果が違うのかなあ  というのを、単なる好奇心からけっこう興味があります。英才教育をされていたらもっと賢くなってたのかな、とか。

 

そもそも学歴ってめちゃくちゃむずかしくないですか、やらないとだめとされてる時にやらないとだめとされてることをできるかという指標なのかなあ、というのがわたしの今の認識なのですけど、「ほんとうにやらないとだめな時なの?」「ほんとうにやらないとだめなことなの?」という疑問はたしかにあるし、(そういう考えなくていいことを考えない という能力を測られているのかもしれない  /  わたしは勉強はやっておいたほうがいいことだとは思う) 趣味で勉強した結果いい学校に入れたらそれを褒められるけどそれは社会の都合で、趣味としてゲームより勉強のほうが偉いという設定になっているというだけで、とか、わたしはいい学校に入ろうと思って勉強していたわけではないけれど  結果的にやりたいことができる世間的に「いい」学校に入って、やっぱり父親も母親もとっても喜んでいたし誇らしげだったし、父母のまわりの反応もアレだったし、まあ親孝行できたという点ではいいのかもしれないけれど、そんなもんかあという気持ちもあって、やっぱりめちゃくちゃ難しいですよね。 いい学校って言ってるけど 悪い学校があるわけじゃないし。言葉選びがあんまり良くないな、すみません。

 

話を戻すと、英才教育を受けていたらなぁ とは思うけど、もちろん両親の放任さに何度も救われたし、いまでもわたしに対する方針として  両親のやりかたが正しいしありがたかったと思っているし、だからこそよそのおうちのことをどうこう思っているわけでもありません。もしかしたら英才教育を受けることでのちのちはちゃめちゃにグレていたかもしれない。わはは。

 

3つ目は 16歳でできちゃった結婚していたらというやつです。

ほんとうに語弊しかないんですけど、べつに16歳でできちゃった結婚することがいいとか悪いとかそういう話ではなくて、こう、幸せになり方ってたくさんあるわけじゃないですか。わたしにはいま「小中高大就職」みたいなお堅いコースがうっすら見えてきていて、もともとは選択肢を広げるために勉強していい学校にはいったのに 逆に選択肢がせまくなっているのでは……みたいなのをけっこう感じていて、たとえばだいぶ前に 「京都大学を出て専業主婦をやっています」みたいな趣旨のブログがなんかちょっと炎上していたり (死ぬほど京大に入りたかった人もいるのに社会に貢献せずに家に入るなんてわがまま!みたいな意見を読んでくらくらした記憶がある。社会に貢献するために大学に行くわけじゃない人がいていいと思うし、死ぬほど京大に入りたかったならそれこそ死ぬほどやって京大に入ればよかったんじゃないですか?という意地悪な気持ちと、そもそも死ぬほどやりきった人ってそういうこと言わない気がする、あなたは誰に頼まれてどの界隈を代表してるんですか?それぞれの暮らしを誰がどんな権利で裁けるというの……という気持ち)   まあわたしが勝手に感じているだけなんですけど、16歳でできちゃった結婚してみたかったなあ と思うんですよね。人生の選択肢として。

 

4つ目は、いまの人生。

けっこうだいぶかなり大変な感じなんですけど、なんだかんだいまこの生活に満足しているし、この人生の分岐として最良のところにいるのではないかな と思うし、なにをやっても表目に出る結果オーライの申し子として、この人生をしっかりやりきりたいなと思います  ヒューヒュー!

 

 

というわけで、わたしのたらればでした。かなり脱線してしまった。ぜんぶの選択肢をくまなく検討したいというのはわたしの癖というか性格で、よくばりかつ臆病ということなんですけど 、19年、短いと思ってたけどけっこう盛りだくさんだし、まあ死生観もどんどんかわっていくのでしょう!明日死んじゃうかもしれないしね。  面白いお題を出してくれるのでブログはいいですね。ありがとうございました

 

 

 

 

 

ロシア語と試験のこと

 

ロシア語の期末試験が終わりました。会話と読解と作文とリスニングと文法。4時間もかかった。解放感でいっぱいです。ヒューヒュー!

 

進級したい!たのむ!

 

 

試験に際して悪あがきとは知りながらも当日になって8000円の辞書を買いました。課金やんけ。 アー写を撮ったのでみてください。

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帯の右上の「!」の角度がすきです  心意気を感じる  いかめしさがロシア語っぽい

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手のひらいっぱいのぶあつさ  

 

とはいえクラスの子たちはとっくにこの辞書を持っているんですよね、  わたしは厳密にはロシア語専攻ではないので、他の子とちがって2年間しかロシア語をやらないし、その1年目もいままさに終わろうとしているしで、高額な辞書を買うのを躊躇っていたのですが、25言語を学べるわたしの学部のなかでもいちばんきついと名高いロシア語が、来年度からさらにどぎつくなるということで試験前の勢いにまかせて買いました。結局辞書をひくような時間はなかったけど。

 

今回の試験はロシアから試験監督を呼んできて ロシア政府が定める 外国人のロシア語運用能力検定試験  みたいなやつだったんですけど、

試験監督の女の人の肌がまっっしろで、髪も色素が薄くて めちゃくちゃ見とれてしまいました。もう1人はおかずクラブのゆいPさんに似ていて、豪傑でやさしくて笑顔がほんとうの笑顔で素敵だった。ふたりとも意味のわからない蛍光色のパーカーを着ていました。

 

思い返すとわたしが試験監督に好ましい印象を持ったときの試験はけっこううまくいっているな   高校入試のときはアフロのおばちゃん先生のスーツがステッチのふちどり入りでとってもかわいかった。プリントを数えるときに親指をひと舐めてしていて、  入学してからわかったけれどそれは彼女の癖だった。  大学のときはベリーショートのしわまで素敵なざっくばらんに喋る女の人と  上品な喋り方で顔に大きなほくろがあってそれがとっても似合っている女の人だった。 入学してからベリーショートの先生が今年で退官なことを知って、その人の授業を受けたかったけど後期開講ですっかりわすれていた。気づいたときには時すでに遅かった。ウワーン

 

 

試験監督がロシア人なので試験に関しての指示も全部ロシア語で、それはまあ普段から全編ロシア語の授業も受けているのでわりと大丈夫だったんですけど、たまに難しい単語があったりわけがわからなかったりして  それをわたしたちのロシア人の先生がぱっと平易な表現に言い換えてくれて、ロシア語でロシア語を通訳する  みたいな状況が面白かったし、言語教育むずかしいよなぁ と思いました。あとは会話試験で試験監督がわたしの名前を誉めてくれてうれしかった。

 

厳密にロシア語専攻ではないというのは、実はわたしは日本語を専攻しているということなのですけど、母国語を外国語として学ぶために 違う言語を2年間みっちりやってこい!ということで、 とはいえ  どの専攻語も語学をみっちりやるのは1.2回次だけで、3回生からは専門のゼミにわかれるので 結局わたしもロシア語を全編やるのですが、(英語を中高6年間で勉強したみたいに2年間で文法を一通り終えて、会話もリスニングも作文も留学できるレベルにする というスパルタシステム) 1.2回次には別々の言語をやっていた人たちが3回生になって日本語に帰ってきて、わたしの言語はこうだったけど日本語はこう、だの  おれの言語と日本語はここが似てる、だのをなんやかんややるというかんじです。だからまだ日本語の勉強を全くやっていない。

 

日本語以外の専攻語は 出願のときに第1から第24まで希望を書いて提出して あとはセンターの成績できまるので わたしの専攻語がロシア語になったのは完全にたまたまなのですが、がんばっているからには留学もしたいし、でも日本語専攻がロシアに行ってどうするんだとか、どうせ留学するなら英語圏かなあとか、文学部開講の司書や学芸員の資格をとりたいとか 、日本語専攻には日本語教師志望が多いけど日本語教師には全く興味がないとか  そのくせ日本語教師育成プログラムを開講しているヒューマンアカデミーはいけすかないとか  いろいろ考えるところはあるのですが  まあ とりあえずそういうことを考える時間がようやくできたということで、とりあえずはとてもほっとしています。

 

まだ春休みではないのですがね。英語のレポート……戦々が恐々……

 

さいごにロシア語のめちゃくちゃださい教科書の写真を載せておきます。

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1月まとめ

 

 

だからどうというわけでもないのですが、なんと1月がもうおわってしまうのですよね。

 

ワーオ。

 

 

 

今月はこんな感じでした

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今月は期末試験ということであんまり映画も本も楽しめてないな〜

お正月にPKを観たきりでした

お正月にふさわしいめちゃくちゃ華やかな映画でした   すぐに踊る  車も踊る

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映画を観たり講演を聞いたときの感想としていちばん馬鹿げているのが「考えさせられた」というものだと思うんですけど、  なんというかあの、 恥ずかしながら  考えさせられてしまいました。考えさせられたというか、宗教問題って地球人にはもう無理なんだな…それぞれの暮らし……みんなで幸せになってくれ…という感じ   完璧にエンターテイメントなのにしっかり問題提起して ぜんぶの伏線をきれいに回収してさっぱり終わるの本当にすごいと思いました。予告や関連動画で出てくるダンスの映像も楽しいです

 

 

ブックカバーマンションは ふたり というユニット?の企画で、マンションが描かれたブックカバーの中には そのマンションの住人の物語の冊子がはいっている  というやつでした。イラストを担当しているITSUMOさんがだいすきで、2種類あるうちのどちらかなんてえらべなくて結局両方買ってしまった  わたしの悪いところです。 物語もすごくよかった  とくに208号室のヴィクトルくんの話。  わたしは先行受注に申し込んだのですが  またふつうに販売もするみたいです。

bookcover-mansion

 

 

おやすみプンプンは期間限定で無料公開していたので読んだんですけど、夏に読まなくてよかったなぁ と思いました。これは今思いついただけなのですが、負のエネルギーの行く先が冬は憂鬱 夏は凄惨さというイメージがあって、めちゃくちゃ凄惨な話だったので。別に面白いわけでもないけど読んでしまう 知らない間にごりごりすり減ってしまう感じ。自傷行為的でした。呪いの話かな

 

 

そして、わたしが無料ならせっかくだし読むか…と、おやすみプンプンを読んでいるような時に起こったのが 元お笑い芸人の西野さんの 自分の絵本を無料で公開する 云々の騒動でした。思うところはたくさんあったし いやな思いもけっこうしたのですが、それはあくまで一般化したあとの話で、じつはわたしは西野さん個人に対してとくに表明するほどの意見を持っていないなあ というのが結論です。時間を置いてみるとちょっと自分の立ち位置が明確になってきたのでまたエントリしたいと思います。

 

今月は初めてのこともたくさんあってとっても楽しかったです。なんといっても完全にできごころでブログを開設しました。ヒューヒュー!  スターバックスに苦情の手紙も初めて書きました。書いたら満足してしまったので投函していないけれど。

あとはRegaのライブに行きました。インストゥルメンタルバンドで、はちゃめちゃにかっこいいのでぜひ聴いてください。気が向いてエイッというテンションでチケットを取ったライブだったのですが本当に行ってよかった。フットワーク軽くありたい。千鳥風に言うとフットワーク軽男ですね。何を言ってるんだろう。こんどはお酒をのみながら踊りたいです。

 

 

いまは期末試験を目前に物心を失ってしまい呆然としているので  (わたしの学部 というか専攻語は試験に不合格だと問答無用で留年なのです  危機感がない  ワオワオ ) 2月はもうちょっと思い煩うことなく楽しいことがあるのではないか!と思います。 みたい展示と映画がたくさんある! とりあえずここから1週間が修羅場なのでがんばります。あと大学生活がモラトリアムだというのは詭弁です。

 

 

 

マニキュア

 

マニキュアを塗りました。

何年ぶりなのかな  もしかしたら初めてかもしれない。マニキュアといっても正式にはネイルファンデーションという ちょっと爪をきれいにみせるためのあんまり色の付いてないやつなのですけど、ともかく 剥がすことを目的としないマニキュアはたぶん初めてと思います(幼いころは塗って乾いたら べろん と剥がせるやつにはまっていた)。Twitterでめちゃくちゃおすすめされていたセブンイレブンの500円のやつです。

口コミ(口コミのコミってなんだ?!??!?) や「ラスト1つでした〜♡」という書き込みや 500円という取り返しのつく値段にみごとに煽られころがされてちょっと恥ずかしい気持ちなんですけど、買ってよかったです。 そしていまから  買ってよかったという話をします。

 

まあ  なんというか  いかにこのネイルファンデーションがよい商品なのか ということはきっとわたしが言うまでもなく…というか、率直にいうと初めてで他と比べられないのでよくわからないんですよね。やっぱり利き手はうまく塗れなくてよれよれになってしまうし、塗った後はつまさきがずっとすーすーして(つまさきって言うと足を想像しませんか。指先って言うと手を想像しませんか。なんでなんだろうね。爪は手にもあるし指は足にもあるよ。これは手の話です) 液が乾いたか全然わからなくてむだに長時間びびり申し上げてしまって指の腹を酷使してしまうし、だけどそれでも  普段よく目に入る場所が清潔なかわいい色ですべすべつやつやしているのはすごく気分がいいもので、  勉強するときにもiPhoneをさわるときにもお箸を持つときにも  アッそうだったいまわたしの爪はめちゃくちゃかわいいんだ  と思い出してご機嫌になってしまいます。

 

そもそもマニキュアとかつけまつげとかエクステーションとかアイプチとかカラーコンタクトとか  そういう装身具に じぶんでもびっくりするぐらい興味がなくて、というか そう考えるとほとんどのものにあんまり興味がないんですけど、(自分がどうしてそういうものを屈託なく楽しめないんだろう、という気持ちもあってこの話はけっこう根が深い)  大学生になって お化粧をはじめて、アッ 女の子って おしゃれだけではだめなんだ、おしゃれと美容なんだ  ということに気づいて、いろいろ調べるうちに美容アカウントというハッピーな地獄 もしくは えぐめの天国 のような界隈の存在を知って、だんだん自分の好みというか、重きを置きたいポイントがわかってきて、それは  すこやかでごきげん  ということなのですけど、そこにこのネイルファンデーションがぴったりはまったようなかんじです。あんまり派手じゃないささやかな発色、すべすべつやつやな見た目と触り心地、それに(塗った後びびり申し上げるので) やるべきことをすべて済ませてから 1日の終わりに爪を塗るのはなんだか儀式めいていませんか。  自分をごきげんにする方法をまたひとつ発見したな〜! 祝祭日を持ち運んでいるぞ…がはは  というきもちです。

 

そしてまた穂村弘の話をします。何回目だよ、そろそろちゃんと説明しろよ、という感じなのですが、とりあえず、穂村弘の話をします。またこんど説明もします。

穂村弘の生きる/生き延びる  の話でいくと、おしゃれや美容  ここでは  爪を塗ること  って完全に生きる側ではないですか、別に不可欠じゃないし、そんなことしなくても何も支障はない。でも ほんとうにそうなのかな。あまり物事を二元論で捉えるのは賢くないとは思いながらも 思いきって言ってみると、自分の身を飾ることって 多くの人々にとっては生きる側かもしれないけれど 多くの女の子にとってはめちゃくちゃ生き延びる側なんだろうな、と思う。 生き延びる側のそういうタスクを楽しそうに屈託なく がんがん乗り越えていける 、 目を大きくしたいからカラーコンタクトをつける、まつげを長く見せたいからつけまつげをつける、二重になりたいからアイプチをつける  シンプルに  そして無邪気に最短距離を走ってみせる  そんな女の子たちをみるとほんとうに眩しい気持ちになります。

 

わたしの悪い癖でだんだん話が難しい感じになってきてしまったのでそろそろ終わりたいのですけど、とにかく爪はかわいくなるしわたしの機嫌は良くなるし ほんとうに買って 試してみてよかったです。インターネットとセブンイレブンどうもありがとうございます…🙏🏻

 あとこの記事がめちゃくちゃいいので読んでください

 

さといも

さといもが嫌いです。大学に入ってから気づきました。ほくほくに見えてどろっとしてるのが気持ち悪くて、いまのところ彼らに対しては  食べない/丸呑み  以外の対処がないのですけど、しかし19年間好き嫌いを判定する機会すらなかったなんてびっくりしてしまうなあというかんじです。

 

大学に入って、「苦手な食べ物を思いきって口の中にいれる」というイベントが格段に増えました。そもそもわたしにはOASという持病があってアレルギーがめちゃくちゃ多いのと保守的な性格もあって、わたしにとって「食べたことのないもの」はぜんぶ「苦手な食べ物」で、それでもそういうイベントをこなすたび、むかしよく大人の人にかけられた「おっきくなったら食べ物の好みも変わるよ」という言葉を思い出します。

わたしにとっての食べ物の嗜好の変化は、好みが変わって  嫌いな食べ物が好きになるというよりは、成長してさまざまが鈍って  同時にがまんづよくなってきて、嫌いな食べ物の嫌いたる部分をうまくやりすごせるようになっただけという感じで、どうせ死ぬし何食べてもよくない?という気持ちがけっこうあります。でもやっぱり食に開放的なのは才能だと思うな。わたしもおいしいものにいっぱいであいたい。

あとは食にまつわる価値観は 物心がついていない時期にかなりの部分が形成される気がするので、いろんな人のそういう話を聞いてみたい。わたしが読んだ中でよかったのは  穂村弘の『君がいない夜のごはん』です。わたしはこの本で穂村弘にであい、そして彼が歌人であることを知り、短歌と邂逅したので、まさに運命の一冊という感じです。また本についてもエントリしたいとおもいます。

 

 

君がいない夜のごはん

君がいない夜のごはん

 

 

余談ですが、ご機嫌な父とさといもの話をしました。

 

「さといもが嫌い」「ああ、おれも若い頃は苦手でしたね」「どれくらい若い頃」「あなたぐらいのとき」「今は好きなの」「可もなく不可もない」「どろっとしてるのがいや」「おお〜 同じような理由でしたね」「さといもはいもじゃない」「いもじゃないものを煮っころがしたりするもんかね」「さといもの煮っころがしって見たことある?」「ないこともない」「煮ただけじゃなくてちゃんところがしたやつ?」「ぼかぁそんなことどうでもいいね」「やまいもとさといもはどう違うの」「きのことたけのこぐらいじゃない」「きのことたけのこはどう違うの」「きのこの山たけのこの里」「がはは」

 

 

自転車

 

ひさしぶりに自転車に乗った。4年ぶりぐらいかな。数えてみて、こんなに自転車に乗らずに生きていけるものなのかとすこし驚いた。

わたしは家庭教師として働いており、新しい派遣先までのみちのりが地獄みたいに暗くてとおくてさむくて、ここで殺されても3日ぐらい見つけてもらえないだろうな…というかんじなので、派遣会社にさまざまを申し立てたところ  自転車を買い与えられ、今日が晴れて初の自転車派遣だった。

 

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こわいでしょ。

 

地獄みたいに暗くてとおくてさむい道には当然人通りはないし、ましてや車は通れない道幅で、いつもはポケットに手をつっこんで音楽を聴いて  我慢できないぐらい怖くなったらiPhoneでなんらかを眺めて気を紛らわせている。

最初は  じぶんが暗闇をこわがっている  という状況がなんだか滑稽で すこしは余裕もあったのだけど、暗闇を奥に奥に進んで行くにつれて  じぶんが凄惨な殺人事件の再現ビデオに被害者役で出演しているような気持ちになってきて、しとしとと募る恐怖に完全に負けてしまった。

だけどそこを自転車で走ってみるとけっこう話は別で、 なかなかめちゃくちゃかなりだいぶ楽しかったし、いろいろ考えることがあった。

 

まず、どういう擬音をあてたらいいのかはわからないけれど、自転車が走るときの ゴムと地面がこすれる音。 いつもイヤホンを耳にはめているので気づかなかったけれど、人通りがなく車も通らないので、地獄みたいに暗くてとおくてさむい道は  同時に地獄みたいに静かな道でもあった。そこを平らかにタイヤが滑る音を耳とからだで感じながら自転車を走らせるのは  とても心地がいい。

 

地獄みたいに暗くてとおくてさむい道。

 

タイヤがしずかにこすれる音が気持ちいいとはいえ、地獄みたいに暗いので もちろんライトをつける。すると、あたりまえのことだけど、地面がよく見える。亀裂が走っていたりごつごつしていたり、つやつや黒光りするコンクリートだったり、コンクリートというよりはセメントというかんじの無骨なものだったり。ふだんは地面ばっかり眺めて歩いてるくせに  (地面をスクロールする感覚  わかりますか)  そのみちのりではいつもは 気を紛らわせるのに必死で ほとんどiPhoneの画面しか見ていなかったし、怖いもの見たさで道沿いの廃墟を覗きこんだりはするものの、地面なんて気にしたことがなかった。

 

そして、ああ、自転車って  まわりをよく見ないと運転できないんだな  というあたりまえのことを思い出す。運転中は運転のこと以外考えられない。それはわたしが道をうろ覚えだったからかもしれないし、ひさしぶりの自転車に緊張していたからかもしれないけれど、さいきん四六時中なにかを考え込んでへたをしたら塞ぎ込んですらいるような感じで、そういうときに為せる術が  情報を遮断してひとりでじっと耐える  ということしかなかったので、頭をからっぽにして五感だけをはたらかせるのはとても健全な行為のように思えた。穂村弘の話でいくと、自転車を漕ぐのは生きるというよりは生き延びる側の行為で  わたしは生きるほうを追い求めているけれど、生き延びるほうに身を任せてみるのも すごくいい  ということである。

 

それから、中学生のころを思い出した。中学生のころは毎日自転車通学で、自転車にポールという名前をつけていた。スピッツの曲を3曲ながして、ぴったり3曲めが終わるころに学校に着くように スピードをうまく調節しながら自転車を漕ぐのがお決まりだった。今思い返せば、そのころ家がもみくちゃにもめていて  中学校では我ながら優等生の人気者だったので  登下校の時間が唯一の 正真正銘ひとりになれる時間だった。道沿いの古いケーキ屋さんに想いを馳せたり、ときどき道をきかれたり、春の歌の歌詞の意味が突然わかって鳥肌をたてたりしながら うまく自分で自分のことをあやしていたんだな と思う。

のちのちわたしは心身の具合をどちゃくそに崩して高校に行かなくなるのですが、目下いちばんきつかったはずの中学時代を最後まで健全に送らせてくれて  完全無欠の青春時代を与えてくれてありがとう  あのときのわたしえらいぞ  というきもちになった。それってやっぱり、自転車を運転するときは運転のこと以外考えられないからで、それってつまり道や目的地がはっきりわかっていないと運転できないからで、あんまり主語を大きくすると陳腐になってしまうというのは承知しているけれども、わたしがいま 四六時中なにかを考えこみながら鬱々として 五感をうまく開放/解放できずに生活しているのは 目的地が定まっていないし そのみちすじもわかっていないからだよなあ と感じた。良い悪いはおいておくとして  あのころはどこに向かえばいいのかわかっていたし、疑ってもいなかった。

 

まあじぶんがいま人生におけるそういう時期にいることも十分わかっているので特にだからどうというわけではないんですけど、自分をごきげんにする術をひとつ思い出したようなきもちです。

 

あとは 派遣会社が 新品の自転車を買い与えてくれて、その自転車に目印としてピンクのリボンをくくりつけてくれていて、駐輪場も借りてくれて、駐輪場のおじさんに話を通していてくれて、おじさんはきょろきょろするわたしを見つけて自転車まで案内してくれて、タイヤに空気を入れてくれて、帰りにはおつかれさま  と言ってくれて、世界に愛されている  大人ってすごいな  と思いました。

 

 

 

 

鳥と鳥

鳥と鳥


自転車すいすいソングといえば

Galileo Galilei 『鳥と鳥 / Bird Cage』 - YouTube

youtubeではデモバージョンが聴けます