移動祝祭日

勘弁してくれ.com

終わってしまった青春のこと

 

        彼を駅の改札まで見送って、行きはふたりで歩いた道を、今度はひとりで帰った。部屋に入って、さっきまでそこに人がいたことが嘘みたいながらんとした空間を前にして雷に打たれたように「ああ、この青春は終わったのだ」とわかった。溜まった吸い殻と洗い物とNUMBER GIRLの透明少女を最後に沈黙したパソコンが、なんだか出来すぎたお葬式の参列者みたいで可笑しかった。

 

        その日はわたしの家でふたりでナンを焼いてカレーパーティをする予定だった。ナンは「ナンのもと」が売っているので水と油を混ぜてこねればいい。カレーも調理するつもりだったけど、無印良品レトルトカレーを試してみようということになって、陳列棚を物色しているとき、彼は思い出したように「彼女できてさあ」と言った。わたしは、おめでとう、と思ったから、そう言った。

  彼は鮮烈な人間だ。鮮やかで忘れがたい、だけどつかみどころのない、芯を持っていてだらしなくて、つまり、とびきりチャーミングな人。そんな彼に恋人ができたのはとってもいいことだなあ、と思った。

 

  だけど一人になった途端、アー、わたしは友達を一人亡くしたんだなあ、と思ってしまった。失くしたんじゃなくて、亡くした。不慮のことだった。なんだかすごくショックで混乱していて、「社会」みたいなものに馴染めないくせにとりあえず迎合して、そんな風に思った自分にもショックを受けた。

 

  別に彼はわたしのことを「そういう」感じで見たことはないだろうし、わたしだってそうだった。ただふたりでいたら気安くて楽しかったから、そうしていただけだ。

  それなのに、わたしたちは、男と女だから、多分もう今まで通りではいられないだろう。恋人がいる男の人と、密室でふたりきりになるのは良くない。もっと言えば、ふたりでご飯を食べたりお酒を飲んだりするのも良くないし、ふたりで遊びに出かけるのも良くない。彼の恋人がいやがるのなら、わたしにできることなんて何一つない。そんなのあんまりじゃないか。だけど、そういうものなんでしょう?それが良識なんでしょう?

 

  そもそも異性とふたりで遊びに行ったりすることのハードルが高い界隈があることも、わたしはちゃんと知っている。「ふたりで3回もご飯行ったのに」とか「ふたりで何回も出かけたから」とか、そういうことが大きな意味を持つことがあるってことも、ちゃんとわかっている。でもわたしはそこにはいないから、安心しきって、人間の彼らと、楽しく遊びまわっていた。

 

  でもいざとなると「わたしはそこにはいないから」なんていうのは、ただの驕りだった。わたし一人が外にいたってしょうがなかった。彼が選んだその人がその界隈にいるなら彼はそれを尊重するだろうし、わたしだって恋人を尊重する彼を尊重したい。もっと遡るなら、そもそも「人間の彼ら」がわたしにとって異性であることは、彼らが人間であることと決して切り離せない。「人間」の方がえらくて「異性」であることが狭量だなんて、よく思えたもんだな。

 

  とにかくわたしはズタズタに傷ついていた。何にも答えが出ていないのに勝手に傷ついている自分にも傷ついて、なんだか虚しくってたまらなかった。

 

  ふたりだけで無敵な気分で楽しかった青春はおわってしまった。これは可哀想とか可哀想じゃないとかそういう話ではなく遅いか早いかだけの問題で、どうせ避けては通れなかったし、これから先何度も似たような思いをするだろう(そしてそういう思いをさせるかもしれない、嫌だけど)。

 

  それでもきっと、どうしてもやめられないだろう。わたしは人間を愛することを、どうしてもやめられない。やめないし、やめなくていい。

 

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  という下書きが残っていて、多分これは去年の夏のことだと思うんだけど、当時のわたしがどうしてこれを公開しなかったのかはなんだかわかる気がする。

 

  今これを公開しようと思ったのは、彼との青春が終わらなかったからだ。彼は全然変わらなかったし、わたしも変わらなくてよかった。彼の努力の賜物なのか何なのかわからないけれど(多分そう)、今でもわれわれはハッピーに遊んでいる。

 

  凝り固まっていた自分を反省するとともに、得難いものを得たのかもしれないと、感激もしている。

        とはいえ、全部が解決したわけでもない。わたしは確かにそういう、性別でさまざまが隔絶されてしまう世の中を、理を、生きている。

 

  だからこそ「人間を愛することをやめない」って書いたわたしは偉かったし、これからもやめないぞ、と、ここにもう一度、ちゃんと書いておこうと思う。

 

5月18日

 

  久しぶりに文章を書くようだが実はそうでもない。下書きは溜まっていくばかりで、3行くらい書いては目の前の毛糸がぐしゃぐしゃに絡まって、まあいいか、となってしまうのを15回くらい繰り返していた。あらゆる文化的なエネルギーが失われて、映画を見るのも音楽を聴くのも文章を読むのも書くのも苦痛だった。自分にそんな日が来るなんて、中学生の頃のわたしが聞いたらきっとびっくりして「それって生きてる意味あるん?」みたいなことを、優しくオブラートに包んで、だけどきっぱりと言うだろう。

 

  とにかく、現在のわたしは音楽を聴けるようになるところから始まり、どうにか回復することができつつあると思う。それで今ようやく腰を据えて、とりあえず日記でも書くかという気持ちになっている。

 

  最近はひとり暮らしの部屋を留守にして父の家や母の家に居候している。年末から3月くらいにかけてひどく心身のバランスを崩したのがきっかけだけれど、何だかそれがトラウマになって自分の家に帰れなくなってしまった。4月から大学を休学しているので、することがない日は文字通り一日中眠っている。母親の言葉の節々から、彼女はわたしの休学を理解も納得もしていないんだな、と気づく。別に母に理解や納得をしてもらわなくても、(悲しいことに)困ることはないので別に気にしていないけれど、友人と文通をしていて彼からの手紙が自分の家に届いているはずなのとベースを置きっぱなしなのは気にかかる。明々後日くらいには取りに行こうかな。

 

  今日は昼から京都に行ってピクニックをして、それから知り合いの人が主催するライブを見に行くつもりだった。ちゃんと午前中に起きてお化粧もして家を出たのに、息苦しくて途中の駅で降りてしまった。最近本当にこういうことがよくある。献血をして、2時間カラオケに行って、ぶらぶら時間を潰している。

 

  結構驚かれるのだけど、わたしは注射器を刺されるときにそこを凝視する。これは何だかさまざまを示唆しているなと思っていて、つまり、わたしは物事の経過をちゃんと自分の目で見ないと気が済まないのだ。

  わたしの血管は見つけにくいらしく、看護師さんが腕を擦ってくれたり、カイロで温めてくれたりする。人助けに行っているはずなのに却って人の手を煩わせて、何だか申し訳ない気持ちになった。

 

  カラオケは思ったよりわたしを解放しなかった。女性専用のパーティルームのようなところに通されて、この世で一番わたしに似合わない部屋、と思った。カラオケからの帰り、大声でクリームパンの販促をしている人の横を通り過ぎて、何だか自分がとてもひどいことをしているような気分だった。

 

  気が向いて入った喫煙室でおじいさんに「ここは女性専用ですか?」と聞かれ、そんなわけありませんよ、などと返事をしていたらいつの間にかおじいさんの身の上話を聞いていた。彼は新潟から仕事で来ていて、87歳で、会社を10個も経営している実業家で、子供が7人、孫が28人いる。ひ孫も合わせて53人が新潟の一つの家で暮らしているらしい。若いときにくも膜下出血になった彼は、健康が一番大事ですよ、とひとしきり熱弁したあと「こんな馬鹿な話を、すみません」と言ってはにかんで去って行った。

 

  なぜだかこういうことはよくある。お年を召した方が多いけれど、彼らはわたしに吸い寄せられるようにやってきて、ひとしきり言いたいことを言って去っていく。生い立ちや、ポリシーや、愚痴や、いろいろ。不愉快な時は態度で表明するけれど、たいていはいろんな人の人生を垣間見れて役得なので気持ちよく聞いている。道もよく聞かれるし宗教にもよく勧誘される。

  しかし、たまにゴミ箱みたいな気分になる。別にゴミを投げつけられているわけでもないのだけど、わたしじゃなくてもいいんだろうなあ、という感じ。話しかけられやすいというのはある意味いいところだけれど、それに必要以上の意味を持たせないようにしたい。自分のために。

 

  夏に1ヶ月半ほどデンマークに行くことになっており、現地で合流する人たちと初めてコンタクトを取った。気さくな感じでちょっと安心。1ヶ月の滞在のあとは2週間ひとりで北欧周辺を回るつもりなので最近はそのことばかり考えている。怖気付いて、ワクワクして、でも怖くての繰り返し。何も決めずに行ってしまうのもアリかなあ、とちょっと投げやりになっている。

 

  今日久しぶりに自分の昔の記事を読んで、それらをとても眩しく思った。こんな垂れ流しではなく、ちゃんと自分のための文章を書いている。それは本当に体力のいることだけど、わたしには絶対に必要なことだ。毎日更新するなんてとても言えないけれど、わたしがわたしとしてよりよく生きるために、そろそろ再開する頃合いなのかなと感じている。

 

  今日はこれから馴染みの焼き鳥屋さんで妹と父と合流して、友人に韓国語を教えてもらう予定。1日の最後が愉快だと生きてる感じがするので、そうなるといいな。

【お知らせ】生き延びるだけでは足りなく感じるわたしたち

 

        CINRAが主催する、自分らしく生きる女性たちを祝福するウェブマガジン・She is の公募作品としてわたしの文章が掲載されています。テーマは「お金と幸せの話」。苦しく長い話ですが、これを書くことができてよかったと思います。ぜひ読んでもらいたいです。よろしくお願いいたします。

 

 

 

        さて、実はこの記事のもとになる文章はまさに19歳の冬に書いてこのブログにしばらく掲載しており、あまりに折り合いがつかないことだったので2日ほどで公開を取りやめていた。いま思えば、文章ではなくて排泄したものを公開しているような後ろめたさがあったのかもしれない。

 

        She is の9月特集「お金と幸せの話」というテーマを見て、真っ先にこの出来事を思い出した。2年弱経ってもう一度その文章をひっぱりだしてみて、根幹となる出来事の捉え方や考えは少しも変わっていないこと、だけどわたし自身のスタンスが随分柔軟になったことがわかった。これならもう一度、排泄としてではなくひとつの文章として書くことができる、と思った。それで、さまざまを削ったり足したり手直ししたりして、原稿を送った。

 

        この記事が掲載されることになって、題材となった友人と電話で話した。彼女を題材にした文章を「書く」ところまでの自由はわたしにあるが、それが公開され、多くの人の目に触れるにあたって、わたしは彼女に対して誠実でありたかったし、彼女を「ネタ」として消費したいわけでは絶対にないことを、世界でたったひとり、彼女にだけはわかっていてほしかったから。

 

        彼女に電話をかけると、彼女は「何か重大なことがわたしの身に起こったのか」とすごく心配していて、可笑しくてあたたかくて涙が出そうだった。

        彼女は「なんだそんなことか」と言った。「おめでとう、よかったねえ、読むの緊張するな」とも。そういう率直さや思いやりにずいぶん救われて7年も8年も一緒にいるのだと思った。

 

        救いといえばもうひとつ、記事が公開されてから、ご自分の秘密をそっと打ち明けてくださるようなメッセージを思いがけずたくさんいただいた。

        「つらかったでしょう」というものもあれば「つらかったです」というものもあり、それらは時間をかけてわたしをじわじわと温める僥倖だった。

 

 

 

         お金と道徳と頭と心、ばらばらなようでぐちゃぐちゃで、だけどそれらなしには生きていかれなくて、どうにも折り合いがつかないでいる。
臆病なくせに欲張りなじぶんのことを、自分なりに気に入っていたはずなのに、急になんにもわからなくなってしまって、ちょっと途方に暮れています。

        2年前の冬に途方に暮れていた少女はもういない。21歳のわたしは未来の自分を信用しているから、つまり、21年間の自分の歴史を信用しているから、だからいま、張り切ってくよくよしている。

        くよくよの旗を立てたから、いつでも戻ってきて、また歩きだそうね、ねえ、わたしたち、そうしようね。

 

 

結果として

  終電を逃している。そんなはずではなかった。なぜなら明日はライブに出てベースを弾かなきゃならない。だけど逃した。だから帰れるところまで電車に乗って、歓楽街のサイゼリヤで、これを書いている。たぶん深夜ならではの、脈絡はないくせに妙に感傷的な、こっぱずかしい文章になるんだろう。

        元来、暇を持て余したり、時間を潰すことが好きだし得意だと思う。待ち合わせの遅刻だって自分がするよりされる方がいいし、長距離移動も大好きだ。ただし、わたしは暇な時間のやり過ごし方を、大体3種類しか持たない。文章を読むか、書くか、寝るか。そういうわけで、書いている。

 

  夏と大人について

  夏になると「暑いのはみんな一緒」「しんどいのはみんな一緒」という言葉を思い出す。わたしが小学生の頃はまだ運動会が9月に催されていて、暑いなか校庭や体育館でダンスの練習をさせられていた。みんながダレてくると先生が馬鹿の一つ覚えみたいに決まって口にするのが、冒頭の台詞だ。

  「だから何だというのだろう?みんな暑いからなに?みんなしんどいからどうしたの?」というのが当時からわたしが抱いていた感想で、つまり、ブチギレていたのである。わたしだけじゃなく、みんなが暑いと思っているならなおさら、みんなが快適になるようにすればいいじゃないか。みんながしんどいならなおさら、休憩した方が良くない?解決法がはっきりしてるのに、合理的な理由が何もないのに、全員で暑くてしんどい思いをする意味がわからない。

  「可愛げがない」というのは、それはもう本当にそうで、もしかして履歴書に書いといた方がいい?というくらい人から言われてきたし自分でも思っていることなのでこの際いいんだけれど、でも21歳になっても思い続けているんだから、これはもうわたしの「思想」ということになりませんでしょうか。「みんなで幸せになりたい」という思想。「少なくともわたしはわたしを幸せにしたい」という思想。

  大人になるのは怖い。怖かったし、今も怖いけれど、大人に近づくにつれてそういう時に自分の責任で「ヤンピ」できるというのは、最高に素敵なところだと思う。わたしは高校3年生の運動会の練習にも本番にも出なかったし(正しくは出られなかった)、今でもそれでよかったと思っている。

 

  文学ってすごい、という話

  文学ってすごい。現代文や小説や評論ではなくて、文学ってすごい。ここでの文学というのは「文学研究」という意味なのだけど、このすごさを感じられただけで、大学前期の授業料分あるんじゃないかと思う。

  前期に白樺派の思想についての講義を受けて、文字通り100年前の、西洋から様々な文化や思想が入ってきた頃の青年について学んだ。中でも武者小路実篤は「個人」すらなかった日本の社会に「個性」という思想を輸入して確立させた人だ。

  彼らが一生をかけて考えて考えて考えたことを、またまた長い時間をかけて研究者がまとめて、その成果を15回22時間の授業で受け取ることができる。なんということでしょう!

        過去を生きた人の思想を学ぶことは、時給のいいアルバイトをするのと同じで、人生によい。時給1800円のアルバイトをすれば働く時間が半分でいいように、彼らの思想に触れ、取捨選択し、それを基に考えることで、それを踏まえた新しいことを考えることができる。もっとも、思想に「新しい」もクソもねえよ、という感じもするし、文学に限った話ではないのだけど。

 

  もうひとつは「文学としての読書」について。本を読むことは大好きだけど現代文ってキライ、という学生だったわたしにとって、文学研究は不安な分野だった。とにかく自分が「文学」として物語を読むことに向いているのかを確かめる必要があった。

  結果から言うと、めちゃくちゃ面白かった。「文学としての読書」とはつまり「解釈すること」だ。ただし、逞しい想像力と明確な根拠を持って。 

  「読んで何思うかとか人それぞれやろがい」とか、「なんでこの答えがアカンのか訳がわからん」とか「作者がほんまにこのときそう思っとったっちゅう証拠はあるんか?お?」という、現代文に抱いていた最悪なイメージ及び不安は払拭された。

  まず、解釈において主役は「読み手」だ。作者がどう思っていたかは基本的には関係ない。文章の一番の理解者は作者ではなく読み手だとされている。

  読んで何を思うかはひとそれぞれ、これは本当にそうで、文学の解釈はそこから始まる。ありったけの想像力をつぎ込んで物語を読んで、ひっかかりを見つける。だからそもそも物語を物語として受け取れない・娯楽としての読書を楽しめない者に解釈はできない。そのひっかかりを基にして解釈を広げていくのだけど、ここでめちゃくちゃ重要なのが、明確な根拠だ。

  根拠がなければ、それは「感想」でしかない。これとこれを基にこう考える、それがあっちとつながるんじゃないか?あった、これを根拠にできる!!という作業の積み重ねが解釈だ。

  先生が提示する論のそれぞれに確固たる根拠があるし、自分の論もバシバシ突っ込まれる。ふにゃふにゃの屁理屈で懐柔されているようで嫌いだった現代文だけど、文学の解釈には確固たる筋が通っている。わたしは半年かけて夏目漱石の「三四郎」を読んで、16,000字の最終レポートを書いた。ほんとうに骨の折れる作業だったけれど、出来上がった解釈はわたしだけの解釈、わたしだけの読み方だった。

  長くなってしまったけれど、つまり文学研究及び解釈は、世界を拡げる作業なのだ。何かわからなかったことを明らかにして、それが直接人の役に立つ学問ではない。だけど「この時代を生きたたった一人のわたしがこういう風に読んだ」というのはこの現実世界や作品世界の捉え方や奥行きを増やす作業だと思う。

  文学、めちゃくちゃ面白いです!

 

  

  インプットとアウトプットの話。大人と話した記録。

  「もちろんこれは私の持論なんだけど、自分っていうのは相対的な存在だから、表現してその評価を得ることでしか自分の存在を定義できない、輪郭をはっきりさせることはできない」という話を聞いた。「自分はこういうことを考えてこういう表現をしてきた、という積み重ねと一貫性が信用になる、だからアウトプットが大事なんだ」「日本にぼんやりした人間が多いのはモノを作らないからだ」とも。その人は確かにその持論通りに行動して結果も出している人で、だからその言葉にはとても説得力があった。

  ただし、わたしは、人にはぼんやりする権利があると思う。ぼんやりした、外から見れば陳腐かもしれないその日常を、それでも大切にする権利はある。そして、その選択を断罪したり、あまつさえ嗤う権利は、我々にはない。

 

  「自分に文章を書く才能があるんじゃないかって、文系が一番陥りやすいんだよね、文章ってみんな読んだことあるし、日本語だし、ある程度書く練習は学校でさせられているし。ただ、もしそうなんだとしたら、やっぱりアウトプットが重要なんだよ、音楽家って年に100曲も200曲も作るでしょう、それは内から湧き上がってくるから。訓練したら誰にでも書ける文章じゃなくて、本当にその道のアーティストとしての自分が存在して自分の文章を持ってるなら、書いて書いて書いてるはずだし、そうしなきゃいけない。そうじゃないならただ『うっとり』を撫でまわしてるだけ、勿体なさすぎる」

 

  これはめちゃくちゃ効く言葉だった。もちろん、さっき書いたように「『うっとり』を撫でまわす」権利は誰にだってある。だけどわたしはそれだけでは嫌だ。

  わたしは「あなたの強みと弱みは?」と訊かれたら、迷わず「感受性が強いところ」だと答えるだろう。率直に言うと、わたしには人よりもより多くのことを、多くの方法で受け取る能力があると思う。映画を観ても本を読んでも音楽を聴いても、道を歩いていても買い物をしていてもバスに乗っていても、容易に感動や喜びや怒りや、その他いろいろなことを感じ取ってしまうし、すごい作品に触れると文字通り寝込んでしまう。これは性質の話で、その代わり、大きな物音とか強い光とか、機嫌の悪い人の近くにいないといけない場面とか、変な天気にとっても弱い。(こういう性質をHSPというらしい)

  何が言いたいかというと「わたしはマジで何も成し遂げていない!!!」ということで、わたしは自分の強みを「受け取ること」だと思っていたし、受け取ったことを言語化するのだって、少なくとも致命的に下手くそではないと思ってきた。

  だけど「自分の使命は『受け取ること』だ」と思って、今まで無視されてきた無名の人々による工芸品の美しさを受け取って、さらにスポットを当てて「民芸」を確立した柳宗悦だって、ちゃんとその受け取ったものをアウトプットしていたからエライわけで、外から見ればわたしは何も成し遂げていない、ただのお客さんで消費者でしかない。

  それは全然悪いことではないし、しつこいようだけどそもそも良いとか悪いとかを決める権利もわたしにはない。だけど今のわたしは、割と明確に、お客さんだけでは嫌だという気持ちを持っている。

        少なくとも自分にとってよい文章を書きたいと思っているし、人にそれを読んでもらいたいと思っている。書いて、良いにしても悪いにしても評価をもらいたいと思っている。つまり、このままじゃダメなんじゃないかということ。

  ただし、わたしは『うっとり』を撫でまわすのも大好きだ。これは忘れてはいけないことだと思う。評価を求めるあまり書きたくもないテーマで思ってもいないことを書くなんて御免だ。アフィリエイトブログとかコンテンツ切り売りなんてぞっとする。「ブロガー」になりたいわけじゃない。小説家やコラムニストになりたいわけでもない。(文筆家にはちょっとなりたいし翻訳家にはかなりなりたい。)

  『うっとり』の延長線上で何かをどうにかしたいし、どうやら簡単ではないけれどわたしさえやろうと思えばできそうだ。この辺の視界をクリアにしてくれる人の存在は本当に、本当の本当に大きい。

 

 

 

  もっともっと書きたいことはたくさん浮かんでいたんだけど、もうすぐ始発が出る頃なので、おしまいにします。帰ってお風呂はいって仮眠して練習したら久しぶりに人前で演奏する、とってもいいバンドを組んでいると思うので楽しみ。

 

 

 

 

8月14日

 

  みんなが終電で帰ってしまうというので見送りをしてから、家に入りづらくて、自分の家なのに可笑しい、と思いながら、ポケットに入れてあった煙草に火をつけて、立ったり座ったり、携帯電話を眺めたりやめたりしながらとにかく一本を灰にした。

        もう一本と思ったけれど、今度はなんだか大丈夫な気がしたので、オートロックを解除する。わたしと一緒におおきな平べったい蜘蛛がぞろぞろぞろ、と這入ってきて、お前には関係ないだろ、と思って、そうしているうちに家に帰る気持ちが出てきて、階段をのぼった。

        ここまできてしまえば、涼しい部屋が恋しいばかりだ。とうとう家に帰ってきて、玄関の靴箱の姿見に映る自分をみて、無様だな、いや、そこまででもない、と思った。一応笑ってみて、さっきまで間違いなく楽しかった、という言葉が浮かんだので、そう声に出した。

 

  彼らが残していったものものを眺める。幾つかの洗い物と、自分では絶対選ばないだろう炭酸飲料と、21歳のお祝いの、21個のプレゼント。漫画の本をもらったので、また煙草を吸いながら読む。

        これをくれた人がときどき貸してくれる本の匂いが好きだ。それがどんな匂いだったか不思議なことに全然思い出せないのだけど、とにかく、家の匂いがするのだ。

        特定の家というよりは「家」という字面そのものが持つ匂いがする。他人の家の匂い、しわくちゃの茶色の、たまにみどりがかった甘ったるい青の、薄いセロファンの、そんな匂い。

        だからその人がくれた本に煙草の匂いがつくのは残念だ。わたしの煙草は自分を傷つけるために仕方なく所持しているもので、だけど母だけは、自分と同じように娘が煙草を吸うようになるのはちょっと嬉しい、と言う。いつかわたしも自分の匂いの家をもつのかな。

 

  その漫画は団地に住む人々の物語で、いいな、と思うものもあれば、そうかな、と思うものもあった。そうかな、というのは、それって本当にいい話なのかな、ということで、だけどいろんな人が住む場所の物語なので、これでいいのだと思う。

  好きなものを好きな理由をきちんと言える少女や、小さなきっかけで好転するさまざま、突然見開きいっぱいに現れる高架の太い柱に涙ぐみながら最後まで読んで、泣きたかったので少し泣いた。

 

  ソファに右耳を強く押しあてて寝転んで、いろんなことを考える。

  言わなくてよかったことや言ってよかったこと、聞きたくなかったことや聞けてよかったこと、言えなかったことや聞けなかったこと、これからのことと今までのこと、さみしくてさみしくてさみしいこととか、だけどどうしても曲げられない自分のこと、見送るのと自分が帰るのどっちがいいのかということ。

  どれだけ先延ばしにしても別れは必ず来るので、それなら自分でコントロールできるうちに別れてしまいたい。

        だから今日は自分が帰りたかった。できれば誰にも何も言わず、いつの間にか。そういえば別れの時の涙の内訳ってなんなのだろう。取り返しのつかないものに対する恐怖みたいなものがある気がする。わからないけど。

 

  考えていることや呼吸のリズムに合わせて聞こえる鼓動の早さが変わる。めちゃくちゃ生きてるなあ。

  だけどまあとにかく、どうやら概ねうまく喋れるようにはなってきており、それはよいこととは限らないにしても、悪いばかりではない、はずだ。というのを結論にして、寝よう。

        あの団地の一軒一軒に並ぶ本の匂いをかげるような夢がいいなあ、ぜんぶの家の孫になりたい。

 

 

女湯のこと

 

        19歳のとき「20歳になったらめちゃくちゃいい財布を買うかピアスの穴のひとつやふたつ開けるか小さいタトゥーを入れよう」と思っていて、だけど結局そのどれもしなかった。

 

        銭湯がとっても好きだ。ひとり暮らしの家で湯船にお湯をはって処理をして掃除をして、みたいなのが面倒だというのもあるけれど、なにより、広いお風呂の開放感はほかの何にも代えがたい。

 

        わたしが銭湯にいくのは大抵父親と焼き鳥を食べた帰りで、じゃあ1時間後に、と約束して女湯と男湯にわかれる。岩盤浴や塩サウナやジェットバスをひととおりまわって、露天風呂にでる。火照った身体に風が気持ちいい。自分の身体からぶわぶわ湯気がたちのぼるのをおもしろく眺める。最初は勢いよく、次第にへなへなになる湯気、おっぱいから冷たくなっていく身体。わたしの中身がぜんぶ湯気になってひらひらの皮膚だけが残るのを想像する。お湯の表面を走った風が水分を孕んで渦をつくりながら湯気にかわる様子に何度でも驚く。

 

 

        開放感は解放感でもある。眼鏡を外して服を脱ぐと、現世から浮いた感じがする。わたしは目が悪いので、誰のこともはっきり見えないし、だから見られている感覚もない。ただ肌色の生命体がお風呂場を行き交っている。メイクやおしゃれやTPOや、社会で真っ当にいきていくための武装ぜんぶを取り払って、ただの肉体として外の空気にあたると、地球上に存在してきたいろいろな生態系のうちのひとつ、というような気がしてくるのだ。携帯電話を持ち込むことも当然できないから、考え事をする。小さく歌を唄ったりもする。「脳みそがあってよかった電源がなくても好きな曲を流せる」という短歌があるけれど、自分の脳みそにきちんと入っている曲はそう多くない。大切に唄う。身体も気持ちも裸で、どこか無垢にぽかんとしている。自分のことだけ考える。

 

 

        お風呂を上がったあと、脱衣所の鏡の前のカウンターに横並びに座ってみんなが髪の毛を乾かしているのを眺めるのもいい。湯上がりには各々の流儀があるからだ。はだかんぼうでまずは何が何でも顔の水分をどうにかする人、ブラッシングに余念がない人、子供の世話にてんてこ舞いの人、服を着る順番、体重計、靴下の枚数、瓶の牛乳、もってきた白湯。

 

        ひろいお風呂での入浴が開放/解放ならば、これは助走だ。それぞれが1日の終わりに癒され、そして明日に向かうための下ごしらえ。肌色の生命体から社会的な動物に戻るための準備、その切り替え、その流儀、各々の生活、そういうものがとっても心強い。

 

        父は長風呂だ。5回銭湯に行ったら3回くらいはわたしのほうが早い。男湯ではどんなことが繰り広げられているのだろう。一生知ることのない世界のことが眩しくもあり、彼が一生知ることのない女湯について誇らしくもある。

 

 

        父は牛乳、わたしはコーヒー牛乳を飲んで、体から湯気を出しながら歩いて帰る。

        20歳になって1年が経とうとしているけど、これからもしばらくはタトゥーは入れないだろうな、と思う。わたしにはまだ女湯の魔力が必要だ。

 

 

(途中にひかせてもらった短歌は岡野大嗣さんの「サイレンと犀」という歌集に収録されています。)

 

地震のこと、

 

        日本に住んでいる限り地震というのは常について回るもので、そんなことはわかりきっていると思っていたけど実際は全然わかっていなかった。

 

        地震が起きたときわたしは人をダメにするソファでダメになっている最中で、揺れてるときのことはあんまり思い出したくない。とにかく震源が近くてめちゃくちゃに揺れて、食器も何枚か割れてその音ですくみあがってしまって、そのときの強張りがいまだに解けないでいる。揺れが収まってからすぐ震える手で父親に電話した。あんまり揺れなかった地域にいた彼はいつも通りの調子で、安心するような拍子抜けするようなそんな感じだった。

 

        わたしの家にはテレビがないのでラジオアプリをインストールして、あとはTwitterを眺めていた。母からもすぐ連絡があり、食器を下ろしておくことやお風呂に水を溜めること、靴下を履くことを指示してくれた。

 

        Twitterでは大学が休みになるかどうかとか、電車に閉じ込められた話とか、混乱に乗じたネタツイとかで阿鼻叫喚だった。わたしは20歳にもなって文字通り泣きべそをかいて、しゃくりあげて部屋中をうろうろしていた。しばらくしてすこし落ち着いて、家に何にもないことに気づいて、コンビニに行った。

 

        混乱している自分も、本気でつぎの大きい揺れを怖がっている自分も恥ずかしかった。恥ずかしがる必要なんてない、電車も何もかも全部止まって、ひとりぼっちで、自分を守るのは自分しかいないんだから、情報を集めて色々用意するのは全然恥ずかしいことじゃない。だけど、普通の顔で働く店員さんとか、普通の顔でサンドウィッチとコーヒーだけを買うサラリーマンとかを見て、カゴいっぱいにお茶とかウエットティッシュとか缶詰とかカップラーメンとかを入れている自分が恥ずかしかった。

 

        そしたら子供連れが2組ぐらい店に入ってきて、お母さんと子供達で協力して水や食べ物をテキパキ選んでカゴに入れていて、お母さんがめちゃくちゃ凛々しくて、それですごく安心した。これでいいんだ、そうだよな、全然間違っていないよな、ああ、お母さんだ、と思った。

 

        今日は本当はわたしの家で友人とクレープを焼く約束をしていて、でもその友人から「今日は無理そうだね、わたしたちもいま非常食とか確保してるところ、ドアはしばらく開けといたほうがいいかも、1人で不安なら電話かけてきてね」というLINEがきて、すこし落ち着いた。彼女はわたしより震源に近いところに住んでいる人で、わたしと同じものを体験して同じように怖がっている人がいるんだということにすごく救われた感じがした。

 

        なんというか、わたしはあの揺れですごく根源的な恐怖を感じて、だから今日の授業がぜんぶ休講になって「ラッキー🤞🏻」みたいな余裕はほんとうになくて、でもTwitterとかを見てると、みんな着々と今朝の出来事をネタとして消費し始めていて、地震の影響がなかった地域は当然いつも通りの生活で、やっぱり恥ずかしい気持ちと、うそでしょ、という怒りのような気持ちでいっぱいだった。

 

 

        はじめてほんとうに当事者になったんだ、と思った。わたしは全然わかっていなかった。どれだけ怖いかも、どれだけわかってもらえないのかも。

 

 

        通っていた中学校の自分の教室の自分の席で、国語の時間の終わりにノートに消しゴムをかけようと力を入れ、前のめりになった瞬間に視界がくらくらっと揺れた。まばたきをして、視界がもう揺れていないことを確認して「いま目眩した」と何とはなしにつぶやくと「わたしも」「エッわたしも」という声が返ってきた。なんなんだろうね〜という空気のままに授業が終わって、掃除をして、お手洗いに行って、教室に戻ってくると、備え付けのテレビがついていた。みんなリュックを背負ったままテレビにかじりついていて、テレビでは、ぐしゃぐしゃのかたまりがびしゃびしゃになっていく映像と、その右上に『東北地方で地震 M○』みたいな文字がでていて、地震かあ、どおりで、と思った。

 

        それがわたしのあの日の全てだ。一瞬の目眩のようなもの、すぐに完結するもの、他人の領域のもの。

 

        そういうものなのだ、電気もつくしガスも使えるし水道もでる、食料も水も生活用品も備えた、それでもこんなに怖い、これだけ備えているつもりでも怖い、そもそも備えていることを恥ずかしいと思ってしまう、まだひとごとだと思っているから。

 

 

        非常用の鞄を作ろうと思ってコンビニで買ったものや歯ブラシやサランラップや石鹸や毛布を詰めている間、ずっと「備えたくない、備えたくない」と思っていた。備えなくても安心したい。大丈夫なことを誰か証明してほしい。

 

        チューターをしているフランス人の女の子のことを思い出して、LINEをして「何か不安なことがあったらいつでもなんでも言ってね」と言った。最近通っている英会話グループのメンバーに英語で読めるNHKのニュースサイトのURLを送った。ひとりはイギリスから来た家族と一緒に九州にいるみたいで、逆に心配してくれた。楽しい時間に水を差して悪かったな。強調の大文字の優しさを実感した(The question is are YOU alright?)。もうひとりには「1週間は気をつけてね、怖がりすぎないで、ちゃんと準備をしていれば大丈夫だよ」と言った、言って、自分が言われた気持ちになって、それでいて、ほんとかなあ、と思った。

 

        今はファミリーレストランでこれを書いている。人がたくさんいて、大きい揺れが来てもなんとなく大丈夫そうで、なにより美味しいご飯が食べられる。落ち着こうと思って持って来た本はすでに読み終わった上巻でウーワーという感じ、だけど、知っている物語を読むというのは思いの外おちつくことだった。

 

        こういうときにひとりぼっちはほんとうに心細い。歩いていく家族とかカップルや友人づれがほんとうに羨ましかった。誰かに自分のことを丸ごと委託してしまいたい。

 

        だけどまあとにかくわたしは生きていて生きようとしている、そしてそれは全然恥ずかしくなんかない、ひとまずそう言い聞かせて、ちゃんと眠れたらいいなあ、と思う。